第56話 再戦
先師京介が、目の前の光景に目眩を覚えていた、まさにその時だった。
散歩中に『絶対に帰らない』と心に決めた柴犬、この世の全てを拒絶するかのような巨大な影が、ゆっくりと、ギギギ……と、錆び付いた関節を軋ませる音と共に、その巨体を起こし始めた。
天井に届きそうなほどの巨躯。鋼鉄の巨体。そして、その頭上に表示された、忌まわしき名前。
【不動の鉄巨人】
(デジャヴかな???? いや、完全にデジャヴだわコレ)
京介は、この短期間で二度も同じボスとエンカウントするという、運営の露骨な使い回し(あるいは、単なるバグ)に、もはや目眩を通り越して虚無を感じ始めた。
すると、遥か上空、鉄巨人の頭部から、前回と全く同じ、大地を揺るがすような重低音の声が響き渡った。
「ココカラサキヘ……イキタイナラバ……ワレヲ、タオシテユクガイイ」
一字一句、違わない。録音テープか、これは。
鉄巨人は、まるで台本でも読み上げるかのように、淡々と続ける。
「オマエタチノヨウナ、チイサキモノデハ、ワレヲタオスノハフカノウダ」
(知ってるよ! その台詞、もう聞いたよ!)
京介のツッコミも虚しく、鉄巨人は、このダンジョンの攻略において、最も致命的で、最も親切すぎる情報を、再び高らかに開示し始めた。
「ナゼナラバ……ワレノジャクテンハ、セナカニアル、コノ、アカイ、スイショウダケダカラナ。ココヲ、コウゲキスレバ、ワレハ、イチゲキデ、ホロビルゾ。ワカッタカ?」
(だから弱点を自分で言うんじゃない! しかも前回と一字一句変わらない、完璧なコピペ台詞じゃないか! 『小僧、また来たか』とか『以前のようにはいかんぞ』くらいの台詞を追加するとかっていう発想はなかったのかよ! 弱点も改修しろよ!)
京介の魂の絶叫が、脳内に木霊する。
しかし、その絶叫は、すぐに絶望へと変わった。
前回は、奇跡が起きた。京介が尻尾で弾いた小石が、壁や柱や盾や、果てはカエルの風呂桶にまで当たり、ありえない軌道を描いて、背中の水晶を直撃したのだ。
だが、今回はどうだ。
京介は、自らが立っているふかふかのクッションフロアを見下ろした。
(この床……全部クッション材だ……!)
跳弾など、到底起こりようがない。
(終わった……。終わったぞ……。あの奇跡は二度と起きない。この、弾力を吸収しまくる最悪のバトルフィールドで、どうやってあの巨人の背中を攻撃しろって言うんだ……!)
京介が絶望に打ちひしがれる中、ただ一人、いや、一体、この状況を全く理解していない脳筋が動いた。
我らが狂戦士キョウである。
彼は、目の前に巨大な敵が立ち塞がったという事実だけで、その闘争本能は臨界点に達していた。
「ウガァァァァァァァァッ!!」
レベル50、STRカンスト。その、もはや凶器と化したスペックを解放し、キョウは、前回と同じく、不動の鉄巨人に向かって猛然と突進を開始した。
その、あまりにも勇ましく、そして無謀な雄叫びを聞き、隣を飛んでいたポヌルが、完璧なタイミングで翻訳を入れる。
「『また懲りずに現れたのか、この鉄クズが。前回同様、正面から殴り続ければ、いずれ背中にも響こう!』……と、申しておりますニャ」
(だから、その脳筋理論は間違ってるって言ってるだろ!)
キョウは、鉄巨人の足元に到達すると、その巨大すぎる足首(という名の鉄の壁)に、渾身のパンチを叩き込み始めた。
ボカボカボカボカボカボカボカボカッ!!
STRカンストのパワーが込められた拳が、それでも必死に連続で叩き込まれていく。
しかし、京介の視界に表示されるのは、絶望的な数字の羅列だった。
【0】
【0】
【0】
【0】
【0】
【0】
(やっぱりだあああああ! レベル50になっても! STRがカンストしても! 弱点以外はノーダメージなのかよ! このボス、硬すぎるだろ! STRカンストの意味はどこにあるんだよ!)
京介は、このままではジリ貧だと悟り、万に一つの可能性に賭けることにした。
彼は、足元に奇跡的に転がっていた小石を見つけると、尻尾に全神経を集中させた。
(前回と同じようにはいかない……。床はダメだ。でも、もしかしたら、壁は……! 壁はクッションじゃないかもしれない!)
祈るような気持ちで、彼は尻尾を振り抜き、小石を弾き飛ばした。
小石は、綺麗な放物線を描き、広間の壁に激突した。
ぽすっ。
あまりにも、あまりにも軽い音だった。
どうやら壁面も、床と同じクッション材で完璧に覆われているらしい。
小石は、クッションの弾力に完全に殺され、力なくその場にポトリと落下した。
(……だよな。知ってた。やっぱりそう何度もまぐれは起きないよな……)
京介が、諦めの境地で天を仰いだ、その時。
後方で、この絶望的な戦況を、腕を組んで静かに見つめていた天才軍師ロジックが、カッと目を見開き、まるで真理を発見した預言者のように、震える声で叫んだ。
「……! そうか! そういうことだったのか!」
彼の声に、困惑していた他の信徒たちが、一斉に注目する。
「このクッション……! これは、我々が落下した時の衝撃を和らげるためのものではない! マスターが前回見せられた、あの『因果律操作レベルの神撃(奇跡の跳弾)』を、封じるためだけに設置された、対マスター専用のアンチフィールドだったのだ!」
(……え? いや、それは、結果論としては合ってる、のか……? いや、でも、そもそもあれはバグじゃ?……)
京介が、ロジックの珍しく正解しているかもしれない考察に困惑していると、ロジックは、さらに興奮した様子で続けた。
「つまり、この城の真の管理者……いや、このゲームの『運営』そのものが、マスターの『神撃』を恐れ、あえて我々をこのクッション部屋に誘い込み、マスターの最強の武器を封じ込めた上で、この鉄巨人をぶつけてきた! マスターは、もはや、この世界の『システム』そのものを、論理的にハッキングする力を持っておられるのだ!」
ロジックの壮大な(そして、やはりズレている)考察が、再び、信徒たちの間に、新たな緊張と、神への新たなる勘違い信仰を生み出していくのであった。




