第60話 通路の見つけ方
「…………」
先師京介は、目の前に広がる光景に、もはや言葉を失っていた。
通路。通路。通路。
壁一面を埋め尽くすように、等間隔で穿たれた、無数の通路。その数、ざっと見積もっても百や二百ではきかない。
(こんなのどうしろって言うんだよ! なんだこの選択肢の数は! 志望校の赤本の、どの難問よりも悪質だぞ! というか、全部同じに見える! これじゃあ、どの通路が正解か、分かるわけないじゃないか!)
京介が、あまりの理不尽さに頭を抱えていると、信徒たちも、さすがにこの異常な光景に絶句し、ざわつき始めていた。
「な、なんだこれは……!」
「ど、どの通路が正解なんだ……?」
「まさか、この全てが罠……?」
絶望的な空気が一行を包み込む。京介は、この状況で唯一、まともな(?)会話ができる相手に、藁にもすがる思いで問いかけた。
(ポヌル! お前、何か知らないのか!? こんな悪趣味な部屋、このクソゲーの仕様に詳しいお前なら、何か知ってるだろ!)
京介の必死の問いかけに、しかし、隣を飛んでいたポヌルは、困ったように小さな前足で頭を掻いた。
「うーん……。さすがに、こんな開発者の手抜きが凝縮されたような裏ルートの構造までは、知らないニャ。完全に詰んだニャ、これ」
(詰んだニャ、じゃないんだよ! お前が頼りなんだぞ!)
京介が、唯一の希望の糸が切れたことに絶望しかけた、まさにその時だった。
遥か上空、先ほどチョウ・メードの声が響いてきた天井から、ひらり、ひらりと、何か白いものが、ゆっくりと舞い落ちてきた。
それは、まるで木の葉が風に舞うかのように、不規則な軌道を描きながら、一行の中心へと降下してくる。
「ん? なんだあれは!?」
信徒の一人が気づき、全員が天を仰ぐ。
その白いものは、重力に従い、ゆっくりと、ゆっくりと……そして、なぜか吸い寄せられるかのように、このパーティーで最も脳筋な男、チョットツの足元に、ふわりと着地した。
それは、なんの変哲もない、A4サイズの安っぽいコピー用紙だった。
「おおっ!」
チョットツが、まるで神からの啓示でも受け取ったかのように、その紙を恭しく拾い上げた。そして、そこに書かれた文字を一瞥すると、カッと目を見開き、歓喜の声を上げた。
「謎解きだ! ロジック殿! これは謎解きですぜ! 多分この謎を解けば、正解の道が分かるに違いない!」
(また謎解きかよ……! ワンパターンだな、このクソゲーは!)
京介が、このダンジョンの設計思想の欠如に、不毛なツッコミを入れていると、天才軍師ロジックが、眼鏡をクイッと押し上げながら、チョットツに向けて静かに言った。
「ほう? 『謎解き』ですか。興味深い。……チョットツ君、その紙に書かれている内容を、我々にも聞こえるよう、読み上げてください」
「はい! お任せください!」
チョットツは、まるで授業中に音読を指名された小学生のように、ピンと背筋を伸ばし、元気のいい返事をした。そして、全員にはっきりと聞こえる、やけに通りの良い大きな声で、手に持ったA4用紙に書かれている内容を、朗々と読み上げた。
「えー……。『バカはバカでも、憎めないバカはだーれだ?』……以上であります!」
(お前だーーーーーーーーーーーーーーーーっ!!!!)
京介は、アバターの内部で、本日最大級のボリュームで絶叫した。なんだその謎解きは! なぞなぞですらない! ただの悪口か!
京介が、あまりのくだらなさに激しい目眩を覚えていると、ロジックは、腕を組み、心底真剣な表情で、その「謎」について考察を始めていた。
「……なるほど。『バカ』の定義から、論理的に再構築する必要がありそうですね。『憎めない』という属人性の高い形容詞を、いかに客観的な指標に落とし込むか……。例えば、行動原理における『利他性』と『自己満足』の比率、あるいは『失敗』から生じる『周囲への被害』と『意図せぬ利益』の相関関係か……。ふむ……これは、なかなか骨が折れそうだ」
(本気で解こうとすんなよ! 100パーセント、あのチョウ・メードとかっていうエセ四天王の嫌がらせだろ! あいつ、さっき自信作の精神攻撃装置を僕の尻尾で壊されて、まだ根に持ってやがるんだ!)
京介が、このパーティーの知性担当と脳筋担当の、絶望的なまでの知性のズレに頭を抱えていると、今まで退屈そうにしていたキョウが、ふと「ウガッ」と短く吠えた。
その一言を、ポヌルが見逃すはずもなかった。彼は、すかさず前に出ると、完璧な同時通訳を開始した。
「『チョットツよ。グズグズしている暇はない。通路は無数にあるが、答えは一つ。とりあえず、正面に見えているあの通路にでも突っ込んでゆくが良い! さすれば道は開かれん!』……と、マスターは申しておられるニャ!」
その「神託」を聞いたチョットツの顔が、パアッと輝いた。
「おお! 分かりましたぜ、マスター! このチョットツ、マスターの『神撃』の『触媒』となったこの身! 今こそ、先陣を切って道を開いてみせましょう!」
チョットツは、巨大な盾を構えると、一行の真正面にあった、無数の通路のうちの一つに向かって、猛然と走り出した。
(……なるほど。とりあえず、あっちの脳筋に突入させてみて、様子をみるって作戦か)
京介は、ポヌルの機転の利いた、そして、あまりにも人柱的な采配に、内心で納得した。
「そうだニャ。こういうときは、考えても無駄ニャ。まずは行動あるのみニャ」
ポヌルが、片目を閉じて、いたずらっぽくウィンクしてみせた。
そして、次の瞬間。
猛然と通路に突入しようとしたチョットツの巨体が、まるで透明な壁にでも激突したかのように、急停止した。
バチコーン!
という、あまりにもマンガ的な、乾いた衝突音と共に。
チョットツは、叩きつけられたハエのように、一瞬だけ壁(?)に張り付いた後、そのまま、パタリ、と仰向けにその場に倒れた。その額には、衝突の衝撃でできた、見事なまでのでっかいたんこぶが、早くも鎮座している。
「(…………え?)」
京介とポヌルが、同時に間の抜けた声を上げた。
信徒の一人が、慌てて倒れたチョットツに駆け寄り、彼が突っ込もうとした「通路」の入り口を、恐る恐る手で触ってみた。
「……! こ、これは……!」
信徒は、信じられないといった表情で振り返り、叫んだ。
「絵です! この通路、壁に描かれた、めちゃくちゃリアルな『絵』です!」
(「絵!?」)
その報告に、京介とポヌルは、再び完璧なハモりを見せた。
慌てて信徒たちが手分けをして、壁一面に並んだ、無数の通路を一つ一つ調べ始めた。
「こっちも絵です!」
「ダメだ! これも絵だ!」
「あ、あった! ここだけ本物です! ここだけ、本当に穴が開いてます!」
どうやら、この悪趣味なトラップは、無数の「だまし絵」の通路に、たった一つだけ「本物の通路」を混ぜておくという、あまりにも古典的で、あまりにも悪質なものだったらしい。
「うう……。いてて……。マスター……オレ、やりましたぜ……。一番槍……務めやした……」
信徒たちに両脇を支えられながら、チョットツが、額のたんこぶを押さえ、フラフラの状態で立ち上がった。その顔は、なぜか達成感に満ち溢れていた。
一行は、ようやく見つかった「本物の通路」へと、足を踏み入れる。
(……セーブポイントは、まだか……)
京介は、脳筋のたんこぶと、天才のズレた思考という、非常に厄介な二つの頭痛の種を抱えながら、暗い通路の奥を、ただただ見つめることしかできなかった。




