第28話 このクソゲー、クリアしてやる
狂戦士キョウは、今日も元気に平原を走っていた。新たな獲物を求め、まだ見ぬ強敵との出会いに胸を躍らせるかのように、その足取りに迷いはない。
しかし、そのアバターの内部で、先師京介の思考は、かつてないほどに静かで、そしてクリアに研ぎ澄まされていた。
(現実に帰る……。そのために、僕が今、すべきことは何だ?)
彼の心は、もはや絶望にも怒りにも支配されてはいなかった。ただ、目の前にある「ログアウトできない」という絶対的な事実と、それに対する最も合理的な解答を、冷静に導き出そうとしていた。
◇
(今まで、僕はひたすら「ログアウトの方法」を探すことばかり考えていた。だが、そんな都合のいい裏技やバグが、この世界のどこかにあるという保証は、どこにもない)
もし、見つからなかったら? 一生、この世界に囚われたままなのか?
(それ以外に、現実に戻る方法は……)
京介の思考が、一つの結論に行き着く。
(……やっぱり、あの方法しか、考えられないよな)
それは、あまりにもシンプルで、そしてあまりにも困難な道。
(大学のテストが始まる、その前に。最短ルートで、このゲームをクリアするんだ)
そうだ。ログアウトできないのであれば、このゲームそのものを、エンディングという形で終わらせてやればいい。それしか、この悪夢から覚める方法はない。
京介の中で、目標が明確に定まった。しかし、同時に、その途方もない困難さも理解していた。
(だが、どうやって? 僕のアバターは、僕の意志では動かない。どのような綿密な計画を立てたところで、この狂戦士キョウという最大の不確定要素が、全てを台無しにする可能性がある)
最短でクリアするには、まず、制御不能の狂戦士キョウという『最大にして最悪の変数』を、どうにかして制御下に置かなければならない。彼の行動パターン、思考ルーチンを分析し、その上で、彼を望むべき方向へと誘導する、神がかったレベルの緻密な計画が求められる。
(そんなこと、本当に僕にできるのか……?)
弱気が、一瞬だけ顔を出す。
しかし、京介はすぐにその感情を振り払った。
(いや。『できるか』じゃない。やるんだ!)
彼の目に、決意の光が強く灯る。
(まずは、この尻尾の操作精度を、極限まで高める。これが、僕がこの世界に干渉できる唯一の手段なんだから)
次に、彼は思考を巡らせる。自分一人の力だけでは、限界がある。
(あの信徒たち……。彼らの熱狂を、上手く利用できないだろうか。彼らを僕の手駒として操り、キョウをサポートさせることができれば、クリアへの道は大きく開けるはずだ)
だが、そこには大きな壁があった。意思の疎通が、できない。キョウは「ウガァ」としか言えず、尻尾で複雑な文章を綴ることも、まだ不可能だ。
(待てよ……? 意思の疎通が、できない? ……本当に、そうか?)
京介の視線が、ふと、キョウの隣を気だるそうに飛んでいる、一匹の妖精猫に向けられた。
ポヌルは、京介のそんな真剣な葛藤など露知らず、大きな欠伸を一つしていた。
◇
その瞬間、京介の脳内に、解けなかった証明問題の、最後のピースがハマるかのような、閃光にも似た衝撃が走った。
(……そうだ)
灯台下暗し。
あまりにも当たり前に存在しすぎていて、変数ですらない、ただの『定数』だと思い込んでいた。
(ポヌルだ……!)
彼なら、僕の心の声を、なぜか理解することができる。
そして彼は、キョウの「ウガァ」という雄叫びを、自在に「翻訳」することができる。
つまり、彼は、僕の脳と、信徒たちという手駒を繋ぐ、唯一無二の通信ケーブルであり、僕の戦略を神託へと変換する、最高の翻訳機なのだ。
(ポヌルに協力してもらえば、僕の意図を、神託として信徒たちに伝えることができる。彼らを、僕の望む通りに動かすことも、決して不可能じゃない……!)
現実に帰るためなら、利用できるものは、何だって利用してやる。
暴走する狂戦士も、熱狂する信徒たちも、そして、この胡散臭い妖精猫も。
(見てろよ、このクソゲー。僕が、僕の頭脳と、この尻尾一本で、お前を完全にクリアしてやる!)
絶望を怒りに変え、京介は、この理不尽なゲームを自らの手で終わらせることを、固く、固く誓った。
それは、英雄でも神でもない、ただのしがない受験生による、この理不尽な『問題』に対する、あまりにも無謀で、しかし、どこまでも論理的な、解答の始まりだった。
【第一幕 完】




