第22話 尻尾は便利なお助けハンド
激闘(?)の末にフェルンリが光の粒子となって消え去った後、その場には一つのアイテムが残されていた。手のひらサイズの小瓶の中で、禍々しい紫色の液体が不気味に渦巻いている。
「おお、あれは……!」
隣を飛んでいたポヌルが、珍しく感心したような声を上げた。
「レアアイテムの『バーサクドラッグ』ニャ。服用すれば、攻撃力、スピードといった物理ステータスが、一定時間、爆発的に上昇する秘薬だニャ。ただし、飲んだ者は丸一日の間、理性を失い、敵味方の区別なく暴れ続ける『狂戦士状態』になるという、恐ろしい副作用があるニャ」
ポヌルの説明を聞きながら、先師京介はゴクリと喉を鳴らした。
狂戦士状態になる副作用? 元から24時間365日、理性ゼロの狂戦士であるキョウにとって、それは副作用ですらない。ただマイナスだったものに、マイナスをかけるだけだ。つまり、実質ノーリスクどころかプラス。純粋な強化の恩恵だけを受けられる、最高のドーピングアイテムではないか。
(欲しい……! 喉から手が出るほど欲しい! けど、この操作不能アバターじゃ、地面に落ちてるアイテム一つ、拾うこともできないんだよな……)
京介は、宝の持ち腐れとなった1億ゴールドのことを思い出し、再び虚無感に襲われた。
◇
しかし、その日のキョウは、いつもと少し様子が違った。
敵を倒した後、いつものように魔王城へ向かって走り出すかと思いきや、その場に立ち止まり、まるで自分の拳でも眺めるかのように、じっと動かないのだ。
(ん? どうしたんだ?)
京介が訝しんでいると、ポヌルが興味深そうに推測を述べた。
「ふむ。もしかしたら、初めて敵を倒してレベルアップしたのが、存外に気持ちよかったのかもしれないニャ。もっと敵を倒して、もっと強くなりたいと、この脳筋の本能が囁いているのかもニャ」
ポヌルの言葉を証明するかのように、キョウはふと顔を上げると、遠くの平原を歩いている一体のモンスターを視界に捉えた。そして、ゆっくりと、しかし確実に、そのモンスターの方向へと歩き始めたのだ。
(チャンスだ……!)
京介の脳内に、閃きが走った。
キョウがアイテムの前を通り過ぎる、その一瞬。あの尻尾を使えば、あるいは……。
京介は、全神経を尻尾の先に集中させる。キョウがバーサクドラッグの真横を通り過ぎる、まさにそのタイミングを狙って、彼は尻尾を鞭のようにしならせた。狙うは、アイテムをすくい上げ、キョウの手元へと弾き飛ばす、神業のような一撃!
バシッ!
しかし、初心者の尻尾コントロールは、そんなにも甘くはなかった。
尻尾の先端は、アイテムをすくい上げるどころか、真芯で豪快にひっぱたいてしまった。小瓶は、甲高い音を立てて宙へと舞い上がる。
(ああ……やっぱりダメか……)
京介が諦めかけた、その時だった。
放物線を描いて飛んでいった小瓶は、まるで何かに吸い寄せられるかのように、歩き出したキョウの、ちょうど開いていた口の中へと、スポンッ! と見事に吸い込まれていったのだ。
ゴクン。
キョウの喉が、無意識に液体を飲み下す。
「……あ。入ったニャ」
ポヌルが、どこか他人事のように呟いた。
京介は、あまりの偶然の一致に、もはや笑うしかなかった。
(偶然って、怖いな……。今の僕の動き、完全に寝たきりの要介護者の口に、スプーンでご飯を運ぶ介護士のそれだったぞ……。まさかVRMMOの世界で、介護スキルが上達するとは思わなかった……)
その奇跡的な光景を、遠くの物陰から見ていた信徒たちが、息を呑んだ。
「ま、マスターが……自らバーサクドラッグを!」
「なんてことだ! あれを飲めば、理性を失い、真の狂戦士と化してしまうというのに!」
信徒たちの心配をよそに、秘薬を飲み干したキョウの全身から、紫色のオーラが立ち上る。そして、目標のモンスターに向かって、今まで以上の速度で走り出しながら、高らかに咆哮した。
「ウガァァァァァァァァッ!!」
すかさず、ポヌルが完璧な翻訳を叫ぶ。
「『我に、あの程度の薬の副作用など効かぬわ! 我が理性は、この程度の劇薬では揺らぎはせん!』……と、申しておりますニャ!」
その言葉を聞いたロジックが、深く頷いた。
「まさか……! 彼はあの劇薬を、副作用ごと、自らの強靭な精神力でねじ伏せたというのか! 狂戦士状態という『デバフ』すら、自らの『バフ』へと昇華させる……! さすがはマスター・キョウ! 全ては計算通りだとは!」
◇
バーサクドラッグの効果で、キョウの身体能力は飛躍的に向上していた。彼が目標としていたモンスター――その名も【マッスルブレインゴリラ】――の前に、あっという間にたどり着く。
(マッスルブレインゴリラって、そのまんま脳筋ゴリラってことじゃないか! 僕のツッコミを、そのままモンスターの名前にするな、運営ぃぃぃぃ!)
京介のツッコミも虚しく、キョウとゴリラ、二体の脳筋は、互いに引き寄せられるように対峙した。そして、示し合わせたかのように、両者は互いの手を固く組み合った。それは、戦いというより、もはや「対話」だった。言葉を必要としない、純粋な筋力という言語だけで行われる、二体の脳筋による、あまりにも美しいコミュニケーションの始まりだった。
グググググググ…………ッ!
信徒たちが固唾を飲んで見守る中、一人の信徒が、感極まったように叫んだ。
「マスター! キレてる! キレてるよッ!」
拮抗する二つの筋肉。しかし、その均衡はすぐに崩れた。
バーサクドラッグのドーピング効果を得たキョウのパワーが、ゴリラのそれを僅かに、しかし確実に上回っていた。キョウの腕が、ゴリラの腕を、ギリギリと押し返していく。
「ウガアアアアアアアアアアアッ!」
最後は、気合の雄叫びと共に、キョウがゴリラを完全に力でねじ伏せた。巨体はバランスを崩して大地に倒れ、そのまま光の粒子となって消えていく。
【EXP:1500を獲得しました】
初めて、能動的にアイテムを使い、敵を倒す。
その達成感は、京介の心に、この世界に来て初めて、純粋な「ゲームを攻略する喜び」という感情を灯した。それは、難解な数学の問題が、閃き一つで解けた瞬間の快感によく似ていた。彼は、囚人ではなく、初めて一人の『プレイヤー』になれた気がした。
しかし、この尻尾と天才軍師の化学反応が、新たなる伝説を創り出す事になるのである。




