第25話 不本意な強制連携プレイ
「マスター! 我らが神よ!」
「見事なお導きでした!」
ヒゲモドキトカゲヒゲとかいう、もはや意味不明としか形容できない名前のモンスターを撃破した後、先師京介は、自分のアバターが完全に狂信者たちの神輿と化している現実を、ただ呆然と受け入れるしかなかった。物陰からワラワラと湧いてきた信徒たちは、キョウの周囲を幾重にも取り囲み、熱狂的な賞賛の言葉を浴びせかけている。
(いや、僕はただ、尻尾で地面に『ヒゲ』と書く習字の練習をしていただけなんだが……)
自分のささやかな習字の成果が、なぜこれほどの熱狂に繋がるのか。京介の常識的な思考回路では、到底理解が追いつかなかった。
「マスター! 神託の通り、馳せ参じました!」
「さあ、行きましょう! 我々を、次なる戦場へとお導きください!」
「マスターが『共に戦おう』と仰ってくださるのなら、この命、惜しくはありません!」
口々に叫ぶ信徒たちの言葉に、京介の脳内で、今まで無視してきた無数の疑問符が、一つの巨大なクエスチョンマークへと収束した。彼は、このカオスな状況で唯一まともな会話ができそうな、隣を飛ぶ妖精猫に、心の声で問いかけた。
(なあ、ポヌル。ちょっといいか? さっきから彼らが言ってる『神託』とか『共に戦おう』って、一体何のことなんだ? 僕の知らないうちに、キョウがまた何かやらかしたのか?)
その問いに、ポヌルは、今まで隠していた愉悦を隠しきれないといった様子で、ニヤリと意地悪く笑った。
「ああ、それかニャ? どうやら、お主がやっていた尻尾の練習……あの意味不明な動きを、例の天才軍師が『尻尾言語』と名付け、見事に解読したらしいニャ」
(解読!? あのデタラメな動きを!?)
京介の驚愕をよそに、ポヌルは芝居がかった口調で続けた。
「なんでも、『尻尾を右に二回振り、左に一回転させる』という動きは、古代ルーン文字の『集合』を意味する記号の軌跡と完全に一致するそうだニャ。そこから導き出される結論は、論理的に考えて一つしかない……つまり、マスターはこう仰っている、とニャ。『我が元に集え。そして、共に戦おう』……だ、そうだニャ」
「どんな超絶理論だ! アインシュタインが聞いたら、そのあまりの飛躍に舌を巻いて相対性理論の論文を破り捨てるレベルだぞ!」
京介の魂の絶叫が、脳内に木霊した。僕が尻の筋肉を攣りながら悶えていただけの動きが、そんな壮大な召集命令に変換されるというのか。あの天才軍師の脳内は、一体どんなファンタジーで構成されているんだ。
京介が壮大すぎる勘違いに頭を抱えている間にも、信徒たちの熱狂は留まるところを知らない。彼らはキョウを神輿のように担ぎ上げると、有無を言わさず、ぞろぞろと岩場の奥へと進み始めた。
(うわっ、ちょっ、降ろせ! 僕はまだ心の準備ができていないんだ!)
もはや、彼の意志など完全に無意味だった。四方八方を屈強な信徒たちに固められ、身動き一つ取れない。その光景は、京介のトラウマの一つを的確に抉った。
(これ……朝の通勤ラッシュの満員電車だ……。ドア付近で押しつぶされて、自分の意志とは無関係にホームに吐き出される、あの絶望感と全く同じじゃないか……。脱出不可能だ……)
「もう諦めて、流れに身を任せるしかないニャ。ご愁傷様だニャ」
ポヌルの他人事のような慰めの言葉が、やけに心に響いた。
◇
信徒たちの熱狂に流されること数十分。京介たち一行は、巨大な岩壁に囲まれた、コロシアムのような広場へとたどり着いた。そして、その中央には、一体の巨大なモンスターが、大地を揺るがすようないびきをかいて眠っていた。
全長はスクールバスほどもあるだろうか。肉食恐竜を思わせるフォルムに、鋼鉄のような鱗。その頭上には、くっきりとモンスターの名前が表示されていた。
【ティラノブースト】
(どう見ても中ボスです! 本当にありがとうございました!)
京介が絶望に打ちひしがれる中、信徒たちのボルテージは最高潮に達していた。
「おお……! マスターは、このティラノブーストを討伐するために我々を!」
「御力をお示しください、マスター!」
その熱狂を一身に浴び、ようやく神輿から解放されたキョウは、まるで期待に応えるかのように腹の底から咆哮した。
「ウガァァァァァァァァッ!!」
すかさず、ポヌルが完璧な同時通訳を叫ぶ。
「『信徒たちよ。我が神髄、その目に焼き付けるがいい。補助は任せた』……と、申しておりますニャ!」
その言葉が、戦闘開始の合図となった。信徒たちは一斉に武器を構え、広場の四方に散開し、完璧な包囲網を形成する。そして、キョウは一人、眠れる竜王の元へと、堂々と歩みを進めていった。
キョウがティラノブーストの鼻先、およそ2メートルほどの位置にたどり着いた、その時だった。地響きのようないびきがピタリと止み、巨大な瞼がゆっくりと開かれる。そして、キョウの姿を認めたティラノブーストは、瞬時にその巨大な顎を、必殺の一撃を放つべく、大きく開いた。
「あっぶな!」
驚いた京介が、反射的に尻尾を大きく振った。その反動でキョウの上半身がぐらりと傾き、体勢が崩れる。まさにそのコンマ数秒後、キョウが立っていた空間を、ティラノブーストの灼熱のブレスが焼き尽くした。
(モロに食らったら一撃で終わるぞ! 死に戻り前提の戦術とか言ってる場合じゃない!)
京介が冷や汗を拭っていると、ポヌルが、まるで攻略本の情報を読み上げるかのように、冷静に呟いた。
「あいつの弱点は、股間だニャ」
(そこは、あいつじゃなくても大体の生物は共通の弱点だろ!)
京介の常識的なツッコミが炸裂した、その瞬間だった。
ヒュン! という風切り音と共に、信徒の一人が放った矢が、ティラノブーストの右側頭部に命中した。大したダメージはないだろうが、その攻撃はティラノブーストの注意を引くには十分だった。ティラノブーストが、苛立たしげに右を向く。
その隙を突き、別の信徒――ワッキヤックだった――が、ティラノブーストの右側面を、囮になるように駆け抜けた。
完全にそちらに気を取られたティラノブーストが、キョウに対して無防備な背中を晒す。
(今だ!)
京介は、この千載一遇の好機を逃さなかった。彼は、練習の成果を全て込めて、尻尾をしなやかに、そして正確に、ティラノブーストの弱点――股間――へと叩き込んだ。
ペチィッ!
情けない音と共に、ティラノブーストの巨体が「ビクンッ!」と大きく跳ね上がった。そして、急所を押さえながら、苦悶の呻き声を上げる。
その無防備な背中に、キョウの、STR全振りの鉄拳が叩き込まれた。
ゴッ!
ティラノブーストが「ギャオーー!!」と怒りの咆哮を上げ、再びキョウに向き直る。
しかし、その時、再び信徒の一人が放った矢が、その右側頭部に命中した。ティラノブーストが、苛立たしげに右を向く。そして、ワッキヤックが、再びその右側面を駆け抜けた。
(え? デジャヴ?)
京介の脳裏を、強烈な既視感が襲う。ティラノブーストが、完全にワッキヤックに気を取られ、再びキョウに無防備な背中を晒した。
ペチィッ!
京介の、もはや熟練の域に達した股間への一撃が、再び炸裂する。ティラノブーストが呻き、ひるんだ隙に、キョウの鉄拳が叩き込まれた。
「ギャオーー!!」
ティラノブーストが、三度キョウに向き直る。そこに、三度目の矢が飛んでくる。そして、三度目のワッキヤックが駆け抜ける。
(完全にハメ技じゃないか! もはや流れ作業だ……。受験勉強の英単語の暗記と何も変わらない……)
もはや、それは戦闘ではなかった。あまりにも見事な、そしてあまりにも間抜けなループコンボ。信徒たちの完璧な陽動、京介の的確な急所攻撃、そしてキョウの脳筋フィニッシュ。誰一人として意図していないにもかかわらず、そこには地獄のようなチームワークが成立していた。
それから、都合5回。同じ光景が繰り返された後、ティラノブーストは、ついにその巨体を大地に横たえ、光の粒子となって消えていった。
「これが中ボス!? クソゲーにも程があるだろ! ワンパターン戦法にハメ殺されるとか、格闘ゲームの初心者狩りかよ! 威厳もクソもない、ただのサンドバッグじゃないか!」
京介の魂のツッコミが、静まり返った広場に虚しく響き渡った。
◇
【LEVEL UP!!】
【キョウのレベルが 10 に上がった!】
【ステータスポイントを割り振ってください】
祝福のファンファーレと共に、キョウのレベルは一気に5も上昇した。しかし、ステータスポイントの割り振りウィンドウは、京介がその存在を認識するよりも早く、跡形もなく消え去っていた。
【STRに全ポイントを割り振りました】
(……分かってはいたけど、なんか悔しいんだよな)
京介が遠い目をしていると、周囲から割れんばかりの歓声が上がった。
「おおおお! マスターが、中ボスを一撃も食らわずに討伐されたぞ!」
「我々の補助など、ほとんど必要なかった! 全てはマスターの計算通りだったのだ!」
「さすがは破壊神! 我らがマスター!」
信徒たちは、自分たちの連携が生み出した奇跡だとは露ほども思わず、全てをキョウの神業だと信じて疑わなかった。
その熱狂の中心で京介は、このささやかな中ボス(?)討伐により、さらなる狂乱の渦へ巻き込まれるとは、思ってもいなかった。




