第16話 無言の教え
「勉強になりました、マスター!」
森の中、天才軍師ロジックは、狂戦士キョウが走り去った方角に向かって、深々と頭を下げていた。三度にわたる弟子入り志願を無視されたにもかかわらず、彼の心は不思議な達成感と、師への尽きせぬ尊敬の念で満たされていた。言葉に頼らず、行動で弟子を導く。それがマスター・キョウの流儀なのだと、彼は完全に理解(誤解)していた。
ロジックが頭を上げた、まさにその時だった。
カツン、という乾いた音と共に、彼の足元に手のひらほどの大きさの石が転がってきた。見れば、キョウが走り去った道筋から飛んできたもののようだ。おそらく、彼が走る際に蹴飛ばした小石だろう。
(マスターの蹴り上げた石……? これも何かのメッセージか?)
ロジックが訝しんだ瞬間、その石は彼の足元で小さく跳ねると、近くの苔むした大木に、コトリ、と軽くぶつかった。
すると、信じられないことが起こった。
ゴゴゴゴゴ……と、重い音を立てて、その大木の根元がスライドし、暗い洞窟への入り口が姿を現したのだ。
「こ、これは……隠し通路!」
ロジックは息を呑んだ。ただの偶然か? いや、あり得ない。あのマスター・キョウの行動に、無意味なものなど一つもないのだ。
(そうか! これもマスターが無言で私に与えたもうた、新たな『問い』なのだ! 『お前は、この道を進む覚悟があるか』と……! なんと心憎い論理的な演出だ……! ええ、お答えしましょう。このロジック、どこまでもお供します!)
ロジックの勘違いは、もはや光速を超えて加速していた。彼は、師の深遠な計らいに打ち震えながら、覚悟を決めてその暗い通路へと足を踏み入れた。
◇
通路の中は、不気味なモンスターたちの巣窟となっていた。巨大な蝙蝠、毒を持つ粘菌、硬い甲羅を持つ蟲。次から次へと襲いかかってくる敵を、ロジックは冷静な分析と的確な魔法で次々と撃破していく。
戦いながら、彼はあることに気づいていた。
(絶妙な強さだ……)
出現するモンスターは、決して弱くはない。だが、今のロジックの実力で、ギリギリ倒せるか倒せないか、という絶妙なレベルに調整されていたのだ。まるで、彼のステータスとスキルを完璧に把握した上で、最適な成長を促すために配置されたかのようだった。
(さすがだ、マスター……。私の戦闘データを瞬時に分析し、この私専用の育成シミュレーターをご用意くださるとは……! あなたの論理的なその慧眼、もはや神の領域だ!)
激闘の末、ロジックはこの試練を乗り越えることで、自身のレベルが5も上昇していることに気づいた。彼の師への尊敬は、もはや信仰の域に達しようとしていた。
◇
薄暗い通路を抜けた先は、見覚えのある場所だった。天を突く魔王城の門前。そして、彼の視線の先では、ちょうどキョウが門番のミノタウルスと対峙するところだった。
(間に合ったか……! レベルを上げたこの目で、マスターの戦いを観測し、その真髄を論理的に学ぶのだ!)
ロジックが息を殺して見守る中、キョウは天に向かって咆哮した。
「ウガァァァァァァァァッ!!」
すかさず、隣に控えていた妖精猫ポヌルが、ロジックにも聞こえるよう、大声で「翻訳」する。
「『我が無言の問いに、よくぞ応えた、我が弟子ロジックよ! 新たなる力を得たその目で、我がこれから示す『奇跡』の、生き証人となるがいい!』……と、言っているニャ!」
その言葉に、ロジックは武者震いした。
しかし、次のキョウの行動は、彼の予想を遥かに超えるものだった。キョウは、ミノタウルスには目もくれず、その傍らに突き立てられた巨大な戦斧へと走り寄ったのだ。そして、あろうことか、その巨大な斧を、自らの手で持ち上げようと試みたのである。
【装備レベルに達していません】
【装備不可】
キョウの視界(そして京介の視界)に、無慈悲なシステムメッセージが連続で表示される。
(無理に決まってるだろ! レベル1でそんなもん持てるわけないだろ!)
京介が内心で絶叫する。ロジックもまた、驚愕に目を見開いていた。
「無茶だ! あんな巨大な斧、論理的に考えてレベル1の腕力で持ち上げられるはずが……!」
しかし、彼はすぐに自らの浅はかな考えを改めた。
「い、いや……。マスターなら、あるいは……」
ミノタウルスも、自分の武器を持ち上げようとする小さな虫けらを、まるで「できるもんならやってみろ」とでも言いたげな、呆れた目で見下ろしている。
キョウは、斧の柄に両手をかけると、全身全霊の力を込めて、再び咆哮した。
「ウガァァァァァァァァッ!!!!」
ポヌルの、神がかったタイミングの同時通訳が響き渡る。
「『持ち上げられるか、ではない! 俺は、持ち上げるんだッ!』……と、その魂が叫んでおりますニャ!」
その瞬間、ロジックの目には、信じられない光景が映っていた。キョウの力に呼応するように、巨大な戦斧が、ほんの少し、本当にミクロン単位で、地面から浮き上がったように見えたのだ。
もちろん、京介の視界ではビクともしていないし、物理法則的にも動くはずがない。
「ま、まさか……! レベル1のステータスで、システムの装備制限すら覆し、あの斧を本当に持ち上げるとは……! これが、これが『破壊神』……!」
ロジックが驚愕と感動に打ち震えた、その時。
自分のオモチャに飽きたミノタウルスの、巨大な拳が、無慈悲にキョウの頭上へ振り下ろされた。
ゴシャッ!
【GAME OVER】
あまりにも呆気ない結末。白い光に包まれながら、京介は叫んだ。
(だから無理だって言っただろおおおおおお!!)
一方、ロジックは、その場に崩れ落ちるように膝をついていた。彼の頬を、一筋の熱い涙が伝う。
「……見事でした、マスター。あなたは、常識やシステムという名の壁を、ただ己の意志の力だけで打ち破れるのだと、その身をもって私に教えてくださった……!」
彼は、固く拳を握りしめ、天を仰いだ。
「この感動……この福音を、私一人の胸に留めておくことは罪だ! マスター・キョウという『真理』を、この世界の全ての迷えるプレイヤーに、私が伝えなくては!」
こうして、狂戦士の最も熱心な布教者が、ここに爆誕した。
もちろん、その布教活動が、さらなる壮大な勘違いを生み出していくことを、まだ誰も知らなかった。




