第93話 前門の猪、後門の魔女っ子
ズシン、ズシン、ズシン……!
背後から迫りくる、地響きのような足音。
それは、巨大な岩石が転がってくる音ではない。一人の「魔法少女(自称)」が、スキップしている音だ。
「待って〜☆ うふふふふっ」
野太い、しかし愛嬌をたっぷり込めた声が、風に乗って鼓膜を震わせる。
(来るな! 来ないでくれえええええ!!)
狂戦士キョウのアバター内部で、先師京介は、魂の絶叫を上げていた。
現在のキョウは、SPDが初期値に戻っている。つまり、ただの足の速い人間レベルだ。
対する追跡者、ラブリーは、その巨体に似合わぬ重戦車級の脚力で、着実に距離を詰めてきている。
(捕まったら終わる! 生理的にも、物理的にも!)
京介が必死に尻尾を振ってキョウを急かしている、その時だった。
前方の茂みが、ガサガサと激しく揺れた。
「ブモオオオオオオオッ!!」
飛び出してきたのは、真紅の剛毛に覆われた、巨大な猪。
三つの角を持つ猛獣、【クリムゾントライボア】だ。
(うげっ! ここでモンスターかよ!)
かつて、レベル1の時に遭遇し、他のプレイヤーたちと共闘(という名の横取り)をした因縁の相手。
だが、今は状況が違う。
前には、突進してくる巨大猪。
後ろには、突進してくる筋肉魔法少女。
(まずい! 挟まれた! 前門の猪、後門の魔女っ子だ!)
絶体絶命のピンチ。
しかし、背後のラブリーは、この状況を見て、なぜか瞳をキラキラと輝かせた。
「あら! あれはクリムゾントライボア!? ……まぁ! そういうことね☆」
ラブリーは、頬を赤らめ、極太の指を組んで祈るポーズをとった。
「私と一緒に倒そうってことね☆ 初めての共同作業……じゃなくて、共闘を誘ってくださったのね! うれしい☆」
(違う! 断じて違う! ただ挟撃されてるだけだ!)
京介の否定も虚しく、ラブリーは勝手に愛の共同作業モードに入ってしまった。
一方、我らが狂戦士キョウは、背後のピンク色の化け物よりも、目の前の「敵」に反応した。
彼は、速度を緩めることなく、真っ直ぐに猪に向かって走っていく。
「ウガァァァァッ!」
クリムゾントライボアもまた、縄張りを荒らす侵入者に対し、怒りの突進を開始する。
「ブモォォォォッ!!」
激突寸前。
背後から、ラブリーの甘ったるい声が響いた。
「キョウ様! 私のオリジナル魔法を見せてあげるわ☆」
(魔法!?)
京介の耳がピクリと反応する。
あの筋肉ダルマ、魔法少女の格好をしているだけあって、魔法が使えるのか?
もし強力な攻撃魔法なら、この状況を打開できるかもしれない!
ラブリーが、ステッキを掲げ、詠唱を始めた。
「キラキラ光る、お星様……☆ 悪しき獣に、お仕置きよっ……☆」
(詠唱が痛々しい! けど、背に腹は代えられない! 頼むぞ!)
その間にも、キョウと猪の距離はゼロになる。
ドガァァァァァッ!!!
正面衝突。
レベル1(ステータス異常)のキョウと、フィールドボスクラスの猪が、真正面からぶつかり合った。
「ウガガガァァァ!!」
「ブホォォォ!!!」
バキィン!!!
互いに弾き飛ばされ、地面を削りながら後退する。
キョウのHPバーが、ガクリと減った。
(ぐっ……! やっぱりレベル1だと痛い! 危なかった! 一歩間違えたら、またゲームオーバーになるところだった!!)
キョウが体勢を立て直そうとした、その時。
ラブリーの詠唱が完了した。
「いっくわよ〜☆ 必殺! ラブリーシューティングスター!!!」
(来た! 流星群系の魔法か!?)
京介が期待を込めて見守る中、ラブリーは地面を強く踏みしめた。
石畳が砕ける音と共に、その巨体がロケットのように射出される。
そして。
ドカァァァァァァァァッ!!!
「ブホオオオオオオオオッ!!!」
ラブリーは、手に持った魔法のステッキの「星の部分(物理的に尖っている)」で、クリムゾントライボアの脳天を、フルスイングで殴りつけたのだ。
凄まじい衝撃音が響き渡り、哀れな猪は、断末魔の声を上げながら、一瞬にして光の粒子となって霧散した。
(物理攻撃じゃねーかぁぁぁぁ!!!)
京介のツッコミが、虚しく響く。
(なんなんだよ! キョウの魔法陣殴りといい、こいつのステッキ殴りといい!! この世界の「魔法」は、鈍器の別名なのか!? まともな魔法はどこ行った!!)
残されたのは、地面にめり込んだステッキと、「やっちゃった☆」とテヘペロをする、髭面の大男だけだった。
「ハァ……ハァ……」
衝突のダメージで、キョウはその場に膝をついていた。
それを見たラブリーが、血相を変えて駆け寄ってくる。
「大変! キョウ様がお怪我を! 早く回復魔法をかけなきゃ!!」
(おぉ!!)
京介は、警戒しつつも、背に腹は代えられない状況に、わずかな希望を見出した。
(回復魔法! それだ! この際、見た目とか物理とかどうでもいい! HPを回復させてくれ! 死んだら元も子もないんだ!)
「待っていてくださいね☆ とっておきの癒やしを……」
ラブリーはステッキを放り出すと、両手を広げた。
「ラブリー魔法! 愛の抱擁!」
(……え?)
ガシィッ!!!
ラブリーの丸太のような腕が、キョウの体をガッチリとホールドした。
そして、大胸筋と大胸筋の間に、キョウの顔が埋められる。
ミシミシミシ……。
「ウ、ウガ……ッ!?」
キョウが、苦悶の声を漏らす。
京介の視界が、ピンク色(肌色)に染まる。
(ぐえええええっ!? 苦しい! 折れる! 背骨が折れる!)
だが、驚くべきことに。
キョウのHPバーは、その締め付けに反比例して、ギュンギュンと回復していた。
【HPが回復しています】
(か、回復してるけど! 回復してるけどやめてくれえええええ!!!!)
物理的な回復と引き換えに、精神的なHP(MP)がゴリゴリと削られていく。
濃厚な筋肉の感触と、耳元で囁かれる「よしよし☆」という野太い声。
(意識が……遠のく……)
全身の毛を逆立てたポヌルが、ガクガクと震えながら見つめるなか、京介は、HPが回復するのと同時に、あまりのショックと酸素不足で、白目を剥いて失神しそうになるのであった。




