第29話 地獄の尻尾ブートキャンプ
見渡す限りの砂、砂、砂。灼熱の太陽が照りつける大砂漠の真ん中で、狂戦士キョウは、立ったまま、こっくりこっくりと船を漕いでいた。どうやら、新たなモンスターを探して放浪するのに疲れ、立ったまま寝るという器用な芸当を披露しているらしい。
(……器用なヤツめ)
その無防備な姿を、先師京介は好機と見た。
今こそ、この世界の理不尽に抗う唯一の武器、「尻尾」を鍛え上げる時だ。
(今までの生ぬるい自主練は、今日で終わりだ。これより、帝都大学合格をかけた、地獄の尻尾ブートキャンプを開始する!)
京介は、自らを鬼教官と化し、尻尾の猛特訓を開始した。まずは基本中の基本、剣道で言うところの唐竹割り。上段に構えた尻尾を、まっすぐ振り下ろす!
「めーん! めーん! めぇぇぇぇん!」
もちろん、尻尾なので、その軌道はキョウの背後、つまり京介からは全く見えない位置を空振りしている。ビュン、ビュン、と空を切る音だけが、やけに勇ましかった。
「ウガァ……」
キョウが、安眠を妨害されて迷惑そうに、小さく呟いた。
◇
京介は、キョウの小さな抵抗など意にも介さず、ひたすら尻尾の上下運動を繰り返した。その時だった。
ゴツン!
尻尾の先端が、何か硬いものに当たった、鈍い感触があった。
その衝撃で、キョウは完全に目を覚まし、不機嫌そうにゆっくりと後ろを振り返る。
そこには、一体のモンスターが立っていた。サボテンのような緑色の肌に、バイキングのような角付き兜をかぶった、【デザートバイキング】だ。そして、その頭頂部は、京介の尻尾の一撃を受けて、見事にたんこぶが出来上がっている。モンスターは、頭のたんこぶをさすりながらプルプルと全身を震わせ、「俺はただ通りかかっただけなのに、なんでいきなり殴られなきゃいけないんだ」と言いたげな、あまりにも理不尽な怒りに満ちた形相でこちらを睨んでいた。
(あ)
京介は、血の気が引くのを感じた。
「ご、ごめんね。わざとじゃ……」
謝罪の言葉は、デザートバイキングの怒りの雄叫びにかき消された。モンスターは、巨大な棍棒を振り上げ、猛然と襲いかかってくる。
しかし、キョウは冷静だった。彼は、振り下ろされる棍棒を紙一重でかわすと、がら空きになった相手の顎に、完璧なクロスカウンターを叩き込んだ。
「ウガッ!!」
デザートバイキングは一撃で沈み、光の粒子となって消えていった。
キョウは、まるで自分の意に反して勝手に動く尻尾に苛立つかのように、低く唸った。
「だから、ごめんってば」
京介は素直に謝った。
(……だが、今の特訓で、上下の動きはかなり鋭く、正確になったな)
彼は、ポジティブに己の成長を評価した。
キョウは、再び元の位置に戻ると、何事もなかったかのようにまた眠り始めた。
「よし、次は横の動きだな」
京介は、周囲に何もないことを入念に確認した。さっきのような不慮の事故はもうごめんだ。
「はっ! やあっ!」
ブンッ! ブンッ! と、尻尾を左右に振り回す。しばらく続けていると、またしても、
ゴツン!
聞き覚えのある、嫌な感触。
キョウが、デジャヴを感じさせる動きで目を覚まし、ゆっくりと後ろを振り返る。
そこには、ベーコン、レタス、トマトが挟まった巨大なサンドイッチに、手足が生えたモンスター、【サンドBLT】がいた。そして、そのレタスの一部が、京介の尻尾によって無残にも引きちぎられている。モンスターは、「俺の瑞々しいレタスを返せ!」とでも言うように、トマトジュースの涙を滝のように流しながら襲いかかってきた。
「あ、あれ……? さっきはいなかったはずじゃ……すまん」
キョウは、華麗な後ろ回し蹴りの一撃で、それを粉砕した。
「ウガウガッ」
キョウの、明らかに先ほどより語気の強い声が飛んでくる。
「本当にすいませんでした」
京介は、平身低頭で謝罪した。
キョウが三度、眠りにつく。
(……もう、後ろで見えない範囲を振り回すのはやめよう)
京介は固く心に誓った。これからは、安全第一だ。彼は、自分の体(キョウの体)の前方、つまり見える範囲で尻尾を振る練習に切り替えた。これなら、何かにぶつかる心配もない。
ヒュンッ! ヒュンッ!
しばらく快調に尻尾を振っていた、その時だった。
目の前の砂地が、突如として盛り上がり、中から巨大なモンスターが、雄叫びを上げながら飛び出してきたのだ。
【サバクデザートサンドデスワーム】
(サバク……デザート……サンド……? 砂漠、Desert、Sand……って、3回も砂漠って言ってるだけじゃないかこの名前は! ……ん? 待て、なんか甘い匂いが……)
京介の思考が、完全にフリーズする。
彼の目の前に現れたのは、巨大なミミズ型のモンスターが、こんがりと焼けた巨大なフランスパンに、瑞々しいイチゴやたっぷりの生クリームと一緒に挟まれている、というあまりにも冒涜的な代物だった。
そして、その出現と、京介が振っていた尻尾の軌道は、あまりにも完璧に一致していた。
バシィン!
尻尾が、生クリームを派手にぶちまけながら、パンから僅かにはみ出たミミズの先端に、クリーンヒットする。
キョウが、本日三度目の覚醒。
サバクデザートサンドデスワームは、もちろん、物凄く怒っている。
しかし、今度ばかりは京介も黙っていなかった。
「いや、今のは断じて僕のせいじゃない! 不可抗力だ! 道路にいきなり名前のセンスも味覚も壊滅的なデザートサンドイッチが飛び出してきたそっちが100パーセント悪いに決まってるだろ!」
◇
キョウも、さすがに目の前の敵が、今までの雑魚とはレベルが違うことを察したのか、臨戦態勢に入る。
しかし、相手は全長10メートルを超える巨大なワーム(サンドイッチ)だ。レベル10になったばかりのキョウが、正面から戦ってどうにかなる相手ではなかった。
サバクデザートサンドデスワームが、巨大な口を開けて突進してくる。キョウは、なすすべもなく、その一口に飲み込まれてしまった。
視界が、暗転する。
そして、久しぶりに見る、あの無機質な文字。
【GAME OVER】
次の瞬間、京介の視界は、見慣れた始まりの村の光景に包まれていた。
そして、ステータス画面に表示された、無慈悲な現実。
【LEVEL:1】
(………………は?)
京介の思考が、完全に停止した。レベル2になった時、彼は呪縛からの解放を感じた。レベル10になった時、彼は確かな成長と、この世界で生きていけるかもしれないという希望を感じた。その、地道に積み上げてきた全てが、たった一度のデザートサンドイッチとの理不尽な遭遇で、ゼロになったのだ。
「僕の1週間を……返せえええええええええええええええええ!!!!」
京介の絶叫が、のどかな村に響き渡った。
彼の、あまりにも前途多難な特訓は、まだ始まったばかりである。




