第38話 意図せぬレベルアップと新たな希望
誰もが罠だと信じて疑わなかった豪華な宝箱。それが本物であったという衝撃の事実を前に、信者たちは言葉を失い、そして狂喜乱舞していた。その熱狂の中心で、先師京介だけが、ダンジョンの設計者の悪趣味な性格に、ただただドン引きしていた。
「おお! マスターのおかげで、ついにレアアイテムが!」
「これもすべて、我らが神のお導きのおかげだ!」
信徒たちは、先ほどのミミック(質素)との戦闘の興奮も冷めやらぬまま、意気揚々と本物の宝箱の中身を漁り始めた。高価な宝石、強力な武具、見たこともない素材アイテム。その全てが、どこから運び込んだかわからないリアカーに運び込まれていく。
宝箱の中身が、大方無くなった、その時だった。
一人の信徒が、宝箱の一番下に、何か小さなスイッチのようなものが隠されているのを見つけ、そして、何の気なしに、それを押してしまった。
ゴゴゴゴゴゴゴ…………!
突如として、宝箱の後ろにあった壁が、地響きと共にゆっくりとスライドを始めたのだ。
「な、なんだ!?」
「まだ奥があったというのか!」
◇
壁の向こうに現れたのは、今までのジメジメしたダンジョンとは全く不釣り合いな、湯気に満ちた広大な空間だった。
床には、ふんだんに大理石が使われ、あちこちから清らかな温水がこんこんと湧き出している。まるで、古代ローマの公衆浴場のような場所だった。
その中央には、天井まで届く巨大なガラス製の柱がそびえ立ち、その内部は、黄金色に輝く温水で満ちされている。
そして、その柱を取り囲むように、優雅な螺旋階段が、上階へと続いていた。
さらに、なぜか壁一面には、日本の銭湯でおなじみの、壮大な富士山のペンキ絵が、絶望的に不釣り合いなタッチで描かれていた。
(なんでローマ風浴場に富士山なんだよ! しかもペンキ絵!? タイルですらないのかよ! この世界の美的センスはどうなってるんだ!)
京介が内心で絶叫する中、信徒たちは、あまりの荘厳さ(と富士山のミスマッチ)に息を呑んでいた。
タンク役のガンジョーが、先陣を切ってその螺旋階段を駆け上がっていった。そして、上階にある扉を開け放つと、彼は驚愕の声を上げた。
「こ、この道……! 外に出られるぞ! しかも、ここは……!」
ガンジョーの視線の先。扉の向こうに広がっていたのは、見覚えのある、始まりの村の入り口付近の風景。そう、かつてキョウが、素手で岩を殴り砕いて温泉を掘り当てた、あの「英雄の湯」のすぐ裏手へと繋がっていたのだ。
「なんと! ダンジョンの最深部と、マスターが掘り当てられた聖地(英雄の湯)が、このように繋がっていたとは!」
「これも、全てはマスターのお導きだ!」
「お宝を運び出すぞ!」
「神の奇跡を、村の人々にもお見せするんだ!」
信徒たちは、狂喜乱舞しながら、宝物庫と村を繋ぐ「温泉ルート」を往復し、戦利品の運び出しを開始した。
その、あまりにも慌ただしい喧騒の中。
我らが狂戦士キョウは、ただ一人、別の行動をとっていた。
彼は、その場の熱狂になど一切興味を示さず、こんこんと湧き出る黄金色の湯に、ゆっくりと歩み寄ると、
ザブンッ。
ためらうことなく、その湯に浸かったのだ。
そして、まるで「ふぅ」とでも言いたげに、リラックスした様子で湯煙に包まれ始めた。
(……おい! みんな働いてるのに、お前だけ寛ぐなよ!)
京介がツッコミを入れた、その時。あまりの心地よさそうな湯の温度が、アバター越しに伝わってきた。
(……いや。……まあ、いいか。こっちも、不動の鉄巨人戦だの、壁殴りだの、跳弾だので、散々振り回されて疲れたし……。たまには、こういうのも……)
京介のささくれた心が、ほんの少しだけ癒やされていく。
すると、隣で羨ましそうに見ていたポヌルが、ふらふらと湯気に誘われ、キョウのすぐ横で温泉に入った。
「ふぅ……。いい湯ニャ……。染み渡るニャ……」
こうして、宝を運び出す信徒たちの喧騒と、温泉に浸かって寛ぐ神(と猫)という、あまりにもシュールな光景が、ダンジョンの最深部で繰り広げられた。
やがて、全ての宝を運び出し終えたロジックが、キョウの元へとやってきた。
「マスター。全ての戦利品の回収が完了しました。さあ、我々も凱旋いたしましょう」
ロジックに丁重に促され、キョウは、名残惜しそうに(見えただけかもしれないが)湯から上がり、信徒たちが待つ、外の世界へと一歩を踏み出した。
◇
キョウが、ダンジョン(温泉)から外に一歩踏み出した、その瞬間。
彼を待ち構えていた数百人の信徒たちから、割れんばかりの歓声が上がった。
「マスターのご帰還だ!」
「我らが神の凱旋だ!」
信徒たちが口々に賞賛の言葉を叫ぶ、まさにその時だった。
突如として、天から、荘厳なファンファーレが、キョウの頭上に向かって、連続で鳴り響き始めたのだ。
ファンファーファンファーファーン!
ファンファーファンファーファーン!
ファンファーファンファーファーン!
そして、京介の視界に、怒涛の勢いでアチーブメント達成の通知が流れ始めた。
【レアクエスト達成:伝説のワンパン(ロケットパンチを拳圧で撃破)】
【ユニーククエスト達成:運営の近道(スタッフオンリー通路発見)】
【隠し実績達成:踊る阿呆に見る阿呆(トラップ地帯を華麗にタップダンスで突破)】
【隠し実績達成:一石二鳥じゃなくて三鳥(罠で奇襲モンスターを一掃)】
【隠し実績達成:跳弾はロマン(5回以上の跳弾によるボス撃破)】
【ユニーククエスト達成:壁殴り代行(隠し宝物庫発見)】
【ダンジョン『樹海ダンジョン』完全踏破!】
【莫大な経験値を獲得しました!】
【キョウのレベルが 20 に上がった!】
「「「「「おおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!!!!!」」」」」
レベルアップの眩い光がキョウの体を包み込むと同時に、信徒たちの熱狂は、ついに最高潮に達した。神の凱旋を、天が祝福しているのだと、彼らは信じて疑わなかった。
【ステータスポイントを割り振ってください】
【STRに全ポイントを割り振りました】
京介は、もはや無言だった。
「…………」
レベル3から、一気に20。普通のプレイヤーなら、絶叫し、飛び跳ね、チャット欄に喜びの報告を打ち込む場面。しかし、その原因の全てが、自分の意図しない事故と、周囲の壮大な勘違い、そして運営の悪ふざけによってもたらされたという事実に、彼の心は、完全に凪いでいた。喜びも、怒りも、悲しみすらも感じない。ただ、虚無だけがそこにあった。
その熱狂の輪から一歩引いた場所で、ロジックだけが、冷静に、しかし興奮に打ち震える声で、自らの分析をまとめていた。
「……間違いない。マスターは、このダンジョン攻略という名の『フィールドテスト』を通して、我々『ギルド』という集団戦闘における『最適化』のデータ収集を行っておられたのだ。我々に『神の聖鞭』を示し、我々がその神託にいかに迅速かつ正確に応答できるかを試されていた……。全ては、この先に待つ、この世界の『真の敵』……すなわち、この歪んだ世界の『システム』そのものとの、最終戦争のために……!」
ロジックの、新たな勘違いが、ギルドの新たな教義として刻まれていく。
京介は、ただ遠い目をしていた。
しかし、彼は、自らのステータスが飛躍的に上昇したこと、そして、ほんの少しだけ、以前よりも器用に動かせるようになってきた、自らの尻尾の感覚を、確かに感じ取っていた。
(……もしかしたら)
彼の心に、諦めと絶望しかなかった荒野に、本当に小さな、小さな希望の芽が、再び顔を出した。
(もしかしたら……。この狂ったアバターと、狂った信者たちと、狂った世界のシステム……その全てを利用し尽くせば……。本当に、このクソゲー……クリア、できるかもしれない……)
それは、英雄の決意というよりは、むしろ、あまりにも理不尽な問題に対する、受験生の意地にも似た、歪んだ闘志の灯火だった。




