第64話 究極の選択
ザアアアァァァァ…………。
(ああ……セーブポイントが……僕の、たった一つの希望が、遠ざかって行く……)
先師京介は、冷たい濁流に全身を揉まれながら、アバターの内部で、完璧なまでに絶望に打ちひしがれていた。
つい先ほど、中間地点は「上流」だと、モルクに高らかに宣言されたばかり。
そして今、我々、破壊神の信徒御一行様は、その中間地点とは真逆の「下流」に向かって、猛烈な勢いで流されている。
レベル51。
ミノタウロスと壺割りを延々と繰り返すという、苦行の果てにようやく手に入れた、このレベル。
これを失うわけにはいかない。絶対に。
そのためには、何としてもセーブポイントにたどり着かなくてはならないというのに、現実はあまりにも非情だ。
ふと、視界の端に、この状況で唯一、優雅な存在を感じた。
(……ポヌル)
そう。我らが神通訳担当の妖精猫は、濁流の上空を、何事もなかったかのように、ふわふわと飛んでついて来ている。
(お前は飛べていいよな。こっちは、このクソゲーの物理演算に忠実な水流に、なすすべもなく流されてるっていうのに)
京介が、心の底から滲み出た本音を、恨めしげにぶつけると、ポヌルは、京介の思考を完全に読み取り、的確な返事を寄越した。
「羨ましいニャ? だがニャ、京介。もし吾輩が飛べなかったら、そもそも、ここまでお主について来れてないニャ。そうしたら、お主は今も、あのミノタウロス戦と、壺割りを延々と繰り返してるニャ。そう、今よりもっと絶望したままなのニャ」
(……今も絶望のさなかだけどな!)
ポヌルの謎の慰め(?)は、京介の絶望ゲージを、さらに一段階深く抉った。
ここは魔王城の地下深く。当然、光源など一切ない。
信徒たちが持っていた松明も、水路に落ちた瞬間に、儚い音を立てて消え失せた。
完全な暗闇の中、ただ轟々という水音だけが響き渡る。
流れ着く先がどこなのか、全く見当もつかない。
だが、一つだけはっきりしていることがある。
あれだけ必死に目指したセーブポイントから、強制的に遠ざけられた先にある場所だ。
碌でもない場所であることだけは、確定している。
どれほどの時間が経過しただろうか。
体感では十分、いや、三十分は流された気がする。
その間、京介は、ただただセーブポイントのことだけを考えていた。
(もし、ここで死んだら……? またレベル1から……? いやだ、それだけは……)
と、その時。
先ほどまで激しかった水流が、徐々に、しかし確実に、緩やかになってきていることに気がついた。
(……止まる? そろそろ、この水路の終点か?)
やがて、水の勢いは完全に殺され、一行は、広い場所へと押し出された。
ロジックやチョットツが、何とか体勢を立て直し、水から上がる音がする。
キョウもまた、濡れた床に着地していた。
「……ここは?」
ロジックが、警戒を含んだ声を上げる。
その声に反応するように、京介も周囲を見渡した。そして、絶句した。
そこは、先ほどまでの、ゴツゴツとした岩肌の洞窟や、中世ヨーロッパ風の石造りの城とは、あまりにも不釣り合いな場所だった。
体育館ほどもある、だだっ広い空間。
床も壁も、滑らかな金属のような素材で覆われている。
そして、この部屋の周囲をぐるりと取り囲むように、先ほど我々が流されてきた水路が続いており、その水底が、ぼんやりと青白く光っていた。
その青い光が、唯一の光源となり、この異様な空間を照らし出している。
正面の壁は、まるで映画館のスクリーンのような、一面の巨大なディスプレイになっていた。
そして、向かって左側の壁面には、明らかに「自動ドア」としか思えない、金属製の扉が設置されている。
ファンタジーVRMMO「ミステイク・ダストボックス・オンライン」の世界観はどこへ行ったんだ。
京介が、あまりの場違いな光景に混乱していると、一行の中で、唯一この状況を冷静に(?)分析できる存在が、その異様さを口にした。
ポヌルだ。
「この部屋の基本設計は、明らかに魔王城のものではないニャ」
ポヌルの言葉に、信徒たちがゴクリと唾を飲む。
その視線の先。
部屋の中央には、直径1メートルほどの、青白く光る球体――オーブが、静かに宙に浮いていた。
一行の知性担当、ロジックが、その不可解なオーブに、恐る恐る近づいていく。
彼が、オーブまで残り数メートルという距離まで踏み込んだ、その瞬間。
ブゥゥゥン…………。
静かな起動音と共に、正面の壁、一面を覆っていた巨大ディスプレイが点灯した。
そこに、英語の文字列が、ゆっくりと表示される。
『I offer you a Precision Manipulator... for the price of Level 50. Touch the orb.』
そして同時に、どこからともなく、抑揚のない、女性の声の日本語アナウンスが響き渡った。
『レベル50と引き換えに、精密操作用マニュピレーターを提供します。オーブに触れて下さい』
「「「「…………」」」」
一瞬の静寂。
その静寂を破ったのは、京介の、アバターの内部で響き渡った絶叫だった。
(レベル50だって!? 今、この僕が、受験の為に、大切に守り抜こうとしている、このレベルを差し出せと? 冗談じゃないぞ! こっちが、どれだけ苦労して、 レベル51まで上げたと思ってるんだ! それを、なんだ!? 精密操作用マニュピレーター? そんな得体の知れない物と、交換できる訳ないだろ! リスクがデカすぎる!)
京介が、あまりの理不尽な選択肢に、血管がブチ切れる勢いで激昂していると、そんな京介の心労など知る由もない、一行の変態担当が、斜め上の解釈を披露した。
「マヌケレーダー、だと……!? ほほう! マヌケが近くにいたら反応する、というのは、実に便利だな!!」
(あんたに反応しっぱなしになるわッ!!)
京介のツッコミが、音速で突き刺さる。マニュピレーターだ! マヌケレーダーじゃない!
そんなチョットツの隣で、ロジックは、腕を組み、真剣な表情でディスプレイの文字とオーブを見つめている。
「……マニュピレーター。直訳すれば『操作機』。おそらくは、ロボットアームのような、精密な作業を可能にする装備か……。なるほど」
ロジックは、何かを深く納得したように頷いた。
「『精密な操作』……それは、すなわち、マスターの『聖鞭』に通ずるものがありますね。もしや、これを手に入れれば、我々も、マスターのあの神懸かり的な尻尾捌きに、一歩近づけるのかもしれない……」
(違う! 何、本気で検討し始めてるんだよ! レベル50だぞ!? あんたらのレベル、今いくつだよ! そもそも、キョウの尻尾は聖鞭じゃない!)
信徒たちが、各々の解釈で盛り上がり始めた、その時。
それまで、部屋の入り口で、濡れた床を眺めていた狂戦士キョウが、ゆっくりと動き出した。
向かう先は――部屋の中央、青白く光るオーブ。
(あ……)
京介の背筋を、氷水よりも冷たい汗が、タラリと流れ落ちた。
(待て。待て待て待て! やめろ! そっちに行くんじゃない! それは、この世で一番ヤバい玉だ! 良い子だから、離れなさい! ス・ト・ッ・プ!)
京介は、必死に、操作可能な唯一の部位である「尻尾」を振り回し、床をバシバシと叩いた!
その音は、静かな部屋に虚しく響き渡る。
だが、キョウは、そんな京介(尻尾)の必死の抵抗など、全く気にする素振りも見せず、オーブに向かって、真っ直ぐに歩き続ける。
(なんでだよ! なんで、こういう、一番触っちゃいけない物に、お前は興味を持つんだよ!)
京介がパニックに陥っている間、その隣で、ポヌルが、ニヤリと笑いながら、小さな声でつぶやいた。
「ああ、これはもう止まらないやつニャ。好奇心カンストの狂戦士が、光る球体をスルーする訳ないニャ。……よし。どうせ止まらないなら、いっそ、面白い方向へ誘導してやるニャ」
ポヌルの不穏なつぶやきは、必死すぎる京介の耳には、全く届いていなかった。
そして、ついに。
キョウは、オーブの真ん前で、ピタリと立ち止まった。
彼は、その青白い光を見つめると、腹の底から、高らかに叫びながら、その拳を、天に振り上げた。
「ウガァァァァァァァァッ!!!」
その雄叫びを聞いた瞬間、待ってましたとばかりに、ポヌルが、完璧な「誘導翻訳」を叫んだ。
「『レベル50ごとき、くれてやる! このマニュピレーターとやらを手に入れて、我が聖鞭を、さらなる高みへと押し上げてくれるわ!』……と、マスターは仰せだニャ!」
「「「おおおおおおおっ!!」」」
ポヌルの捏造された神託に、ロジックと信徒たちが、この日一番の熱狂に包まれる!
「マスター! さすがです!」
「レベル50を、対価として差し出すことを、一瞬たりとも躊躇われないとは!」
「これぞ破壊神!」
(違う! 躊躇いまくってる! こっちは血の涙を流して止めてるんだよ!)
熱狂する信徒たちが見守るなか、狂戦士キョウは、振り上げた拳を、何の躊躇もなく、青白く光るオーブへと叩き込んだ!
ボコォォォッ!!!
(やめろおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっっ!!!!)
京介は、キョウの拳がオーブにめり込む光景を、全てがスローモーションのように感じながら、見ていることしかできなかった。




