第50話 復讐の右ストレート
キョウは、併願城の門を飛び出すと、一切速度を緩めることなく、見覚えのある荒野を一直線に走り始めた。その10メートルほど後ろを、ロジックを筆頭とする信徒たちが、必死の形相で追いかけていた。まるで、暴走する山車を必死に追いかける、祭りの曳手たちのようだ。
(ちょっと待て! お前、何処に向かっているんだよ!)
アバターの内部で、先師京介が叫ぶ。併願城の攻略は終わった。ならば、次は村に戻って作戦会議、というのが普通の流れだろう。しかし、このアバターに「普通」などという概念は存在しない。
京介が焦燥感に駆られていると、隣を飛んでいたポヌルが、ふむ、と顎に前足を当てて呟いた。
「キョウが向かっている場所の察しがついたニャ。おそらく此奴は……あの場所に向かっているニャ」
「あの場所って……まさか!」
京介の脳裏を、最悪の予感がよぎる。そして、その予感は、彼らが走り慣れた鬱蒼とした森へと続く道に出たことで、確信へと変わった。
幾度となく通った道。幾度となく絶望を味わった道。
この道の先にあるのは、一つしかない。
「魔王城……! ポヌル、お前の予想通り、こいつ、またミノタウロスのところへ向かっているぞ!」
「だろうと思ったニャ。一度『敵』と認識した相手は、倒すまで執拗に追い続ける。それが狂戦士の本能というものニャ」
今のキョウのレベルは46。対するミノタウロスの推奨レベルは50。
(レベルだけ見れば、かなり近づいてきた気がする……。でも、あれはあくまでパーティーでの推奨レベルだ! 単独で挑むなんて、自殺行為だぞ!)
レベル46まで、どれだけの苦労があったか。意図しない事故、勘違いの連鎖、そしてあの悪夢の豆腐シャワー……。それら全てが、ミノタウロスの一撃で、再びレベル1へとリセットされるかもしれないのだ。
(後ろから信徒たちは着いてきてる……けど、キョウのこのスピードじゃ、奴らが追いつく前に戦闘が始まってしまう! レベル60以上の精鋭部隊が追いつくまで、あのミノタウロス相手に、どれだけ時間を稼げるか……!)
京介はゴクリと唾を飲み込んだ。心臓が、嫌な音を立てて早鐘を打っている。
(一撃でも喰らえば、レベル1に逆戻りだ……! あの豆腐シャワーの苦労が水の泡になる……! 頼むから、無茶だけはしないでくれ……!)
京介の祈りも虚しく、キョウの足は、一切の迷いなく森の中を駆け抜けていく。
やがて、木々の切れ間から、あの忌まわしいシルエットが見えてきた。天を突くほど巨大な黒鉄の城門。そして、その前に立つ、絶望の象徴。
森を抜けたところで、キョウはふとスピードを緩めた。そして、まるで長年の宿敵との決闘に臨む剣士のように、ゆっくりと、しかし確かな足取りで、ミノタウロスへと歩みを進めていく。
(待て待て待て待て! 一回止まれ! 信徒たちが追いついてくるまで待てって! あと少しなんだから!)
京介が、必死に尻尾を振って「待機」のサイン(のつもり)を送る。だが、キョウは完全に無視。
一方、門の前に立つミノタウロスは、こちらに近づいてくるキョウの姿を認めると、「フンッ」と、侮蔑するように鼻を鳴らした。そして、まるで「またお前か」とでも言いたげに、ニヤリ、と口の端を吊り上げたのだ。
(うわっ……! 完全に舐められてる……!)
まあ、それも当然だろう。今まで、何十回もこの門番に瞬殺されてきたのだ。レベル1のまま、飽きもせず突撃してくる哀れな狂戦士。ミノタウロスにとっては、もはや暇つぶしのオモチャ程度にしか思っていないのかもしれない。
ミノタウロスは、その巨体には似つかわしくない、器用な仕草で、キョウに向かって、自らの左の頬を、巨大な人差し指でトントン、と叩いてみせた。
(……殴ってみろ、ってことか? 挑発してるのか、あれは……!)
京介は歯噛みした。確かに舐められるのは当然だ。だが、その挑発に乗ってはいけない。今は耐える時だ。信徒たちが追いつけば、勝機はある!
(頼む! 動くなよ、キョウ! 絶対に手を出すな! もう少しだけ……!)
京介が祈るような気持ちで後方を確認すると、森の出口から、ロジックやチョットツを先頭にした信徒たちが、ようやく姿を現したのが見えた。
(よし! 間に合った!)
京介が、勝利を確信した、まさにその瞬間だった。
ミノタウロスの挑発的な態度が、ついに狂戦士の本能の最後のタガを外したらしい。
「ウガァァァァァァァァァァァァァッ!!!!」
キョウが、今までにないほどの、凄まじい気迫のこもった雄叫びを上げた。レベル46、STR全振りの肉体が、まるで圧縮されたバネのようにしなり、ありったけの力が、その右拳に収束していく。
そして、それは放たれた。
ミノタウロスが、油断しきって差し出していた左の頬に向かって。
復讐の、渾身の右ストレートが炸裂する。
ボゴォォォォォォォォォォォォォッッッッ!!!!!!
かつてない、鈍く、重い衝撃音。
ミノタウロスの、山のように巨大な顔面が、まるで粘土細工のようにぐにゃりと歪み、スローモーションのように、左側へと吹っ飛んでいく。巨体はバランスを失い、背後にあった黒鉄の城門に激突。
ガッシャアアアアアアアアアアン!!!
城門が、まるで飴細工のようにグニャグニャに曲がり、ミノタウロスは瓦礫の中に埋もれていった。
(…………えええええええええええええええええええええええええええええええっっっ!!!!!!!!)
京介は、あまりの威力に、完全に思考が停止した。レベル46のSTR全振りパンチが、まさか推奨レベル50の門番を一撃で……?
京介が驚愕に目を見開いていると、後方から追いついてきた信徒たちが、その光景を目の当たりにし、熱狂的な歓声を上げた。
「「「おおおおおおおおおおおおおおおおっ!!!!!」」」
「マスター! 見事!」
「ついに、ついにあのミノタウロスを!」
「一撃だと!?」
熱狂の中心で、キョウは「フンッ」と鼻を鳴らすと、ゆっくりと拳を下ろした。まるで、長年の雪辱を果たしたボクサーのような、静かな達成感が漂っている……ように見えた。
その時だった。
瓦礫の中から、ミノタウロスの巨大な手が、力なく伸びてきた。そして、その手には、どこから持ってきたのか、小さな、白い旗が握られていた。
旗は、まるで降参を示すかのように、弱々しく、左右に振られている。
(……白旗!? ていうか、その旗、どこから持ってきたんだよ!? さっきまで持ってなかっただろ! というか、生きてたのかよ!?)
京介の驚きと、呆れと、そして安堵が入り混じったツッコミが、脳内に木霊した。
こうして、長きにわたる一方的な因縁に、ようやく終止符が打たれた。
しかし、それは同時に、キョウの暴走が、ついに魔王城の内部へと突入することを意味していた。
京介の、本当の戦いは、まだ始まったばかりなのかもしれない。




