第7話 偶然のクエストクリア
「荒ぶる開発神」という、あまりにも不名誉かつ誤解に満ちた称号を背負い、我らが狂戦士キョウは再び魔王城へと向かっていた。HPは、岩との死闘(?)の末に残り「1」。もはや、道端の小石につまずいただけでゲームオーバーになりかねない、風前の灯火である。
(もうだめだ……。僕の精神はとっくに限界を超えている……。いっそこのまま、早くミノタウルスに吹き飛ばされて楽になりたい……)
先師京介の思考は、完全にネガティブの沼に沈んでいた。度重なる理不尽な死と復活のループは、真面目な受験生の心を蝕むには十分すぎる劇薬だったのだ。
そんな京介の絶望を乗せて、キョウが鬱蒼とした森の中へと足を踏み入れた、まさにその時だった。
ファンファーファンファーファーン! ファンファンファン、ファーン!
突如として、あたりに壮大なファンファーレが鳴り響いた。それは、どんなRPGでもプレイヤーの心を高揚させる、クエスト達成を知らせる祝福のメロディだった。
その音に、今まで猪突猛進を地で行っていたキョウが、ピタリと足を止めた。そして、音の出所を探すかのように、キョロキョロと辺りを見回し始めたのだ。
(お、止まった? なんだこの音は?)
京介が戸惑っていると、隣を飛んでいたポヌルが、したり顔で解説を始めた。
「これは、クエストをクリアした時に流れる音楽だニャ。どうやら、何かを成し遂げたらしいニャ、この脳筋が」
ポヌルの言葉と同時に、京介の視界の前に半透明のウィンドウがポップアップした。そこには、くっきりとこう書かれていた。
【クエストクリア!】
(なに? 何のクエストをクリアしたんだ? 僕たちはただ、村を破壊して、岩を殴って、魔王城に突撃しようとしていただけだぞ?)
京介の疑問に答えるかのように、ウィンドウの表示が切り替わる。
【ユニーククエスト:村人の長年の悩みを解消せよ!】
【達成条件:村の老人たちを苦しめるリウマチの原因を取り除き、癒やしの場を提供する】
【達成!】
「温泉かいッ!!」
京介のツッコミが、脳内に木霊した。まさか、あの気まぐれで殴り壊した岩から湧き出た温泉が、村の老人たちのリウマチを癒すという、壮大なクエストのクリア条件だったとは。
(そんな隠しクエスト、誰が発見できるんだよ! 街道脇の岩を素手で、反動ダメージを受けながら殴り壊すのが正規ルートだと!? このゲームの開発者はプレイヤーにゴリラか何かになることを求めているのか!)
あまりの理不尽なクエスト内容に眩暈を覚えていると、さらにウィンドウの表示が更新された。
【クエストクリア報酬:100,000,000ゴールド】
(報酬の桁がインフレーションを起こしてる! 僕が今まで勉強してきた経済学の常識を根底から覆す気か!)
京介は、今度こそ声に出して叫びそうになった。一億ゴールド。ゼロの数が多すぎて、もはや現実味がない。国家予算か何かなのか。この世界の物価はどうなっているんだ。たかが一介の村のクエストで、これほどの報酬が支払われるなど、ゲームバランスという概念が存在しないのだろうか。
キョウは、鳴り響くファンファーレとウィンドウの表示に満足したのか、キョロキョロと辺りを見回すのをやめた。そして、くるりと踵を返し、再び魔王城のある方角へ向かって走り出そうとした。
(まあ、なんだ……。理不尽ではあるけど、大金が手に入っただけマシか……。これだけあれば、何か状況を打開するきっかけに……)
京介の思考が、ほんの一瞬だけポジティブに傾いた、その時だった。
世界で最も静かで、最も間抜けな死が、彼を訪れた。走り出そうとしたキョウの額が、前方に張り出していた低い木の枝に、コツン、と、あまりにも軽くぶつかったのだ。
【キョウは 1のダメージを うけた!】
【キョウのHP:1/150 → 0/150】
視界が、ゆっくりと暗転していく。あまりにも呆気ない、史上最も間抜けなゲームオーバー。京介の意識が遠のく中、彼の魂の叫びだけが、虚空に響き渡った。
「周りをよく見ろおおおおおおお!!」
◇
白い光と共に、京介の意識は始まりの村へと引き戻された。もはや、この光景にも何の感慨も湧かない。
しかし、今回は一つだけ、決定的に違う点があった。彼のステータス画面に表示される所持金額である。
【所持金:50,000,000ゴールド】
「一瞬で5千万ゴールドが消し飛んだニャ……。デスペナルティで所持金が半減する仕様とはいえ、VRMMO史上最速、最高額の浪費だニャ。お主はもはや伝説の浪費家だニャ」
隣で復活したポヌルが、心底呆れたように言った。京介もがっくりと膝を折った。ログインしてからまだ数時間。その間に、一億ゴールドを稼ぎ、その半分を木の枝一本で失ったのだ。こんな経験をしているプレイヤーは、全サーバーを探しても彼一人だろう。
だが、京介はすぐに気を取り直した。
「……でも、まだ5千万ゴールド残ってる! これだけあれば、最強の装備を揃えられるはずだ! よし、ポヌル! 武器屋と防具屋に案内してくれ!」
そうだ、まだ希望はあった。金さえあれば、この理不尽な状況を打開できるかもしれない。レベル1でも、最高の装備を身につければ、ミノタウルスに一矢報いることができるかもしれない。
京介の目に、再び闘志の炎が宿った。しかし、そんな彼に、ポヌルは冷や水を浴びせるように、残酷な事実を突きつけた。
「それは名案だニャ。だが、一つだけ、宇宙の真理と同じくらいどうしようもない問題があるニャ」
「なんだよ!」
「キョウは『ウガァ』としか話せないニャ。店主の前でカウンターを拳で叩き割りながら『ウガァ!』と叫んで、一体何を買うつもりニャ?」
「…………はっ」
京介の思考が、完全に停止した。
そうだ。このアバターは、まともなコミュニケーションが取れないのだ。武器屋のカウンターで「ウガァ! ウガァァァ!」と叫んだところで、店主は困惑するか、あるいは警備員を呼ぶだけだろう。身振り手振り? この制御不能な狂戦士が、そんな器用な真似をできるはずもなかった。
5千万ゴールドという大金。
最強の装備を手に入れるための、無限の可能性。
その全てが、今、目の前にあるというのに、それに手を伸ばす術がない。
それは、あまりにも、あまりにも残酷な現実だった。
「億万長者なのに無一文と同じだああああああああああああ!!」
京介の絶望の叫びが、のどかな村に響き渡る。
そんな彼の苦悩など露知らず、狂戦士キョウは、再び魔王城を目指して、元気に村を駆け出していくのだった。
このあまりにも理不尽で、あまりにも滑稽な一連の出来事が、VRMMO「ミステイク・ダストボックス・オンライン」の公式フォーラム、その片隅で、新たな伝説の火種として投下されたことを、京介は知る由もなかった。




