第88話 分銅と神の作戦
ドッゴオオオオオオオオオオオオオオン!!!!!
魔王城の中間地点、そのテラスの一角は、凄まじい轟音と共に巻き上がった土煙に包まれていた。
視界はゼロ。何が起きたのか、誰も即座には理解できない。
ただ、確かなことは一つ。
我らが神、狂戦士キョウの頭上に、数トンはあろうかという巨大な鉄の塊――分銅が、直撃したということだけだ。
「マ、マスター……?」
信徒の一人が、震える声で呟いた。
やがて、土煙がゆっくりと晴れていく。
そこに現れたのは、テラスの黒大理石の床に深く、深くめり込んだ、巨大な分銅の姿だった。
そして、その下にあるはずのキョウの姿は、影も形もない。
ただ、分銅の底から、光の粒子がキラキラと立ち上り、天井へと消えていくのが見えた。
それは、この世界における「死」を意味していた。
「あ……ああ……」
分銅からわずか30センチほどの場所。
仰向けに倒れていたチョットツが、ガバッとはね起きた。
彼は、目の前に鎮座する無慈悲な鉄塊を見ると、その顔をくしゃくしゃに歪め、分銅を素手でバンバンと叩きながら号泣し始めた。
「マスター! マスターぁぁぁぁッ!! なんでだ! なんでだよぉぉぉ!!」
大の男が、子供のように泣き叫ぶ。
「マスターが潰された! こんなどうしようもない、役立たずでドMなオレを庇ったばっかりに! うおおおお!! オレが潰されれば良かったんだ! むしろ潰されたかった!! あんな重いものでプレスされる快感……じゃねえ、苦痛を、マスターに味わわせるなんてぇぇぇ!!」
(いや、庇ってないから。蝶々追いかけてただけだから)
いつもだったら、そうツッコんでいたであろう先師京介は、ここには居ない。
ボケ放題なのだ。ツッコミ役は地の文と読者に託されていた。
チョットツの悲痛な叫びが響き渡る中、一人、冷静さを保っている男がいた。
天才軍師ロジックである。
彼は、眼鏡の位置をくいと直すと、慌てることなくチョットツに近づき、その震える肩にそっと手を置いた。
「落ち着きたまえ、チョットツ君」
「ロ、ロジック殿……! でも、マスターが……オレのせいで……!」
「違う。君のせいではない。……悲しむことはないのだよ。これは、マスターの高度な戦術なのだ」
「せ、戦術……?」
チョットツが、涙と鼻水でぐしゃぐしゃになった顔を上げる。
ロジックは、いつものように自信満々に、そして深遠な真理を説くように語り始めた。
「考えてもみたまえ。マスターはレベル100に到達された。もし、あのままセーブポイントに触れてしまっていたら、どうなると思う?」
「え……? セーブされて……いいんじゃないですか?」
「凡人の思考ならそうだろう。だが、マスターは違う。セーブをしてしまえば、そこが確定されてしまうのだ。つまり、レベル100という限界に縛られることになる」
ロジックは、分銅の下から消えゆく光の粒子を眩しそうに見つめた。
「現在の肉体という器が、レベル100という強大な魂に耐えきれなくなったとマスターは瞬時に判断されたのだ。故に、あえて肉体を一度リセットし、ステータスの基礎値を底上げした上で再構成する……いわば、『超・転生進化』の儀式を、この進行中のゲーム内で擬似的に行おうとされているのだよ!」
「な、なるほど……!」
「つまり、君を救うついでに、計算し尽くしたポイントで、最も効率的に死に戻りを行ったというわけだ」
ロジックの完璧すぎる解説に、チョットツは再び涙を溢れさせた。今度は、感動の涙だ。
「マズダーーーッ!!! なんて……なんて深いお考えなんだ! オレは、そんなことも露知らず……!」
チョットツは、分銅に抱きつき、頬擦りを始めた。
そんな狂信者たちのやり取りを、少し離れた物陰から見ていた妖精猫ポヌルが、誰に聞かせるでもなくボソリと呟いた。
「……ただ、蝶々を追いかけてただけだけどニャ」
その真実は、熱狂の渦にかき消された。
ロジックは、皆に向かって提案した。
「さあ、同志諸君。マスターは『始まりの地』へと帰還された。我々もまた、一度休息を取るべきだろう。皆、連戦で疲労困憊だ。一旦ここでセーブをして、今日はログアウトしましょう。これからのことは、また明日考えればいい」
「「「はいっ!」」」
信徒たちは、次々とセーブポイントのオーブに触れ、ログアウトしていく。
その光景を見届けると、ポヌルは「やれやれだニャ」と小さく息を吐いた。
「さあ。吾輩も行くかニャ」
ポヌルは、スッと姿を消した。
◇
白い光が収まると、先師京介の目の前には、見慣れた……いや、見飽きた光景が広がっていた。
石畳の広場、のどかな噴水、そして素朴な家々。
「始まりの村」の、リスポーン地点である。
「…………」
京介は、アバターの内部で、言葉を発することができなかった。
呆然としている間にも、狂戦士キョウは、「ウガッ」と短く吠えると、早速村の出口に向けて走り始めていた。いつもの、魔王城への条件反射だ。
(……あ)
走り出した振動で、京介の意識が現実に戻る。
そして、真っ先に確認すべきことを思い出した。
(セーブは!? セーブ出来ていないのか!? あの時、あと数センチだった……! もしかしたら、システム判定で触れたことになってたり……!)
京介は、祈るような気持ちで、ステータス画面を開いた。
【名前:キョウ】
【職業:狂戦士】
【レベル:1】
(……見間違いだ。そう、バグだ。再読み込みすれば……)
京介は震える尻尾で、ウィンドウを一度閉じて、もう一度開いた。
【レベル:1】
(くっそおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!!!!)
京介の絶叫が、脳内を駆け巡る。
(なんでだよ!? あと数センチだったじゃないか!! レベル100だぞ!? STRもSPDもカンストして、ようやくINTを手に入れたのに! 全部……全部消えたのかよ!)
レベル1。
あの苦労も、あの豆腐シャワーも、あのマモルンジャーとの死闘も、全てが水の泡。
また、最初から。
あのミノタウロスにデコピンされる日々からのやり直し。
(なんで僕がこんな目に遭わなきゃいけないんだぁぁ!! 蝶々ってなんだよ! なんで魔王城に蝶々がいるんだよ! 演出過剰なんだよこのクソゲー!)
京介が慟哭している間にも、キョウは村の中を疾走している。
しかし、今回は魔王城へは向かわなかった。
キョウは、村の出口付近にある、かつて自分が岩を砕いて掘り当てた、あの「英雄の湯」へと一直線に向かったのだ。
ザップーン!!!
派手な水しぶきを上げて、キョウは温泉に飛び込んだ。
そして、「ふぅー」と息を吐くように、肩までお湯に浸かる。
(なんでお前はいつもそうなんだ! 意味不明な行動ばかりしやがって!! 人が絶望してる時に、なんで一番風呂みたいな顔して寛いでるんだよ!)
京介の怒りは、もはや空回りするだけだった。
温かいお湯の感触が、アバター越しに伝わってくる。だが、その温かささえ、今の京介には冷たく感じられた。
京介は、温泉の中で「もうダメだ」と思っていた。
現実世界での受験まで、残り7日。
そして、レベルは1。
振り出しに戻った。いや、時間がない分、状況はスタート時よりも悪化している。
周囲を見渡しても、あの騒がしい信徒達は居ない。
そして、いつも隣で茶化してくれた、あのポヌルさえもいない。
(孤独だ……)
これから、また一人で(正確には暴走アバターと二人で)、魔王城の門番、ミノタウロスにやられる日々が始まるだけだ。
(もう、気力がない。受験も、脱出も、もうどうでもいい……)
京介が、マリアナ海溝よりも深い絶望の底を漂っていると、すぐ隣、湯けむりの中に気配を感じた。
チャプン……。
「京介。お主、かなり落ち込んでいるニャ」
聞き慣れた声。
京介が、のろのろと視線を向ける。
そこには、濡れた毛並みをペロペロと整えながら、心配そうな顔で温泉に浸かっている、一匹の妖精猫がいた。
(……ポヌル?)
「なんだニャ、その顔は。幽霊でも見たような顔するニャ」
ポヌルは、呆れたようにヒゲを震わせた。
「ま、レベル100から1への転落は、確かに精神的ダメージがデカいニャ。同情はするニャ」
(お前……。なんで、ここに……?)
京介は、驚きと、そして言いようのない安堵感に包まれた。
てっきり、愛想を尽かしてどこかへ行ってしまったのだと。
「なんでって、お主のサポート役だと言ったはずだニャ。お主がレベル1に戻ったなら、吾輩もここに戻ってくるのが筋ってもんニャ」
ポヌルは、お湯に浮かんだ手桶を器用に前足で回しながら、ニヤリと笑った。
「それに、レベル100のゴリラを観察するのも飽きたところだニャ。レベル1から、あと7日でクリアを目指す……そんな無謀な実験、見逃すわけにはいかないニャ」
その言葉に、京介の死んだ魚のような目に、わずかな光が戻った。
(……実験?)
「そうニャ。このクソゲーの仕様なら、レベル1からでも一発逆転のバグ技……じゃなかった、攻略法がきっとあるはずだニャ」
(……バグ技?)
「ま、それは一緒に探すとしてだニャ」
ポヌルは、小さな前足で、お湯をパシャリと京介の顔にかけた。
「とりあえず今は温まるニャ。温泉は、HPだけじゃなく、MPも回復するらしいニャ」
京介は、顔にかかったお湯を尻尾で拭いながら、深く息を吐いた。
レベルは1。仲間もいない。状況は最悪だ。
だけど。
隣には、このふざけた相棒がいる。
(……ああ。そうだな)
京介は、心の中で呟いた。
(まだ、終わってない。……やってやるよ。あと7日。死ぬ気で……いや、死に戻りまくってでも、絶対にクリアしてやる)
湯けむりの向こう、新たな決意を秘めた京介と、不敵に笑うポヌル。
そして、何も考えていない狂戦士キョウ。
彼らの、真の「ラストスパート」が、ここから始まろうとしていた。
キョウに刻まれた異変に気づくこともなく……
【第二幕 完】




