第68話 11個の選択問題
シュゴオオオオオ…………。
先師京介の目の前で、先ほどまでこの世の理不尽を体現していた11体の中ボス【ティラノブースト】が、その巨体を維持できず、一斉に光の粒子となって消滅していく。
神々しいまでの光の粒子が降り注ぐ中、京介は、アバターの内部で、この世の真理に一つ近づいたかのような、静かな満足感に浸っていた。
彼の意識は、目の前の光景ではなく、自らの背後で蠢く、新たなる可能性の尻尾に集中していた。
(……いける。完璧だ)
京介の意志に呼応し、トゲ付きの尻尾が、まるで熟練の書道家が筆を走らせるかのように、滑らかに、そして正確に、虚空に複雑な軌跡を描き始めた。
e +1=0
(オイラーの等式も完璧に書けるぞ! 美しい……! 数学界で最も美しいとされるこの数式を、今、僕は尻尾で体現している……!)
レベル50の代償として手に入れた「精密操作用マニュピレーター」は、京介の尻尾を、ただの地味なサポート器官から、彼の知性を唯一表現できる、奇跡のインターフェースへと進化させていたのだ。
その光の粒子に包まれた神々しい(ように見える)光景を、後方で見守っていた信徒たちが、熱狂的な歓声を上げる。
「おお……! 見たか!」
「中ボス11体を、一瞬で……!」
「神の御業だ! 我らがマスターは、ついにこの世界の理を超越された!」
その熱狂の輪の中で、天才軍師ロジックだけは、獲物を見つけた狩人のような鋭い目で、京介が虚空に描いた数式を、必死で羊皮紙に書き写していた。
「……! まただ! マスターが、我々に新たなる『尻尾言語』を示されている! なんと……なんという複雑な軌跡! 以前の『神の聖鞭』とは、明らかに次元が違う! これは、この世界の根幹に関わる、新たな『啓示』に違いない! 解読には膨大な時間がかかるだろうが……必ずや、このロジックが、マスターの真意を解き明かしてみせますよ!」
(いや、それはただの公式だから。解読とかしなくていいから)
京介が、ロジックの相変わらずの暴走っぷりに、もはやツッコむ気力すら失いかけていると、やがて光の粒子が晴れた。
残された道は、キョウたちが入ってきたエレベーターの扉を除き、壁一面に並んだ11個の扉だけだった。
「ふぅ……」
京介は、尻尾の練習を終え、満足げに一息ついた。
(よし。公式も完璧に書けるようになったな)
「ここから先へ進むのに、選択肢は11個だニャ。公式なんか練習している暇はないニャ」
隣を飛んでいたポヌルが、呆れたように言った。
(ふっ……今の僕の尻尾にかかれば、どの扉が正解か、壁をコンコンと叩いて反響音を調べ、内部構造を解析することくらい……いや、それはさすがに無理か)
京介は、尻尾の進化によって、精神的にも、ほんの少しだけ強気になっていた。
(僕には選択肢はない。この超高速脳筋ゴリラが、本能の赴くままに進むだけなんだよな)
「まあ、それもそうなんだがニャ。効率を考えたら、端から順番に行った方が分かりやすいと思うのニャ」
京介とポヌルが話していた、まさにその瞬間。
キョウが、動いた。
京介が「あ」と思った時には、キョウは既に、右から4番目の扉の前に立っていた。SPDカンストの移動は、もはや残像すら残さない。
(やっぱりコントロール効かないよな! 速すぎて目で追えない!)
「マスターがお進みになるぞ!」
「続け!」
信徒たちも、神の不可視の移動に、もはや驚くこともなく、慌ててその後を追う。
一行が、ぞろぞろと扉の中へと入っていく。
そして、最後尾の信徒が入り切った、まさにその瞬間。
チンッ。
背後で、やけに安っぽい、間の抜けた音が響いたかと思うと、今入ってきたばかりの扉が、凄まじい勢いで閉まった。
ガシャコーン!
(え!? 閉まるの!? なにこの一方通行システム!? 道、選び直せないじゃん! もしこっちがハズレだったらどうするんだよ!)
京介が、このゲームの不親切設計に、再び絶望しかけた時、ポヌルが、やれやれといった様子で言った。
「もう進むしかないニャ。覚悟を決めるニャ」
一行は、薄暗い一本道の下り坂を、慎重に進んでいく。
やがて、通路の先に、開けた空間が見えてきた。
そして、そこにあったのは。
「な、なんだこれは……!?」
信徒の一人が、絶句した。
そこは、巨大な空間だった。だが、床がない。
いや、床はあるのだが、その床一面が、まるで巨大な工場のベルトコンベアか、あるいは巨大なルームランナーのように、目まぐるしく、前後左右、全く予測不能な方向へと、超高速で動き続けていたのだ。
ゴゴゴゴゴゴゴ…………!
地響きのような駆動音が、空間全体に響き渡る。
この、悪趣味極まりないトラップ地帯を、どうやって突破しろというのか。
一行が、そのあまりの理不尽さに立ち尽くしていた、まさにその時。
このパーティーで、最も頼りになり、そして最も頼りにしてはいけない男が、一歩前に出た。
「行くぞぉ!!」
我らがマスター護衛隊長、チョットツだ。
「オレに任せてください! こんなフニャフニャした床、オレの突進で、真正面からぶち抜いてやりますぜ!」
(やめろ! 絶対に変なことになる! そのセリフは、典型的な死亡フラグなんだよ!)
京介の、あまりにも真っ当な制止も虚しく、チョットツは、巨大な盾を構えると、その高速で動く床に向かって、猛然と突撃を開始した。
ドッ!
チョットツの巨体が、動く床に着地した、その瞬間。
「ぐおおおおおおおっ!?」
彼の巨体は、凄まじい勢いで、右に! 左に! 前に! 後ろに!
まるで、カクテルバーテンダーの手にあるシェイカーの中身のように、激しく、激しく揺さぶられ始めた!
「あ、あれ!? 目が、目が回るううううううううううっ!」
数秒後。
完全に平衡感覚を破壊されたチョットツは、シェイクされた中身のように勢いよく吐き出され、キョウの足元まで、ゴロゴロゴロ……と、無様に転がってきた。
ガシッ。
チョットツは、最後の力を振り絞り、キョウの屈強な足に、ガッシリとしがみついた。
「だ、だめでしたマスター……! こいつは、オレの突進でも、抜けられませんぜ……!」
その、あまりにも情けない姿。そして、野獣の足に、別の野獣がしがみつくという、あまりにもむさ苦しい光景。
その光景を、通路の入り口で見ていたリアリーが、ギリィ……! と、ハンカチを噛み締めた。
(ダメよ……! そんな、暑苦しい絵面……! マスターは、ロジック様のものなの! 野獣×野獣なんて、美しくないわ! 需要がニッチすぎるのよっ!)
リアリーの腐りきった心の叫びを知る由もない京介は、目の前のこの絶望的なギミックを、どうやって切り抜けるか、真剣に頭を悩ませるのであった。




