第75話 中間地点
ドゴォッ!
キョウの、もはや神速の域に達した拳が、通路の暗闇から飛び出してきたモンスター【シャドウスパイダー(亜種)】とかいう、どうでもいい名前の雑魚を、壁ごと粉砕した。
レベル99。STRゴリラ、SPDカンスト、おまけにVITとDEFにも200ポイントが加算された、この「高速脳筋ゴリラ(当社比:ちょっとだけタフ)」 にとって、もはやこの程度の雑魚は、障害物ですらなかった。
キョウは、自らが倒したモンスターの残骸を一瞥だにすることなく、まるでそこが己が庭であるかのように、迷路のような薄暗い通路を、迷いなく進んでいく。
その後ろを、神の御業という名の、ただのオーバーキルに感嘆の声を漏らしながら、信徒たちがぞろぞろとついて行く。
(……正しい方向に進んでるのか、これ?)
アバターの内部で、先師京介だけが、一抹の不安を覚えていた。
先ほどの回転扉の先は、無数の分岐路が続く、悪趣味な迷路になっていた。
キョウは、本能の赴くままに右へ左へと進んでいるが、京介には、もはや自分が魔王城のどの辺りにいるのか、どこに向かっているのか、皆目見当もつかなかった。
頼みの綱のポヌルも、ロジックも、チョットツも、神が進む道こそが正解であると信じて疑わず、ただただ黙ってついてくるばかりだ。
(まあ、雑魚を一撃で倒せるようになったのは、いいんだけどさ……)
かれこれ30分は、このジメジメとした通路を歩き続けているだろうか。
京介は、最初こそ、この先に待ち受ける受験という名の現実のことで頭がいっぱいだったが、ふと、あることに気がついた。
10分ほど前から、ずっと、その疑問が頭から離れない。
京介は、隣を飛ぶポヌルに、心の声でそっと問いかけてみることにした。
(なあポヌル。さっきの、あの狂戦士のことなんだけどさ)
思考に耽っていたのか、ポヌルは、突然話しかけられて、ビクッ、と小さな肩を震わせた。
「な、何だニャ? 急に」
(いや……さっきは、あのワケの分からないダメージ計算とか、ロジックのトンデモ理論とか、リアリーの豹変とか、色々ありすぎて考える余裕もなかったんだけど……)
京介は、言葉を選びながら続けた。
(あの狂戦士……もしかして、僕みたいな『プレイヤー』だったんじゃないかなって……)
もしそうだとしたら、最悪だ。
あの訳の分からない「神vs悪しき心」とかいう茶番劇の果てに、自分と同じ「ログアウトできない被害者」が、装備を奪い取られ、レベルもリセットされたかもしれないとしたら。
京介は、想像するだに恐ろしい罪悪感に襲われた。
しかし、ポヌルは、その京介の懸念を、鼻で笑うかのように一蹴した。
「何だ、そんなことニャ。お主みたいなプレイヤーだったら、お主と同じように、アバターの内部から、うるさいツッコミが聞こえてくるはずニャ。アヤツからは、何にも聞こえなかったニャ。だから、プレイヤーじゃないニャ。安心するニャ」
(そうか……よかったぁ)
京介は、心の底から安堵した。
あの死闘が、もし「対人戦」だったとしたら、京介の良心が、リアル受験より先に限界を迎えていただろう。
「お主の、その無駄な優しさは評価するニャ。だが、今は自分の心配をした方がいいニャ」
(……だよな。……ところで、じゃあ、あの狂戦士は、一体何だったんだろう? どう見ても、そこらのモンスターじゃなさそうだったけど……)
京介が、当然の疑問を口にすると、ポヌルの歯切れが、急に悪くなった。
「……そうだニャ。まあ、あれは……その……なんだニャ。……たぶんこの城の、特殊な防衛システム、みたいなものニャ。うん。きっとそうだニャ」
(なんだよ、その歯切れの悪い言い方は……)
京介は、ポヌルが何かを隠していることに気づいたが、それ以上問い詰める前に、前方の景色が変わった。
暗く長い通路の先に、ぼんやりとした明かりが見えてきたのだ。
出口だ。
一行が、警戒しながらも出口を抜けると、そこは、驚くほど開けた空間だった。
まるで、城の壁面から突き出すように作られた、巨大なテラス。床は磨かれた黒大理石で、天井はなく、遥か上空には、この魔王城を覆う暗雲の隙間から、不気味な月明かりが差し込んでいる。
テラスの奥、正面には、さらに下層へと続く、巨大な螺旋階段が見える。
そして、一行がたどり着いた出口は、テラスの右端、禍々しい装飾が施された、腰ほどの高さしかない鉄製の柵のすぐ近くだった。
「……おい、あれを見ろ」
信徒の一人が、柵の向こう側を指差した。
その先は、数百メートルはあろうかという、巨大な吹き抜けになっている。そして、その遥か真下。
暗闇の底で、まるで地獄の灯火のように、一つのオーブが、不気味な紅蓮の光を放っていた。
京介が、ゴクリと唾を飲んだ、その時。隣にいたロジックが、そのオーブを冷静な目で見つめながら、静かに、しかし確信に満ちた声で言った。
「……間違いない。あれこそが、この魔王城の中間地点。噂に聞く『セーブポイント』ですね」
その言葉を聞いた瞬間、京介の心臓が、今までにないほど激しく高鳴った。
(セーブポイント……!)
京介は、柵越しに、その紅い光を食い入るように見つめた。
間違いない。あれこそが、この魔王城に入って以来、京介が心の底から渇望し続けた、唯一の希望。
(セーブポイントだ! やった! やっと着いたんだ! あそこまで行けば、セーブができる! もう、あの悪夢のレベル1リセットに怯える必要はなくなるんだ!)
レベル99。この、苦難と理不尽の果てにようやく手に入れた最強のステータスを、失わずに済む。
京介が、歓喜に打ち震えていると、その後方で、もう一人、別の意味で胸を高鳴らせている人物がいた。
リアリーだ。
彼女は、キョウとロジックが、二人並んで柵の前に立ち、遥か眼下の紅い光を、まるで夜景でも見つめるかのように眺めている、その光景を、恍惚とした表情で見つめていた。
(……ああ……! なんてこと……! 二人きりで【信徒達と猫もいます】、夜景【地獄の底だけど】を見つめる、ロジック様とマスター……! この、絶妙な距離感……! これよ! これなのよ! 妄想が……捗るわ……♡)
リアリーの、腐りきった妄想が最高潮に達した、まさにその時。
このパーティーで、最も空気を読まない男が、その場の静寂を打ち破った。
マスター護衛隊長、チョットツだ。
彼は、奥に見える下り階段に向かって、猛然と走り出した。
「セーブポイントだぜぇ! ヒャッハー!! 一番乗りは、このオレだぁぁぁっ!」
(あ、こら! 馬鹿! 罠があるかもしれないだろ!)
京介の、あまりにも真っ当な制止が、脳内に木霊する。
だが、その制止は、現実のものとなった。
チョットツが、階段の最初の一段目に足をかけた、その瞬間。
ドゴォォォォォン!!!
階段の入り口付近から、不可視の衝撃波のようなものが迸り、チョットツの巨体を真正面から捉えた。
「ぐはぁっ!!」
チョットツは、まるでホームランボールのように綺麗に吹っ飛ばされ、テラスの上を数回バウンドすると、ゴロゴロゴロ……と、無様に転がり、キョウの足元に、ピタリと停止した。
そして、その顔は、なぜか、恍惚としていた。
「……もっとー!!」
(なんで喜んでんだよおおおおおおおおっ!!!)
京介が、その鋼のドM精神に戦慄していると、階段の奥から、三つの影が、ゆっくりと姿を現した。
それは、禍々しい黒い甲冑を身に纏い、手には血に濡れたような巨大な戦斧を握りしめた、悪魔のような姿のモンスターだった。
「「「キシャアアアアアアアアアッ!!!」」」
三体の悪魔が、セーブポイントへの道を塞ぐように立ちはだかり、威嚇の声を上げた。




