第92話 狂戦士の追っかけ
「キ…………ゥ…………さ…………ぁ…………」
(……なんか聞こえるぞ?)
敵意はない。殺気もない。
あるのは、熱烈な、そしてどこか危険な香りのする「好意」を感じる声だった。
(信徒か? いや、ロジックやチョットツたちの声じゃない。もっとこう、粘着質で、ドスの効いた……)
京介は、嫌な予感を抱きつつも、キョウの視界を利用して、恐る恐る後ろを振り返った。
そこには、街道の向こうから、猛烈な砂煙を上げて爆走してくる「ピンク色の何か」が映っていた。
「キョウ様ーーーーーーーっ!!!」
距離が縮まるにつれ、その姿が鮮明になっていく。
そして、その全貌を認識した瞬間、京介の思考はフリーズし、オーバークロックしていたはずの脳細胞が、理解を拒絶して悲鳴を上げた。
(な、なんだあれはあああああああああああッ!?)
そこには、このファンタジー世界の世界観を、物理的にも視覚的にも粉砕する、あまりにも強烈なキャラクターが存在していた。
まず目に飛び込んできたのは、全身を包むショッキングピンクの衣装だ。
フリル。レース。リボン。
パステルカラーのふわふわとした装飾が、これでもかと施された、王道にして典型的な「魔法少女」のコスチューム。
手には、先端に大きな星のモチーフが付いた、可愛らしい魔法のステッキが握られている。背中には、妖精のような小さな羽根の飾りまでついている徹底ぶりだ。
だが。
問題は、その衣装を身に纏っている「本体」だった。
身長は優に2メートルを超えている。
丸太のように太い首。
岩石を詰め込んだかのように隆起した大胸筋と上腕二頭筋。
そして、その精悍な顔には、綺麗に整えられた立派な「カイゼル髭」が蓄えられていた。
(おっさんじゃないかあああああああああ!!!)
京介の絶叫が、脳内を駆け巡る。
魔法少女ではない。魔法中年だ。いや、魔法戦士か? いや、そんな生易しい言葉では表現できない。
そして何より恐ろしいのは、そのサイズ感の不一致だ。
明らかに少女サイズで設計されたであろうフリフリの衣装は、2メートルの巨体にはあまりにも小さすぎた。
パッツンパッツンである。
はち切れんばかりに膨れ上がった筋肉が、可憐な布地を極限まで引っ張り、縫い目からは悲鳴のような音が聞こえてきそうだ。太ももの絶対領域からは、剛毛に覆われたハムストリングスが主張している。
(衣装が! 衣装が死にかけてる! 物理演算エンジンの悲鳴が聞こえるぞ! なんだあのピンク色の筋肉ダルマは!)
その「魔女っ子(?)」は、キョウと同じ速度、いや、それ以上の速度で、地響きを立てながら迫ってくる。
その瞳は、乙女のようにキラキラと輝き、頬を赤らめ、両手を広げて、こちらに突進してきているのだ。
「ああっ♡ やっと会えましたわ、私の王子様ぁっ!!」
(王子様ってキョウのことか!? やめろ! 来るな! その巨体で抱きつかれたら、こっちは圧死する!)
京介は、直感した。
これは、ミノタウロスよりも、鉄壁の狂戦士よりも、ある意味で「危険」な存在だと。
関わってはいけない。関わったら最後、ログアウトはおろか、人としての尊厳すら失う気がする。
(ポヌル! なんだあいつは! 新手のボスか!? それとも運営の刺客か!?)
京介が助けを求めると、隣を飛んでいたポヌルは、顔面蒼白になりながら、ブルブルと震えていた。全身の毛が逆立っている。
「し、知らんニャ……。あんなデータ、吾輩のデータベースにはないニャ……。あれは、この世界のバグとかそういう次元じゃないニャ……。プレイヤーの『業』そのものだニャ……!」
(お前が引くレベルなのかよ!)
「キョウ様ぁ~♡ ラブリーの愛のタックル、受け止めてくださぁ~い☆」
自称ラブリーと名乗る筋肉の塊が、さらに加速する。
その手には、魔法のステッキが握られているが、どう見てもそれは「鈍器」としての使用法を想定した構えだった。
(やばい! 追いつかれる! 今のキョウはSPDが初期値に戻ってるんだ! いくら僕の脳内処理が速くても、アバターの足が遅ければ逃げ切れない!)
京介は、必死に尻尾を振って、キョウに「全力ダッシュ」の指示を送る。
キョウもまた、背後から迫る異様なプレッシャーに、野生の勘で「関わってはいけない」と悟ったのか、何も言わずに加速した。
しかし、ラブリーの脚力は凄まじかった。
一歩踏み出すたびに地面が揺れ、石畳が砕ける。
その走りは、魔法少女のスキップではなく、完全に重戦車の進撃だった。
「待ってぇ~♡ 恥ずかしがり屋さんなんだからぁ☆」
(恥ずかしがってるんじゃない! 全力で拒絶してるんだ! ていうか速い! あの空気抵抗の塊みたいなフリフリ衣装で、なんでそんなに速いんだよ!)
このままでは、捕まる。
捕まったら、あの剛腕で抱きしめられ、背骨をへし折られる未来しか見えない。
京介は、覚悟を決めた。
(無視だ! 徹底的に無視するんだ! 気づかないフリをして、このまま魔王城まで逃げ切る! あんなのとエンカウントしたら、精神的ダメージで僕の受験勉強に支障が出る!)
京介は、キョウの視線を強引に前方へと固定した。
後ろなど見るな。振り返れば奴がいる。
ただ前だけを見て、この悪夢から逃走するのだ。
「ウガッ! ウガガッ!」(訳:なんかヤバいのが来る! 逃げるぞ!)
キョウもまた、珍しく京介と意見が一致したようで、必死の形相で腕を振り、足を回転させた。
村人たちが、猛スピードで駆け抜ける野獣と、それを追うピンク色の巨人を、呆然と見送る中。
京介の「最短クリア計画」に、また一つ、とてつもなく厄介で、濃厚すぎる障害が追加されたのであった。
(神様……僕が何をしたって言うんですか……。ただ、受験勉強の息抜きをしたかっただけなのに……!)
京介の心の叫びは、ラブリーの放つ「ウフフ♡」という野太い笑い声にかき消され、平原の彼方へと消えていった。




