第58話 セーブポイントはまだ遠く
ロジックの慟哭と、キョウのレベルアップを告げるファンファーレが落とし穴の底に響き渡っている。
「マスターぁぁぁぁっ!!!」
ファンファーファンファーファーン!
【不動の鉄巨人(再)を討伐しました!】
【トラップ攻略ボーナスを獲得しました!】
【莫大な経験値を獲得しました!】
【キョウのレベルが 51 に上がった!】
アバターの内部で、先師京介の心は、ウユニ塩湖のようにどこまでも平坦だった。レベル50を超え、STRはカンストした。次はSPDに全振りが始まっている。
【STRは上限に達しています】
【獲得したステータスポイントを割り振ります】
【SPDに全ポイントを割り振りました】
「…………」
京介は、もう何も言わなかった。
怒りも、悲しみも、絶望すらも、通り越した。ただ、虚無だ。
このアバターの製作者は、どれだけ「速さ」が好きなんだ。INTというステータスが、このゲームには実装されていないのではないかと、本気で疑い始めた。
(もういい……。こうなったらSPDカンストまで成長すればいいだけだ……)
京介は、レベルアップのウィンドウを脳内から追い出すと、冷静に周囲の状況を確認し始めた。
信徒たちは、ロジックの「マスターは全てお見通しだったのだ!」という、いつもの勘違い解説に「おお……!」と感涙にむせび泣いている。
床には、鉄巨人が落ちてきた巨大な穴が、ぽっかりと口を開けていた。
(通路はどこだ?)
京介が、必死に現実逃避をしながら出口を探す。
しかし、壁には通路らしきものは見当たらない。
上を見上げれば、先ほど自分たちが落ちてきた天井の穴も、いつの間にか閉じられている。
開いていたとしてもジャンプして届く距離では到底ない。
(完全に閉じ込められた? チョットツのシールドバッシュで上に戻るのも無理そうだ。……まあ、あの人、まだ気持ちよさそうに寝てるし……)
チョットツは、先ほどの鉄巨人の落下にも気づかず、巨大な盾を枕に、大の字で幸せそうに寝息を立てていた。ある意味、最強のメンタルである。
(……ん?)
ふと、京介は、鉄巨人が落ちていった、あの巨大な穴の底を覗き込んだ。
暗くてよく見えないが、その穴の壁面に沿って、さらに下へと続く、螺旋階段のようなものが設置されているのが、かろうじて見えた。
(まだ下があるのかよ……)
京介は、深いため息をついた。
(セーブポイントから、どんどん遠ざかっている気がするな……。僕はただ、セーブがしたいだけなのに……)
彼の、あまりにも切実な願いが、脳内に木霊する。
すると、京介の絶望を察したのか、隣を飛んでいたポヌルが、やれやれといった様子で口を開いた。
「道はあそこしかないニャ。ため息をついている暇があるなら、とっとと先へ進むニャ」
その声は、心なしか、いつもより覇気がないように聞こえた。
(それもそうだな。前進というより、後退してる気もするけど……。ていうか、ポヌル。お前、さっきからなんでそんなに疲れてるんだ? この戦い、お前、何もしてないじゃないか)
京介が、素朴な疑問をぶつけると、ポヌルは、少しだけ間を置いて、ぷいっとそっぽを向いた。
「……飛ぶのも、結構疲れるのニャ」
(だったら歩けばいいのに)
そんな、あまりにもどうでもいいツッコミを京介が内心で入れていると、キョウが、京介の思考とは無関係に、穴の底へと続く階段に向かって、ゆっくりと歩き始めた。どうやら、彼も、他に道がないことを本能で認識したらしい。
その動きを見て、信徒たちが慌てて後に続く。
「マスターがお進みになるぞ!」
「続け!」
「おい! チョットツ隊長を起こせ!」
信徒の一人が、まだ大の字で寝ているチョットツの巨体を、必死に揺さぶる。
「チョットツさん! 起きてください! チョットツさん!」
「……ん……むにゃ……。だ、だめだ……それは、オレの大事な……ダンベル……」
(寝言まで脳筋かよ!)
京介がツッコミを入れた、その時。信徒が、最後の手段とばかりに、チョットツの耳元で叫んだ。
「警察だ! 警察が来ましたよ!」
「け、警察はやめてーーーーーっ!!」
ガバッ、と。
まるで悪夢から飛び起きたかのように、チョットツが絶叫と共に跳ね起きた。その顔は、恐怖で完全に引きつっている。
(まだ引っ張ってたのかよ! どんだけ深いんだよ、そのトラウマは!)
チョットツは、キョウがすでに階段の方へ向かっていることに気づくと、慌てて盾を拾い上げ、その後を追おうとした。
その時、古参タンクのガンジョーが、そっとチョットツの肩を叩き、静かに首を横に振った。
「落ち着け、チョットツ。マスターの前を遮るのは無粋というものだ」
ガンジョーは、キョウの少し後ろを歩くロジックに目配せすると、チョットツの巨体を半ば強引に制しながら、キョウのすぐ後ろ、しかし、決して邪魔にはならない絶妙な距離感を保って、階段を降り始めた。
(おお……! ガンジョーさん……! あんた、このパーティーの唯一のまともな人だ……!)
京介は、ガンジョーの、熟練タンクならではの完璧な位置取りと気配りに、心の中で喝采を送った。
チョットツも、ガンジョーのその静かな迫力に何かを感じ取ったのか、大人しくガンジョーの後ろについていく。
(よしよし、いいぞ。ガンジョーさん、その人が変なことをしないようにしっかり見張っててくれ……!)
京介が、ようやく訪れた束の間の平穏に安堵した、その時だった。
キィィィィィ………………
遥か下の、穴の底の暗闇から。
まるで、すりガラスを、爪で引っ掻くような、不快な鳥の鳴き声のような音が、響き渡ってきた。
(……なんの音だ?)
京介の背筋を、嫌な予感が走り抜ける。
セーブポイントへの道は、まだ、果てしなく遠いようだった。




