第90話 レベル1のステータス
パリン。パリン。パリン。
乾いた、そしてあまりにも虚しい破壊音が、キョウが破壊したボロ家の中に一定のリズムで響き渡っていた。
お婆さんの家の壁一面を埋め尽くすように積み上げられた、大量の壺、壺、壺。
我らが狂戦士キョウは、その壺の山から一つを手に取り、頭上へ持ち上げようとする。だが、その指先が壺の表面に触れた、ただそれだけの瞬間に、壺はまるでシャボン玉が弾けるように粉々に砕け散ってしまうのだ。
(……おかしい。いくらなんでも脆すぎるだろ!)
アバターの内部で、先師京介は、目の前の超常現象に首を傾げていた。
(ポヌルは「コストダウンだニャ」などと言っていたが、いくら運営が悪質でも、物理演算をここまで無視したテクスチャだけの壺を配置するだろうか? いや、いかにもしそうだが、それにしても割れ方が派手すぎる)
だが、今はそんな物理演算の考察をしている場合ではない。
現実世界の受験まで、残り7日。
この理不尽なデスゲーム(?)をクリアし、ログアウトするためには、一刻の猶予もないのだ。
(そうだ。悠長に壺割りを見学している場合じゃない。ポヌルと今後の対策を練らなければ……!)
京介は、目の前で虚無の作業を続けるキョウと、おろおろするお婆さんから意識を切り離し、隣で同じく呆然としている(ように見える)妖精猫に心の声で話しかけた。
(なあ、ポヌル。これからのことなんだけど)
返事がない。
(ポヌル? 聞いてるか? まずは効率的なレベル上げのルートと、あの魔王城のショートカットについて相談したいんだが)
やはり、返事がない。
いつもなら「お主にしては殊勝な心がけだニャ」とか「まずは煮干しを献上するニャ」とか、憎まれ口の一つも叩くはずなのに。
不審に思った京介が、意識を向けてポヌルの方を見ると、彼は口元まで運んでいた煮干しを、ポロリと床に落としていた。
その猫の目は、極限まで見開かれ、一点を凝視している。
その視線の先にあるのは――キョウの、右手だった。
「……京介。そんなことより、キョウの右手を見るニャ」
(え? 右手?)
ポヌルの、震えるような声。
京介は、釣られて自分のアバターの右手へと意識を向けた。
そこには、見慣れた……いや、このレベル1の初期装備状態には、絶対にあるはずのない「異物」が、装着されていた。
無骨な黒鉄の輝き。
凶悪なトゲ。
それは、あの魔王城の通路で遭遇した、鉄壁の狂戦士から奪い取った、狂戦士専用の武器。
(こ、これは……『狂戦士のナックル』!?)
京介の思考が停止する。
死に戻りをしたはずだ。レベルは1に戻った。装備も、あの「初心者用の腰布」一枚に戻っているはずだ。
なのに、なぜ。
なぜ、この凶悪なナックルだけが、初期装備に混ざって右手に残っているんだ!?
「お主……ステータスは確認したのかニャ!?」
ポヌルの鋭い指摘が飛ぶ。
(か、確認したよ! さっき見た時は『レベル1』って……)
「レベルだけじゃないニャ! 詳細だニャ! 他の数値もちゃんと見たのかニャ!?」
(いや、見てない……。レベル1の絶望感が強すぎて、他を見る気力が……)
「馬鹿者ニャ! すぐに確認するニャ! 今すぐにだニャ!」
ポヌルの剣幕に押され、京介は慌ててメニュー画面を開き、ステータスの詳細タブを展開した。
そして、そこに表示された数値を見て、彼はアバターの内部で、本日二度目の絶叫を上げることになった。
――――――――――――――――――――
【名前:キョウ】
【職業:狂戦士】
【レベル:1】
【ステータス】
HP:2150
MP:0
STR:550
SPD:1
INT:1
VIT:250
DEF:201
DEX:1
LUK:-999
【装備】
右手:狂戦士のナックル(奪取品)
左手:素手
頭:なし
胴:なし
腰:初心者用の腰布(まだ湿っている)
足:なし
装飾品:なし
【スキル】
完全自動操作:常時発動。プレイヤーの操作を受け付けません。諦めてください。
咆哮Lv.1:ただうるさいだけ。
不屈の闘志(笑):何度死んでも懲りません。
自動回復(微弱):他人の技をパクりました。
【称号】
器物損壊王
荒ぶる開発神(非公式)
神速の狂戦士(剥奪済)
狂戦士を統べるもの
豆腐愛好家
分銅の礎
【特殊スキル】
尻尾精密操作:レベル50と引き換えに手に入れました。返品不可。
思い出は心の中に:セーブ不可。
――――――――――――――――――――
(な、なんだこれはあああああああっ!?)
京介の目が、画面に釘付けになる。
レベルは、確かに「1」だ。
しかし、その下の数値が、明らかにおかしい。異常だ。バグっている。
(HP2150!? レベル1の初期値は150だったはずだろ! それに、STR550!? VITとDEFも200ずつ増えてる!)
京介の脳裏に、あの激闘の記憶が蘇る。
あの鉄壁の狂戦士を倒した時、システムメッセージはこう言っていた。
『狂戦士のステータスの一部が割り振られます』
『VITと、DEFに200ポイントを加算します』
そして、ナックルを奪った時の表示。
『狂戦士のナックルを装備しました。STRが500上がりました』
(残ってる……! 全部、残ってるじゃないか!)
レベルアップで得たステータスポイントはリセットされた。
だが、「称号」や「イベント」で獲得した追加ステータスと、奪い取った「装備品」の補正値は、死んでもリセットされずに引き継がれているのだ!
レベル1の皮を被った化け物。それが、今のキョウの正体だった。
(ポヌル! これ、ただのレベル1じゃない! 簡単に壺が壊れるのは、壺の装甲が薄くなったんじゃなくて、こっちのSTRが異常に高いからなのか! そういえば、入ってくる時にドアも粉々になってた!)
キョウのレベル1のSTRは50程度だった。つまり、今のキョウは、その10倍以上の腕力を持っていることになる。そりゃあ、触れただけで壺も砕け散るわけだ。
「……なるほどニャ。このゲーム、『強いまま2周目のニューゲーム』の概念が、バグった形で実装されているみたいだニャ」
ポヌルが、床の煮干しを拾い上げながら、感心したように言った。
「だが京介、喜んでばかりもいられないニャ。一番下を見るニャ」
(一番下?)
言われて、京介はステータス画面の最下部、特殊スキルの欄に目を落とした。
そこには、あの忌まわしきオーブとの交換で手に入れた『尻尾精密操作』の下に、見慣れない、しかし、あまりにも残酷なスキル名が刻まれていた。
【特殊スキル】
思い出は心の中に:セーブ不可。
(…………は?)
京介は、その文字を二度見、三度見した。
『思い出は心の中に』。なんてロマンチックな響きだろう。
だが、その効果説明は、冷酷無比な四文字熟語だった。
「セーブ不可」
(くそっ! まったく気づかなかった! これだけむちゃくちゃ小さく書いてあるじゃないか! 契約書の隅っこにある免責事項より小さいぞ! ポイント数で言うなら2だ!)
京介は、あの中間地点での出来事を思い出した。あの時、あと数センチでオーブに触れられるところだった。もし触れていたとしても……。
(……そうか。あの時、蝶々に気を取られなくても、そもそもセーブなんて出来なかったんだ)
「そういうことだニャ。この『セーブ不可』は、呪いか、あるいは仕様か……。とにかく、お主のアバターには、最初からセーブ機能が実装されていなかったのニャ」
ポヌルが、呆れながらも、どこか同情するような響きで言った。
(……そうか)
京介は、静かにその事実を受け入れた。
怒りも、悲しみも、もう湧いてこない。
ただ、目の前にある「クリア条件」が、より明確になっただけだ。
セーブはできない。
死んだら、レベル1に戻る。
だが、積み上げた「経験」と「武器」は残る。
そして、僕には、この「進化した尻尾」がある。
「セーブしないで、一気にクリアするしかないニャ」
ポヌルの言葉に、京介は力強く頷いた。
(ああ、そうだ。こうなったら、すべて受け入れて、抵抗するしか無い! やってやるよ! この理不尽なクソゲーを、何が何でもクリアしてやる!)
京介の心に、今までにないほどの闘志が燃え上がった。
もう、迷わない。壺を割っている時間さえ惜しい。
京介は、視界の端で、相変わらず虚無の表情で壺を割り続けているキョウの尻尾に、全神経を集中させた。
(こんなちまちました作業、一瞬で終わらせてやる!)
京介の意志に呼応し、トゲのついた尻尾が、鞭のようにしなる。
狙うは、壁際に山積みになっている、残りの壺の山!
(いけええええええっ!)
ガシャガシャガシャアアアアアアン!!!!
STR550(実質ゴリラ10頭分)のパワーが乗った尻尾の一撃が、残っていた壺の山を、一瞬にして粉砕した。
破片が飛び散り、砂煙が舞う。
お婆さんが「ひぃっ!」と腰を抜かす中、キョウは、自分の手から壺がなくなったことに気づき、「ウガ?」と不思議そうに首を傾げた。
(時間短縮だ!!! 次行くぞ、次!)
京介は、一息つく暇も与えず、尻尾でキョウの背中をバシッと叩き、出口の方角を示した。
目の前の破壊対象が消滅したキョウは、京介の誘導(尻尾による打撃)に従ったのか、それとも本能なのか、民家を飛び出した。
目指すは、村の出口。
そして、その先にある、魔王城。
レベル1だけど、レベル1じゃない。
最強の初期装備狂戦士の、本当の冒険(RTA)が、今、幕を開けた。




