第59話 不快な音
キィィィィィィィ………………
遥か下の、階段の底の暗闇から。
まるで、錆びついたブリキの鳥が、断末魔の叫びを上げているかのような、耳障りで、甲高い音が響き渡ってきた。
「な、なんだ今の音は……!?」
「モンスターの鳴き声か? だが、随分と不快な音だな……」
信徒たちが、ざわつき始める。その不安は、階段を降りるにつれて音が大きくなることで、さらに増幅されていった。
その、神経を逆撫でするような不協和音に、先頭を歩いていたキョウが、ピタリと足を止めた。そして、音のする方角に向かって、苛立たしげに唸った。
「ウガァァァァァァッ!!」
その野生の咆哮を聞き、キョウの隣を飛んでいたポヌルが、待ってましたとばかりに、大げさな身振りで「翻訳」を開始した。
「『静まれ! 我が信徒たちよ! この程度の不協和音で狼狽えるでない! 我の『神の聖鞭』が奏でる戦場の交響曲に比べれば、こんなものは赤子の夜泣きに等しい!』……と、申しておられるニャ!」
その、あまりにも都合の良い翻訳を聞き、後方で羊皮紙を広げていたロジックが、カッと目を見開き、何かを閃いたように深く頷いた。
(なるほど……! この音は、マスターの『神の聖鞭』の旋律と、何か深遠なる『対位法』を成していると……! 深い!)
(絶対に違う! ただ『うるせえ!』ってキレてるだけだろ、こいつは!)
京介のツッコミも虚しく、ポヌルの捏造された神託は、信徒たちの動揺を見事に鎮めてしまった。
◇
やがて一行は、階段の途中にある、小さな踊り場のような場所に出た。
そして、その不快音の発生源は、そこに鎮座していた。
それは、どう見ても、この魔王城の黒曜石のデザインとは全くそぐわない、ブリキのおもちゃのような、安っぽい機械だった。機械には、一枚の大きなすりガラスと黒板がはめ込まれており、錆びついた金属の爪が、凄まじい速度で回転しながらガラスと黒板の表面を引っ掻き続けていた。
キィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィッ!!!
(黒板ひっかくやつ! しかも機械仕掛けの! 原始的すぎるだろ、この精神攻撃は!)
京介が、そのあまりのセンスの無さに戦慄していると、遥か上空、天井に仕込まれたスピーカーから、あのノイズ混じりの声が響き渡った。
『フッフッフ……どうだ、愚か者ども! まいったか!』
声の主は、間違いなく、あの落とし穴の四天王、チョウ・メードだ。
『その音は不快だろう! この城に古くから伝わる、秘伝の精神攻撃装置「スクラッチ・ノイズ・ジェネレーター」だ! 貴様らのHPではなく、中のプレイヤーのMPを直接削り取ってくれるわ! 存分に味わえ! フハハハハ!』
(…………)
京介は、その、あまりにも小物臭漂う高笑いと、「メンタルポイント」という、このゲームに実装されているかも怪しい謎の単語を聞き、本日最大級の「イラッ」を覚えていた。まるで、試験勉強中に隣の部屋から聞こえてくる、中身のない深夜ラジオのDJの高笑いのように、神経を的確に逆撫でする。
ただでさえ、INTにポイントが振られず、SPD全振りという新たな絶望を抱え、セーブポイントも見つからず、イライラは最高潮に達しているのだ。
(……やかましいわ、このエセ四天王)
京介は、もはや喋るのも面倒だった。
彼は、無言で、自らの唯一の武器である「尻尾」に、ありったけの殺意と、先ほどレベルアップしたばかりのSPDを乗せた。
そして、その尻尾の先端に巻き付いた、ローズアーミーのトゲを、狙いすました一撃で、不快音の発生源である「すりガラス」のど真ん中に、叩き込んだ。
バキイイイイイイイイイイイイイイイイン!!!!
凄まじい破壊音と共に、すりガラスは粉々に砕け散り、回転していた金属の爪も、明後日の方向へと吹っとんでいった。
世界に、静寂が訪れた。
残されたのは、爪を失い、カシャ……カシャ……と、虚しく空転を続ける機械の残骸だけだった。
数秒間の、完璧な静寂。
そして、天井のスピーカーから、チョウ・メードの、完全に素に戻った、悲痛な叫びが響き渡った。
『あーーーーーーーーーーーーっ!!!! 何するんだよ! このバカ! アホ! 狂戦士! それ、昨日徹夜して作った、オレの自信作だったんだぞ! すりガラスの厚みとか! 爪の素材の選定とか! 一番プレイヤーのメンタルに響く周波数をチューニングするの、めちゃくちゃ苦労したんだからな!』
(知るか! そんなもん、開発室のゴミ箱にでも捨てとけ! こっちはお前の自信作より、一分一秒でも早くセーブポイントを見つけて、英単語の一つでも覚える方が大事なんだよ!)
京介は、四天王のあまりにも情けない悲鳴を完全に無視。
キョウも、まるで「うるさいのが静かになったな」とでも言いたげに、再び階段を降り始めた。信徒たちも、神の無慈悲な一撃に「おお……」と感嘆の声を漏らしながら、何事もなかったかのように後に続く。
『ま、待て! この先には、第二、第三のトラップが……! あれ!? みんな行っちゃうの!? ちょっと! 人の話を聞けってば! このままじゃ、オレの出番が……!』
四天王の悲痛な叫びは、もはや、誰の耳にも届いていなかった。
◇
不快な騒音から解放され、一行は、ついに螺旋階段の最下層へとたどり着いた。
彼らの目の前に広がっていたのは、京介の最後の希望すら打ち砕く、絶望的な光景だった。
(…………は?)
通路。通路。通路。
壁一面を埋め尽くすように、無数の通路が、等間隔で並んでいたのだ。
その数、ざっと見積もっても、百や二百ではきかない。
「な、なんだこれは……!」
「ど、どの通路が正解なんだ……?」
「まさか、この全てが罠……?」
信徒たちが、絶望に打ちひしがれる。
ロジックも、あまりの情報量の多さに、羊皮紙を落としそうになりながら、必死で分析を試みようとしていた。
「い、いや、待て……。この配列には、何か規則性があるはずだ……。フィボナッチ数列か? それとも素数か? いや、しかし、情報が……情報が足りない……! これでは、論理的な解を導き出せない……!」
京介は、その光景を前に、ただ、頭を抱えることしかできなかった。
(これじゃあ、どの通路が正解か、分かるわけないじゃないか……! なんだこの選択肢の数は! マークシート式のテストで、全問不正解になるよりも難易度が高いぞ!)
セーブポイントという希望の地から、遠ざかって行くのを感じるのであった。




