第34話 神託のショートカット
ダンジョンガーディアンとの激闘(という名の、バグと勘違いが織りなす奇跡のアンサンブル)を終え、先師京介率いる(?)『破壊神の信徒』一行は、ついに『樹海ダンジョン』の内部へと足を踏み入れた。
洞窟の中は、外の喧騒が嘘のように静まり返っていた。壁一面にびっしりと苔がむし、ジメジメとした空気が肌にまとわりつく。
「うへぇ……。なんとも蒸し暑い場所だニャ。我輩の自慢の毛並みが湿ってしまうニャ」
京介の隣を飛んでいたポヌルが、心底嫌そうに愚痴をこぼした。京介も同感だった。この湿度は、受験勉強中の夏の夜を思い出させて、どうにも気分が滅入る。
信徒たちに神輿のように担がれ(物理的に)、一行は「苔むした回廊」を進んでいく。そして、ダンジョン突入から数分後、彼らは最初の難関に突き当たった。
回廊の先が、三つの道に分岐していたのだ。左、中央、右。どれも同じように暗く、不気味な気配を漂わせている。
「古典的な三択の扉、か……」
京介が、RPGのお約束にため息をついた、その時だった。
◇
「マスター、皆様! あちらに石板が!」
斥候役の信徒が、分岐路の中央に設置された石板を発見した。一行の視線が、そこに刻まれた古びた文字へと注がれる。
『此処より道は三つに分かたれる。
一つは栄光へ、二つは無慈悲なる終焉へ。
道を選ぶ者よ、ただ己の「知性」のみを信じよ。
偉大なる先人、ソクラテスは言った。
「汝自身を知れ」と。
偉大なる賢者、デカルトは言った。
「我思う、故に我あり」と。……』
……静寂が、場を支配した。
京介は、その石板の文面を、一字一句、真剣に読み解いていた。
(ソクラテス……デカルト……。世界史の頻出単語だ。よし、ここまではいい)
京介は、受験生としての知識が役立つかもしれないと、ほんの少しだけ期待した。
文章はこう続いていた。
『……そして、このダンジョンの創造主は、こう書き残した。
「右の道、なんかヤバい罠、仕掛けといた(ウソ)」と。』
最後の行を読み終えた瞬間、彼の全身を、凄まじい脱力感が襲った。
(『右の道、なんかヤバい罠、仕掛けといた(ウソ)』!? しかも創造主!? やっぱりバイトが作ったのかよ! 罠があるって言ったのが『ウソ』ってことは……つまり、右が正解ってことじゃないか! なんで、ソクラテスとデカルトの名言の後に、そんな小学生レベルの、答えをバラすようなヒントが来るんだよ!)
京介が、そのあまりにも安直すぎる答えに愕然としていると、彼の背後で、天才軍師ロジックが、厳かに口を開いた。
「……なるほど。そういうことか」
ロジックは、眼鏡の奥の瞳を鋭く光らせ、石板を睨みつけていた。
「『汝自身を知れ』……『我思う、故に我あり』……。これは、我々プレイヤー自身の『在り方』を問うているのだ。そして、最後の『右の道、なんかヤバい罠、仕掛けといた(ウソ)』。この『ウソ』という一言にこそ、深遠なる意味が隠されている!」
(え? そうなの!?)
京介の困惑をよそに、ロジックの壮大な深読み(勘違い)は加速していく。
「『ウソ』とは何か? それは真実の否定。つまり、『罠がある』というのが真実であり、創造主はあえてそれを『ウソ』と記すことで、我々の真実を見抜く『知性』を試しておられるのだ! ここで言う『我』とは我々信徒自身! 『右』とは『正しい道』の比喩! つまり、これは『汝らが信じ進む道こそが唯一無二の正解となるが、その道には必ず罠(常識という名の固定観念)が潜んでいることを忘れるな』という、ポストモダン的な哲学的問いかけなのだ!」
「おおおお……!」
「なんと深遠な……!」
「さすがはロジック様! そして、我々に『考える力』を試されるマスター・キョウ!」
信徒たちが、感涙にむせび泣いている。
(違う! 絶対に違う! これはただのクソみたいなヒントだ! 答えは『右』! どう考えても『右』なんだってば!)
京介は、信徒たちがロジックの誤った解釈に従い、右以外の道(つまり終焉)へと突撃しようとするのを、必死に止めようとした。
(ポヌル! 通訳だ! 『右に行け』と伝えるんだ!)
京介は、このダンジョン攻略の成否が、受験までのタイムリミットに直結することを思い出し、必死に尻尾を動かした。
(右! こっちだ! 右なんだよ!)
彼は、尻尾の先端で、右の道を、力強く指し示そうとした。
しかし、彼の焦りが、まだ未熟な尻尾コントロールを狂わせた。
おまけに、足元は、ダンジョンの名物である「苔」で、ヌルヌルと滑りやすくなっていた。
尻尾を、右へと思い切り振った、その反動で。ただでさえ苔で滑りやすい床の上で、キョウの巨体は、まるでギャグ漫画のワンシーンのように、綺麗すぎるくらい見事にツルンッ、とバランスを崩した。
「ウガッ!?」
そして、物理法則仕事しろと言わんばかりの慣性の法則に従い、コマのようにクルクルと回転しながら、分岐路の「左」の壁に向かって、背中から派手に激突した。
ゴッシャアアアアアン!
(あああああああああ! なんで左に転ぶんだよおおおおお!)
京介の絶望的な叫び。
しかし、その時だった。キョウが激突した壁の一部が、ギギギ……と音を立てて陥没した。
隠しスイッチだったのだ。
直後、彼らの足元。三つの分岐路の手前、10メートルほど先の地面が、大きな音を立てて開き始めた。
中から、下り階段が現れる。第四の道だ。
そして、その階段の入り口には、手書き風の雑なフォントで、こう書かれた看板がぶら下がっていた。
【↓最短ルート(スタッフオンリー)↓】
(隠しルートなのに『最短ルート』って堂々と書いてある! しかもスタッフオンリーって何!? デバッグ用の通路を消し忘れただけじゃないか、これ!)
京介がツッコミで眩暈を起こしていると、信徒たちは、目の前で起きた新たな奇跡に、ただただ打ち震えていた。
「ま、まさか……!」
「第四の道……!」
「そうか! マスターは、我々の常識を試されたのだ! 左、中央、右という三択に見せかけたこの問いの、真の答えは……『いずれでもない』! なんと、なんと深遠なお考えだ……!」
信徒たちが、感涙にむせび泣く。
京介は、もう何も言うまいと固く誓った。
◇
一行が、運営の優しさ(手抜き)あふれる「最短ルート」へと進む中、ロジックだけは、先ほどの分岐路に一人残り、壁を食い入るように見つめていた。
彼が見つめていたのは、先ほどキョウがバランスを崩した際、壁に激突した尻尾が、偶然にも引っ掻いてしまった、一本の傷跡だった。
(……この軌跡。この角度。一見、ただの傷に見えるが……違う)
ロジックは、羊皮紙を取り出すと、その傷跡を、必死に、そして正確に写し取り始めた。
(これは……! この壁に刻まれた、一見無意味に見える傷跡のパターン……! 古代文明の暗号か!? いや、違う! これは、マスターが尻尾で刻んだ、新たなる尻尾言語の奥義書! このダンジョンの真の攻略法、あるいは、この世界の『真理』そのものを示す、新たなる神託に違いない!)
京介がただ転んだだけとは知らず、天才軍師の探究心は、またしても、あらぬ方向へと燃え盛るのであった。




