第20話 尻尾で運命を変えるのだ
狂戦士キョウの足が、いつもの森へと踏み入れた。そのアバターの内部で、先師京介の心は、かつてないほどの高揚感と使命感に満ちていた。
彼はもはや、無力な傍観者ではない。
(この尻尾……。この唯一操作可能な部位を使って、この無限のデスマーチを終わらせるんだ!)
問題は、どうやって使うか、だ。この尻尾一本で、暴走機関車のようなキョウを止められるのか?
(……待てよ。無理に止めるから反発されるんだ。発想を転換しろ。船が舵を使って進路を変えるように、この尻尾を左右に振って重心をずらせば、走っているキョウのベクトルを、少しずつ逸らせるんじゃないか?)
京介の脳内に、物理の授業で習ったような仮説が閃いた。
(よし、試してみよう!)
京介は、意識を腰の一点に集中させる。そして、念じた。
(右! 左! 右! 左!)
彼の意志に呼応し、キョウの尻尾が、まるでメトロノームのように左右に力強く振られ始めた。すると、猛進していたキョウの上半身が、明らかに左右にブレ始める。その動きは、さながら千鳥足の酔っ払いだ。
(いける! これはいけるぞ!)
京介は、確かな手応えを感じていた。
◇
「よし! 行くぞ!」
京介は、さらに強く、もっと速く、尻尾を左右に振り回した。ブンブンと、空気を切り裂く音が聞こえてきそうだ。キョウの体は、もはやまともに直進できず、蛇行運転を繰り返している。
しかし、それでも、狂戦士の脚は止まらない。
「ウガァ……」
キョウが、心なしか不満そうに、低く呻いた。どうやら、自分の体が意図せず揺れることに、苛立ちを感じているらしい。だが、彼はその不規則な揺れに耐えながらも、なお魔王城を目指して走り続けた。
そして、京介の体に、予期せぬ副作用が襲いかかった。
(うっ……。き、気持ち悪い……)
キョウの視界と完全にリンクしている京介の三半規管は、この制御不能な横揺れに耐えきれず、もはや英語の長文読解をしている時のような、強烈な吐き気を催していたのだ。
「お主……さっきから一体何をやってるニャ……?」
隣を飛んでいたポヌルが、心底呆れ返った目でこちらを見ている。
(ダメだ……このままじゃ、僕の精神が先に限界を迎える……!)
京介は、作戦の変更を余儀なくされた。
(そうだ! 進路を逸らすのがダメなら、物理的に止めればいい! この尻尾で、頭上の木の枝を叩き折って、キョウの目の前に落とすんだ!)
それならば、乗り物酔いに苦しむこともない。完璧な作戦だった。……その時までは。
◇
「これだ!」
京介は、キョウが走り抜けるルートの真上にある、手頃な太さの木の枝に狙いを定めた。
(いけえええええええええっ!)
彼は、ありったけの意志を込めて、尻尾を鞭のようにしならせ、上方へと振り上げた。
しかし、初めて行う三次元的な尻尾操作は、京介の想像以上に精密なコントロールを要求した。
狙いを定めたはずの尻尾は、わずかに軌道を逸れ
ボコッ!
木の枝ではなく、その少し奥にぶら下がっていた、バスケットボールほどの大きさの、いかにも「殴ってください」と言わんばかりの縞模様のオブジェクトに、完璧な角度でクリーンヒットしてしまった。
(……え?)
京介の思考が停止する。
叩き落とされたその塊――巨大な蜂の巣は、地面に激突して粉々に砕け散った。
そして、次の瞬間。
ブウウウウウウウウウウウウンッ!!!!
巣から溢れ出した無数の巨大蜂が、怒りの羽音を響かせながら、巣を破壊した張本人であるキョウたちに、一斉に襲いかかってきたのだ!
「ニャアアアアアアアアアアッ!?」
「ぎゃあああああああああああ!」
蜂の群れに襲われたキョウは、さすがの狂戦士も、本能的な恐怖には抗えなかった。彼は、くるりと踵を返すと、今まで進んできた方向とは真逆――つまり、魔王城とは正反対の方向へ向かって、脱兎のごとく走り出した。
その背中に、ポヌルの絶叫が突き刺さる。
「この状況で、わざわざ一番ヤバいオブジェクトを殴りに行くやつがあるかニャアアアアアアアアアアッ!!!!」
蜂に刺されながら、京介は必死に謝罪した。
「ご、ごめん! わざとじゃないんだ!」
そして、彼は、この地獄絵図の中に、ほんの少しの光明を見出していた。
「で、でも、見てみろよポヌル! 結果的に、僕たちは初めて魔王城から離れることに成功したんだ! プロセスは最悪だったけど、結果は最高だ! これは、僕の作戦勝ちと言ってもいいんじゃないか!?」
そのあまりにもポジティブすぎる言い訳に、ポヌルの怒りは頂点に達した。
「そういう問題じゃないニャアアアアアアアアアアアアアアッ!!!!」
ポヌルの絶叫が、背後から迫る無数の羽音に掻き消されていく。
京介の最初の作戦が生み出したのは、地獄絵図とポヌルの怒りという、最悪の結果だった。
だが、それでも、彼は確かに成功したのだ。自らの意志で、決められた「運命のルート」を、ほんの少しだけ変えることに。
まさか、その変更されたルートの行き先が、新たな絶望へと繋がっているとは、この時の彼は知る由もなかった。




