第65話 絶望の果て
ボコォォォッ!!!
(やめろおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっっ!!!!)
先師京介の魂の絶叫は、物理的な破壊音にかき消された。
狂戦士キョウの、STRカンストの拳が、青白く輝くオーブに深々とめり込んでいる。
ジッ、ジジッ! バチチチッ!
オーブの表面に蜘蛛の巣状の亀裂が走り、内部から青白い火花が激しく噴き出した。
どう見ても「タッチ」ではない。「破壊」だ。
しかし、このイカれた施設の管理システムは、これを正常な(?)申請と受理したらしい。
無機質な女性アナウンスが、部屋中に響き渡った。
『申請を確認しました。レベル50を対価に、精密操作用マニュピレーターを提供します。……レベルの徴収を開始します』
その瞬間、キョウの視界の端に表示されているステータス画面の数字が、動き始めた。
【50】
【49】
【48】
【47】
(う、嘘だろ!?)
京介はアバターの内部で、血の気が引くのを――いや、そもそも血肉を持たない電子の存在だが、それでも全身が凍りつくのを感じた。
(嘘だと言ってくれ! あれだけ! あれだけ苦労して、やっとの思いで手に入れたレベル51が! 死んでもいないのに、ただ変な玉に触っただけで、レベル1まで下がるなんて!)
非情なカウントダウンは止まらない。
まるで、砂時計の砂が落ちるように、京介の努力の結晶が、さらさらと流れ落ちていく。
【40】
【39】
【35】
【30】
(止まれ! 止まってくれ! 頼む!)
京介の脳裏に、現実世界の光景がフラッシュバックする。
受験まで、あと10日。
このクソゲーに閉じ込められてから、既に3週間が経過している。
食料や水も、おそらく残り10日程度だろう。
それまでにゲームをクリアしなければ、京介の人生は終わる。
(またレベル1からやり直し? そんな時間、もう残されていない!)
【25】
【20】
【15】
ゴトリ。
先ほどまで空中に浮いていたオーブが、完全に光を失い、ただの鉄屑のように床に転がった。
それを合図にするかのように、レベルの減少速度が、さらに加速した!
【10】
【8】
【5】
【3】
【2】
(ダメだダメだダメだダメだ! やめろ! 返せ! 僕のレベルを返せえええええええっ!!!)
京介の意識は、完全に絶望の暗い海へと沈んでいった。
もう、何も考えられない。
思考が、真っ白になる。
【1】
そして、ついに恐れていた数字が表示された。
終わった。全てが、終わった。
……そう、思った時だった。
「京介! おい、しっかりするニャ! 見るニャ!」
隣で、ポヌルの焦ったような声が聞こえた。
だが、京介は反応できない。
(なんだよ……もう、どうでもいい……。好きにしてくれ……。僕はもう疲れたんだ……)
「そうはいかないニャ! 大変なことになってるニャ! レベルが! レベルが『下がった』ニャ!」
(そんなの、わかってるよ! だからもう放っておいてくれって!)
「違う! よく見るニャ! 『下がりすぎてる』のニャ!」
(……は?)
ポヌルの切迫した声に、京介は、重いまぶたを無理やりこじ開け、再びステータス画面を見た。
そして、我が目を疑った。
【−10】
(……はあああああああ!?)
レベルが、1で止まっていない。
マイナスに突入している!?
【−30】
【−50】
【−100】
(なんだこれは! どうなってるんだ!? 『レベル50を対価に』って言ってただろ! なんで50引いた時点で止まらないんだよ! 詐欺か! いや、バグか!? これ以上の絶望を味わわせるつもりかよ!)
数字は、もはや目にも止まらぬ速さで減少――いや、負の方向へ加速していく。
【−1000】
【−30000】
【−50000】
【−65535】
数字が、ピタリと停止した。
一瞬の静寂。
次の瞬間、視界全体が真っ赤に染まり、けたたましいアラート音が鳴り響いた!
『ピピピッ! error.ステータス異常を検出。数値が規定範囲外です。ステータスを初期値に戻せません。スタックオーバーフロー……えーっと、計算できません。面倒なので、レベル99にしときますね(意訳)』
(え……? 面倒なので……? 99……?)
ザザッ、ザザザッ!
ノイズが走り、ステータス画面が再構築される。
そして、そこに表示された数字は、京介の予想の遥か斜め上空をいくものだった。
【レベル99】
(…………はい?)
【ステータスポイント900を獲得しました】
(きゅうひゃく!?)
オーバーフロー。
それは、コンピュータが扱える数値の限界を超えた時、一周回ってありえない数値になってしまう現象。
まさか、この最新VRMMOで、そんなレトロゲームのようなバグが発生するなんて!
(レベル99……! 一気に最強!? やった……のか!?)
地獄から天国へ。あまりの急展開に、京介の思考が追いつかない。
だが、このゲームの「悪意」は、まだ終わっていなかった。
【獲得したステータスポイント900を、自動割り振りします】
(えっ、ちょっ、待っ……!)
【対象:SPD(素早さ)】
(やめろおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!!!!)
【全900ポイントを、SPDに割り振りました】
【SPDが上限値に達しました!】
【称号:『神速の狂戦士』を獲得しました】
(上がりすぎだろおおおおおおおっ!!! なんでだよ! なんでまた極振りなんだよ! 少しはVIT(耐久力)とかINT(脳みそ)に振ってくれよ! 死ぬぞ!? こんな紙装甲でスピードだけ速かったら、壁にぶつかって死ぬぞ!?)
京介の魂のツッコミが虚しく響き渡る中、全身にみなぎる未知の力(主に脚力)を感じたキョウが、天に向かって勝利の雄叫びを上げた。
「ウガァァァァァァァッ!!!」
その、あまりにも力強い咆哮に、ポヌルがニヤリと笑い、待ってましたとばかりに翻訳した。
「『見よ! これぞ我の計算通り! この大いなる力を得るために、あえてオーブを破壊したのだ!』……と、マスターは高らかに宣言しておられるニャ!」
「おおおおっ!!!」
その言葉に、ロジックが、感動で打ち震えながら、深く跪いた。
「なんと……! あのオーブの暴走すらも計算に入れておられたとは……! やはりマスターのお考えは、我々凡人には到底計り知れない、深淵なものなのだ……!」
「さすがマスター!」
「一生ついていきます!」
信徒たちが、涙を流してキョウを崇める。
(違う! 計算なんてしてない! ただのバグだ! 結果オーライなだけだ! ていうか、これ、本当に大丈夫なのか!? 制御できる気が全くしないんだけど!?)
レベル99。STRカンスト、SPDカンスト。
最強にして最凶の、制御不能な暴走高速ゴリラが、ここに爆誕してしまったのである。




