第27話 そして、彼は決意する
もはや、VRMMO「ミステイク・ダストボックス・オンライン」における「破壊神キョウ」の存在は、単なる有名プレイヤーの域を遥かに超えていた。彼の行く先々には常に人だかりができ、彼の行動一つ一つが神託として解釈され、サーバー全体に拡散されていく。その熱狂は、もはや運営が意図的に仕掛けたイベントなのではないかと、先師京介が本気で疑うほどに、最高潮に達していた。
そんな狂騒の中心で、狂戦士キョウは、ただ己の本能の赴くままに行動していた。
魔王城という一つの目標を失った(あるいは忘れた)今、彼は純粋な戦闘とレベルアップの快感を求め、まだ見ぬ強敵を求めて広大な世界を放浪し続けている。
そして、その背後には、常に数百人規模の「破壊神の信徒」たちが、まるで巡礼の旅のように付き従っていた。
「お、あれは……!」
果てしない平原を走り続けていたキョウの視界に、ようやく次の目的地が見えてきた。城壁に囲まれた、そこそこ大きな街だ。キョウは、新たな獲物を見つけた狩人のように、その街に向かって一直線に走り始めた。
「マスターが街へ向かわれるぞ!」
「お供しろ! 遅れるな!」
後方から聞こえてくる信徒たちの雄叫びを聞きながら、京介の心には、久しぶりに安堵と期待の感情が芽生えていた。
(街……! 久しぶりの人里だ。あそこなら、少しはゆっくり休めるかもしれない……)
◇
街の中に入ると、さすがのキョウも、人々でごった返す往来を走り抜けるのは得策ではないと判断したのか、スピードを緩めてキョロキョロと辺りを見回しながら歩き始めた。
(よしよし、いい子だ。何か探してるのか? そうだろう、戦いの疲れを癒したいよな! 宿屋だ! 狙うは宿屋だ!)
京介が念を送るように心の中で叫ぶと、隣を飛んでいたポヌルも、翼をパタパタさせながら同意した。
「どうせなら、温泉付きの豪華な宿がいいニャ」
信徒たちは、神の歩みを邪魔せぬよう、少し距離を置いてぞろぞろと後をついてきている。
そんな中、キョウの視線が、大通りに面した一際立派な建物に注がれた。そこには、『源泉かけ流し 癒やしの宿』という看板が掲げられている。
キョウが、その宿屋に向かって再び走り出した。
「あそこだ! でかしたぞ、キョウ! たまには話がわかるじゃないか!」
「ふむ。狂戦士とて、休息の重要性は理解しているということニャ。感心感心」
京介とポヌルが、安堵の表情を浮かべた、その瞬間。
キョウは、温泉宿の入り口を、まるでそこだけ空間が歪んでいるかのように華麗に素通りし、その隣に建つ、何の変哲もない小さな民家のドアを、躊躇なく蹴破った。
ドッゴオオオォォン!
そして、家の中から聞こえてくる老婆の悲鳴をBGMに、彼は慣れた手つきで壺を割り始めた。
「またかあああああああ! 全然ゆっくりできないじゃないか!」
「また壺割りニャのか! 少しは捻りを加えるニャ! そんなワンパターンな天丼芸では、読者アンケートで低評価をつけられてしまうニャ!」
京介の絶叫と、ポヌルのメタ的なツッコミが、虚しく響き渡った。
◇
パリーン! パリーン!
キョウが、もはや芸術的な手際で壺を破壊し続けていた、その時だった。
ファンファーファンファーファーン!
突如として、壮大なファンファーレが鳴り響いた。
そして、京介の目の前に、祝福のウィンドウがポップアップする。
【シークレットアチーブメント達成:器物損壊王】
【クエストクリア:通算1000個の壺を破壊しました】
【報酬:10,000,000ゴールド】
「報酬が多すぎるだろおおおおお!」
京介のツッコミも虚しく、度重なるデスペナルティで2万ゴールドあまりまで減っていた彼の所持金は、一瞬にして天文学的な数字に跳ね上がった。
その光景を見ていた信徒たちが、どよめき、そして熱狂する。
「ま、まさか……! 壺を1000個割ることで達成される、隠しクエストが存在したとは!」
「我々凡人には、到底たどり着けない境地だ……!」
「さすがはキョウ様! 我々の想像の遥か上を行かれる!」
その熱狂の真っ只中で、キョウは、手に入れたばかりの1千万ゴールド(の入った革袋)を、まるで道端のゴミでも捨てるかのように、無造作に地面に放り捨てた。そして、天に向かって咆哮する。
「ウガァァァァァァァァッ!!」
ポヌルの、神がかった同時通訳が、その場にいる全員の耳に届いた。
「『この富は、我一人のものではない。集いし我が信徒たちよ。皆で分けるが良い』……と、申しておりますニャ」
「「「「「キョウ様あああああああああああああああ!!!!」」」」」
信徒たちの熱狂は、ついに最高潮に達した。彼らは、地面に落ちた金貨に殺到しながらも、その瞳は、神への尽きせぬ感謝と尊敬の涙で濡れていた。
その、あまりにも狂騒的な光景を、キョウのアバターの内部から、京介は、もはや何の感情も浮かばない、硝子玉のような冷え切った目で見つめていた。
熱狂する信徒たち。
暴走を続けるキョウ。
鳴り響くファンファーレ。
そして、その全てに無関係な、自分という存在。
その瞬間、京介の心の中で、何かが、プツリと切れた。
いや、切れたのではない。
混沌と絶望の濁流の中で、一つの、静かで、しかし、どこまでも硬質な決意が、灯ったのだ。
(……そうか。嘆いても、ツッコんでも、何も変わらない。なぜなら、僕は今まで、この世界の『登場人物』でしかなかったからだ)
彼の目に、今までなかったはずの、鋭い光が宿る。
(運営? 信徒? ロジック? 違う。僕が本当に戦うべき相手は、この『物語』そのものだ)
(何としても、現実に帰る。僕が、僕自身の意志で、この決められた運命を、終わらせるんだ!)
彼はもう、ただ流されるだけの被害者ではなかった。自らの意志で物語を紡ぎ始める、この世界の唯一の『主人公』として、静かに産声を上げたのだ。




