第84話 決着
ドゴォォォォ!!!
鈍く、しかし確かな衝撃音が、魔王城のテラスに響き渡った。
先師京介の視界が、激しく揺れる。
狂戦士キョウが放った、「ゴリラも尻尾を巻いて逃げ出す」レベルの強烈な右フックが、マモルンジャーレッド(もはや公然の呼称)の左脇腹に、深々と突き刺さっていた。
(入った……!)
京介は、アバターの内部で拳を握りしめた。
あのお風呂用具(カエルの桶)による目くらましからの、ボディブロー。
レッドの動きが、ピタリと止まる。その顔は苦痛に歪み、先ほどまでの知性的な瞳が、白目を剥く寸前まで見開かれている。
(いける! これで決まりだ!)
京介が確信した、その時だった。
後方で戦況を見守っていた信徒たちの中から、一人の女性の、やけに野太い興奮した声が聞こえてきた。
「今のはジョルトブローじゃねーか!?」
(ん?)
京介が、アバター越しに視線を向けると、そこには、お煎餅の袋を握りつぶし、わなわなと震えながら興奮しているリアリーの姿があった。
彼女は、先ほどまでの「ロジック様ぁ……♡」という乙女チックな表情(および腐った妄想)を完全にかなぐり捨て、まるで場末の居酒屋でボクシング中継を見ている古参ファンのような、脂ぎった形相で叫んでいた。
「体重を乗せて踏み込み、全身のバネを使って打ち抜く! しかもあの角度! 肝臓打ちじゃねえ、もっとえげつない……ガードの上からでも内臓を破壊する必殺の一撃だぜ! くぅ~っ! アツい! 最高にアツい展開だぜ!」
(またキャラ変わってるぞ! あんた格闘技絡むと急にオッサンになるのかよ! 情緒どうなってるんだ!)
京介のツッコミも虚しく、リアリーは「行けぇ! マットに沈めろぉ!」と拳を振り上げている。
すると、その騒ぎを聞きつけたのか、いつの間にか悶絶から復活していた男が、持っていた巨大な盾を、ガランッ、と地面に取り落とした。
マスター護衛隊長、チョットツだ。
彼は、目の前で繰り広げられたキョウの一撃を目撃すると、恍惚とした表情で叫んだ。
「マ、マスター……! 素晴らしい……! そのパンチ……その魂の拳を、後でオレにも下さい!!」
(なに言ってんだ!? このドMめ! 少しは隠せよ! 敵より味方の方がよっぽどカオスだよ!)
京介が、あまりにも濃すぎる味方たちの奇行に、頭を抱えてツッコミを入れていると、視界の端に、とてつもない数字が表示された。
【9999】
(うおっ!?)
それは、ダメージ表示だった。
カンストダメージ。
レッドのHPバーが、一瞬にして消し飛ぶ。
【HP:0/2150】
レッドの巨体が、ゆっくりと崩れ落ちていく。
その体から、光の粒子が溢れ出し始めた。
勝った。
京介が安堵のため息をつこうとした、その時。
瀕死のレッドが、恨めしげにキョウを見上げ、はっきりとした口調でこう言い放った。
「ぐは!! ……オレのカタキは、チョウ様がとってくださる! 覚悟しておくんだな! この脳筋ゴリラめ……」
そして、彼は光となって消滅した。
(…………は?)
京介の思考が、一瞬停止した。
(急に喋りだした!? 今、「脳筋ゴリラ」って言ったよな!? さっきまで「キシャアアア」しか言わなかったのに!?)
驚愕する京介の脳裏に、戦闘前のチョウ・メードの言葉が蘇る。
――『貴様に足りなかった最後のピース、INTのポイントを、システム権限で無理やり足してやったぞ!』
(まさか……INTか!? INTの影響なのか!? ステータスのINTが上がれば、モンスターですら流暢な日本語を喋れるようになるというのか!?)
だとしたら。
もし、このアバターにINTが振られたら。
僕も、まともに喋れるようになるかもしれない。
いや、それどころか、このレッドのように、論理的な思考と言語能力を取り戻せるかもしれない!
京介が、敵の死に際に示された「INTの可能性」に打ち震えていると、遥か頭上、天井のスピーカーから、悔しげな声が響き渡った。
『くっそー!! まさか、我が最高傑作のマモルンジャーZが全滅するとは! 計算外だ! だが、勝ったと思うなよ! この先にはさらなる地獄が……あ、ちょっ、マイク切って! ハウってる!』
(完全に雑魚のセリフじゃないか! 四天王の威厳ゼロかよ! あとハウリング気にするな!)
京介は、姿も見せずに捨て台詞を吐く「自称」知将に、心底呆れた視線を送った。
だが、そんな雑魚の捨て台詞など、我らが狂戦士キョウには、蚊の羽音ほどの影響も与えなかった。
キョウは、光に変わりゆくレッドの残滓に一瞥もくれず、まるで戦闘などなかったかのように、くるりと踵を返した。
そして、テラスの奥にある、さらに下層へと続く螺旋階段に向けて、何事もなかったかのように歩き出したのだ。
(おまっ、もう少し余韻とか……! 勝利のポーズとかないのかよ! 切り替え早すぎるだろ!)
京介が、アバターのドライすぎる反応に戸惑っていると、彼の視界一杯に、待ちに待ったファンファーレと共に、金色の文字が躍り出た。
ファンファーファンファーファーン!
【強敵:マモルンジャーレッドを討伐しました!】
【経験値を獲得しました!】
【キョウのレベルが 100 に上がった!】
(100!! 来た! ついに大台だ!)
レベル100。
多くのMMORPGにおいて、一つの到達点とされるレベル。
京介の心臓が、早鐘を打つ。
さあ、どうなる。
STRはカンストした。
SPDもカンストした。
VITとDEFは、あの狂戦士から奪った分がある。
ならば、次は。
次こそは……!
【ステータスポイントを割り振ります】
京介は、祈った。
神よ、仏よ、運営よ。
どうか、この哀れな受験生に、知性を。
【INTに全ポイントを割り振りました】
時が、止まった。
京介は、その文字を、何度も、何度も読み返した。
INT。
Intelligence。
知能。知性。理解力。
(きたーーーーーーっ!!!!!)
京介の魂の絶叫が、アバターの内部で爆発した。
(やっときた! INTだ! INT! これで、これで僕の脳みそにシワが刻まれる! ゴリラからの卒業だ!)
あまりの喜びに、京介の思考回路は、若干ショートしていた。
(ぐへへへ……。INTが上がれば、きっとこのアバターでも勉強ができるはずだ……。レッドみたいに喋れるようになるかもしれない……。そしたら、まずは因数分解だ……。いや、英単語の復習からか……? あひゃひゃ……夢が広がるなぁ……)
京介が、アバターの内部で、不気味な笑みを浮かべながら、あらぬ方向へと思考を飛ばしていると、隣を飛んでいたポヌルが、怪訝そうな顔でキョウの顔を覗き込んだ。
「……おい、京介。なんか急に、顔つきが賢そうに……いや、逆にアホっぽくなった気がするニャ。大丈夫かニャ?」
しかし、京介にはポヌルの声など届いていなかった。
彼は今、無限の知性の海(実際は20/999ポイント程度)に溺れているのだから。
キョウを先頭に、ロジック、チョットツ、リアリー、そしてその他大勢の「破壊神の信徒」一行は、テラスを後にし、螺旋階段を降り始めた。
目指すは、遥か眼下に見える、紅蓮の光。
奈落の底――希望の地、セーブポイント。
ついに、京介の悲願である「セーブ」が、目前に迫っていた。
そして、レベル100となり、待望のINTを手に入れた狂戦士キョウに、一体どのような変化が訪れるのか。
それは、まだ誰にも分からない。
ただ一つ確かなことは、このクソゲーの理不尽は、レベル100程度で終わるほど、生易しいものではないということだけだった。




