第37話 破壊衝動の壁殴り
奇跡の跳弾によって不動の鉄巨人が光の粒子と消えた後、広間に響き渡っていた信徒たちの熱狂的な歓声は、まだ鳴り止むことを知らなかった。
「10億ダメージ……! 我が神の拳は、ついに物理法則すら超越された!」
「あのカエルの風呂桶は、神の奇跡を呼ぶ聖遺物だったのだ!」
(違う、あれはただの偶然とバグと運営の怠慢が重なっただけの事故だ……)
先師京介のツッコミも虚しく、信徒たちは感動のあまり、あのプラスチック製の風呂桶を「聖なる湯船」としてギルドハウスに持ち帰ろうと、数人がかりで運び出し始めている。もはや、カオスである。
そんな狂騒の中、鉄巨人が守っていた(ように見えた)奥の扉が、重い音を立ててゆっくりと開いた。どうやら、あの中ボスを倒したことで、先への道が開かれたらしい。
一行は、教祖キョウを先頭に(というより、信徒たちが彼を神輿のように担ぎ上げ)、その暗い通路へと足を踏み入れた。
◇
通路を抜けた先は、今までのダンジョンとは打って変わって、豪華な装飾が施された小部屋だった。そして、その中央には、誰もが「それ」と分かるものが鎮座していた。
宝箱だ。
それも、金銀宝石がふんだんに使われた、見るからに「豪華絢爛」な宝箱。
「おお……! ついに宝物庫か!」
「鉄巨人が守っていたお宝だ、きっととんでもないレアアイテムが……!」
信徒たちが色めき立つ。しかし、京介は、その宝箱を見て、強烈な違和感に襲われていた。
まず、宝箱の蓋が、ほんの少しだけ、まるで「中を覗いてごらん?」と誘うかのように開いており、そこから金色の鎖(よく見ると安っぽいメッキ)のようなものが、だらしなくはみ出している。
そして、何よりも決定的なのは、宝箱の蓋に、まるで開発者がテストプレイ中に酔っ払って書いたかのように、震える文字の雑なフォントでこう書かれていたことだった。
【(罠じゃないよ!) 中に 財宝が 入っていますよ。 開けてください(マジで)】
「雑すぎるだろおおおおおおお!!」
京介の魂のツッコミが、脳内に木霊した。こんなの、共通テストの、明らかに「選んではいけない」と書いてあるようなダミー選択肢より雑だぞ! しかも括弧書きで自己フォローまで入れてる! 逆に怪しすぎるだろ! ひっかけか!? これが噂に聞く「逆張り」のひっかけ問題なのか!? 「絶対に押すな」と書かれた起爆スイッチと同じ匂いがプンプンする!
その時、一行の中から、天才軍師ロジックが、眼鏡をくいと押し上げながら、冷静に一歩前に出た。
「……待て、諸君。これは、あまりにも露骨すぎる」
彼は、キョウではなく、宝箱(と、そこに書かれた手書き文字)をじっと睨みつけ、分析を開始した。
「蓋の隙間、安っぽい鎖のはみ出し方、そしてあの幼稚な誘い文句……。全てが『私は罠です』と雄弁に語っている。論理的に考えれば、これが本物の宝箱である確率は限りなくゼロに近い。いや、ゼロだ。これは、九分九厘……いや、十割、宝箱に擬態したモンスター――ミミックに違いない」
その、あまりにも的確で冷静な分析に、信徒たちが「おお……」と感嘆の声を漏らす。
「さすがはロジック様!」
「我々は、目先の欲に目がくらむところだった……!」
(お……!)
京介もまた、ロジックのその言葉に、密かに感動していた。
(珍しく、まともなことを言ってるじゃないか! そうだ、その通りだ! これは「誤った選択肢をまず消去法で消す」という、受験のセオリー通りの行動だ! 僕でも、あれが罠だってことくらい分かる!)
京介が、このギルドにもまだ常識人が残っていた(実際は一番ヤバいヤツ)ことに、ほんの少し安堵した、その瞬間だった。
狂戦士キョウは、その豪華な宝箱(ミミック疑惑)には一切目もくれず、おもむろに部屋の隅へと歩み寄った。
そして、そこにある、ただの湿った、何の変哲もない「壁」を。
ゴッ!
無言で、殴り始めた。
(壁……? ミミックという『虚像』を無視し、あえて『現実』の壁と向き合う……。これは、目に見えるものだけに囚われるなという、マスターからの無言の『禅』か……!?)
ロジックが内心で戦慄している間にも、キョウは壁を殴り続けている。
「僕のアバター、ついに壁と会話を始めたんだが!? 誰か! 誰かコイツの奇行を止めてくれええええええ!」
京介の絶望が、再び頂点に達する。隣を飛んでいたポヌルも、心底呆れ返ったように、やれやれと首を振った。
「あーあ。また壊れたニャ。ダンジョンの壁を殴ってどうするニャ。……いや待てよ、この壁、ちょっとテクスチャがズレてるニャ? ……京介、お主、何とかしろニャ」
(どうにかなるなら、とっくになってるよ!)
ゴッ! ゴッ!
キョウは、周囲の困惑など一切意に介さず、ただひたすらに、湿った壁の一点を殴り続ける。
信徒たちも、さすがにこれには困惑していた。
「マ、マスター……? 壁に何か……?」
ロジックも、自らの論理体系を超えた行動に、必死で思考を巡らせていた。
(壁……? いや、待て。あの壁の一点だけ、苔の生え方が違う……? まさか!)
ロジックが何かを閃いたのと、壁が轟音と共に崩れ落ちたのは、ほぼ同時だった。
ガラガラガラッ!
壁の奥には、新たな空間が広がっていた。先ほどの部屋よりも遥かに巨大な、本物の「大宝物庫」と呼ぶにふさわしい広間。そして、その中央に、先ほどの豪華な宝箱とは対照的な、質素だが、いかにも「本物」らしい、古びた木製の宝箱が、一つだけポツンと置かれていた。
「こ、これは隠し部屋……!」
「マスターは、あの宝箱が罠であることを見抜き、さらにこの壁の先に『真の宝物庫』があることまで、全てお見通しだったというのか!」
「おお……! さすがは我らが神!」
信徒たちが、再び熱狂的な賞賛の声を上げる。
ロジックも、自らの浅はかさを恥じるように、深く頷いた。
「そうか……。これが、本当の宝箱だったか。さすがはマスターだ」
一行は、キョウを先頭に、その質素な宝箱へと近づいていく。
そして、キョウは、その「本物」の宝箱の前に立つと、次の瞬間。
ゴッ!
あろうことか、その質素な宝箱を、思い切り殴りつけた。
「なんでだよおおおおおおお!!」
京介は、もはやツッコむ気力も失せかけていた。
ロジックも信徒たちも、「え?」という顔で硬直している。部屋に、しばしの静寂が訪れた。誰もが、キョウの意図を図りかねていた。
(……いや、待て。これもマスターの深遠な考えがあってのことのはずだ。この質素な宝箱にも、何か我々には見えない『罠』が……?)
ロジックが必死に新たな可能性を探り始めた、その時。殴られた質素な宝箱が、ギチギチと音を立てて変形を始めた。
「ギシャアアアアアアアアアッ!」
宝箱から、巨大な目玉と牙が飛び出し、それもまたミミックであったことが判明した。
「こっちもミミックだったか!」
ロジックが、驚愕の声を上げる。
「両方罠だったとは!」
「マスターはそれすらお見通しで!?」
信徒たちが、慌ててミミック(質素)との戦闘を開始する。
しかし、キョウは、そんな彼らの戦闘には一切興味を示さなかった。
彼は、信徒たちが戦っているのを尻目に、その場を離れると、再び、最初の部屋へと戻っていく。
そして、あの、誰がどう見ても罠で、手書きの文字まで書かれていた、「豪華な宝箱」の前に、再び仁王立ちした。
そして。
ゴッ!
殴り始めた。
(やめろ! それ絶対ミミックだろ! 今度は周りに仲間はいないぞ! タンクもヒーラーもいないんだぞ! またレベル1に戻る! 食われて死ぬぞ!)
京介が、本日何度目かの絶望的な叫びを上げた、その時。
パカッ。
(……死んだあああああ!!!)
豪華な宝箱は、あっさりと、その蓋を開いた。
中には、まばゆいばかりの財宝と、強力なレア装備がぎっしりと詰まっていた。
……本物だった。
◇
「罠だと見せかけて、本物だったのかよ! しかも、隠し部屋の、どう見ても本物っぽい方が、ミミックだったのかよ! なんだこの二重ひっかけ問題は! こんなの入試に出したら炎上するぞ! 性格が悪すぎるだろ、このダンジョンの設計者!」
ちょうどその時、ミミック(質素)を倒し終えた信徒たちが、慌ててキョウの元へと駆け寄ってきた。
そして、彼らは、全ての真実を理解した(と、勘違いした)。
「ま、まさか……!」
「最初の宝箱こそが、本物だったというのか……!」
「我々は……我々は、目先の欲に囚われ、『いかにも怪しい宝箱』を罠だと決めつけ、さらに『いかにも本物らしい宝箱』に飛びついてしまった……!」
一人の信徒が、その場に崩れ落ち、涙ながらに叫んだ。
「マスターは、全てお見通しだったのだ! あの怪しい宝箱(本物)をあえて無視し、壁を破壊して隠し部屋(罠)へと我々を導き、そして、いかにも本物らしい宝箱(罠)を殴り壊すことで、『見かけに騙されるな』という教訓を、その身をもって示されたのだ! そして最後に、最初の宝箱(本物)を開けることで、『疑う心と信じる心のバランスこそが重要である』と、我々に無言で語りかけておられる……! おお……! なんという深遠なる人生哲学! 我々は、ただのゲーム攻略ではなく、生き方そのものを学んでいるのだ!」
信徒たちは、自らの浅はかさを恥じ、神の、あまりにも深すぎる知恵に、ただただ感涙するばかりであった。
(違う! 深遠なお考えでも何でもない! コイツのはただの無差別な破壊行動なんだよおおおおお!)




