第12話 増殖するファンの見物
パリーン、という小気味よい音と共に、本日最後の壺が砕け散った。これで、この家の破壊可能なオブジェクトは全て、キョウの拳によって原子レベルにまで還元されたことになる。
そして、いつものように、キョウはくるりと踵を返し、玄関――だったところ――から外へと飛び出した。
しかし、その先に広がっていたのは、いつもの長閑な村の風景ではなかった。
「……!?」
家の前が、黒山の人だかりで埋め尽くされていたのだ。剣士、魔法使い、商人、弓兵……様々な職業のプレイヤーたちが、まるで世紀のスターの登場を待ちわびるかのように、キョウが出てくるのを今か今かと待ち構えていたのである。
(な、なんでこんなに注目されてるの!? もしかして、また壺を割ったから!? ごめんなさい! 本当にごめんなさい! 僕の意志じゃないんです! この脳筋が勝手に!)
先師京介の心臓は、かつてないほどのプレッシャーで縮み上がっていた。まるで、授業中に居眠りしているところを教師に指名され、クラス全員の視線が突き刺さる、あの瞬間のようだ。
「おお……! お出ましになられたぞ!」
「静粛に! これから始まる『神事』の邪魔をするな!」
「我々は、歴史の証人となるのだ……!」
プレイヤーたちの囁き声が、京介の耳に届き、彼の精神をさらに深く抉っていく。
しかし、当のキョウは、集まった大観衆に一瞥もくれることなく、その視線に全く意を介さず、いつものように魔王城のある方角へ向かって猛然と走り出した。
◇
魔王城へ向かう街道は、もはやキョウのためのパレードルートと化していた。道の両脇には、噂を聞きつけて集まったプレイヤーたちがずらりと並び、まるで駅伝の応援のように、通り過ぎるキョウに熱い視線を送っている。
(おかしい……絶対におかしい! 前回も噂にはなってたけど、ここまでじゃなかった! まるで僕が、いやキョウが、何かとんでもない有名人みたいじゃないか!)
京介が混乱していると、横を飛んでいたポヌルが、ニヤニヤしながら話しかけてきた。
「面白いことになっているニャ」
(何か知ってるのか、ポヌル!)
彼の疑問を察したようにポヌルは答えた。
「前の噂がさらに大きくなっているニャ。お主の行動の一つ一つを深読みし、そこに隠された真意を見出そうとする、『考察勢』なる者たちが誕生したらしいニャ。死に戻りを前提とした、ミノタウロスの情報分析をしているという話になっているニャ」
(全部間違ってる!)
京介のツコミは、もはや天丼芸の域に達している。
その時だった。沿道で見ていたプレイヤーの一人が、キョウに向かって叫んだ。
「破壊神! ミノタウルス戦、頑張れよ!」
その言葉を皮切りに、次々と応援の声が上がる。
「応援してるぜ、キョウさん!」
「あんたの戦いを見て、俺は目が覚めたよ!」
そして、彼らは応援の言葉と共に、手のひらサイズの小瓶を、放物線を描くようにキョウに向かって投げつけ始めた。赤い液体が入った、回復薬だ。
(ポーション!? もしかして、支援物資か!?)
京介の目に、一瞬だけ文明の光が宿った。そうだ、これだけファン(という名の奇特な人たち)がいるなら、アイテムを支援してもらうことで、この原始人のような生活から脱却できるかもしれない!
しかし、キョウはそんな京介の淡い期待を、いとも容易く裏切った。彼は投げつけられる無数のポーションに、全く見向きもしない。ただひたすら、前だけを見て走り続ける。
カシャン! パリン!
プレイヤーたちの善意の結晶であるポーションは、キョウに受け取られることなく、次々と地面に落ちて虚しく砕け散っていった。
「もったいないいいいいいいいいいいい!!」
京介の魂の叫びが、脳内に響き渡る。一瓶数十ゴールドはするであろう貴重品が、目の前で無駄になっていく。
だが、ファンたちの反応は、京介の予想の斜め上を行っていた。
「……ポーションを受け取らないだと?」
「そうか……『情報収集』のための死に戻り戦術において、HPの回復はノイズでしかないということか……!」
「彼は、ポーションという物質的な支援すら拒絶する! ただ己の肉体と精神のみを研ぎ澄まし、純粋なプレイヤースキルで世界の真理に挑む……。これが、本物か……!」
彼らの勘違いは、もはや芸術の域に達していた。
◇
魔王城の門前は、かつてないほどの観客でごった返していた。彼らはミノタウルスに感知されないギリギリの安全地帯から、固唾を飲んで「破壊神の戦術」を見守っている。
(あまり見ないでください! お願いします! これから行われるのは、ただの無謀で無意味な自殺行為なんです! 何の参考にもなりませんから!)
京介が心の中で土下座していると、キョウはミノタウルスに向かって歩き出した。
ブオンッ!
風を切り裂く轟音と共に、戦斧が横薙ぎに振るわれる。しかし、その軌道はキョウの頭上を大きく逸れていた。
あろうことかキョウは、その場で足元の小石につまずき、盛大にすっ転んでいた。結果、その頭上をミノタウルスの戦斧が空しく通り過ぎていく。奇跡的な回避であった。
「おおっ!?」
「今の一撃を、最小限の動きで避けたぞ!」
ギャラリーが沸く。
(ただ転んだだけだろ!)と京介はツッコむが、ミノタウルスは構わず攻撃を続ける。今度は斧を縦に振り下ろす。だが、これもキョウが偶然にも横に跳ねたことで、すれすれを通り過ぎて地面を抉るだけだった。
「す、すごい……! 全ての攻撃を見切っている!」
「あれが破壊神の『神眼』か!」
その言葉に、後ろで腕を組んでいたロジックが、眼鏡を光らせて補足した。
「神眼……フッ、その通り。だが、それは単なる『未来予知』のような低次元なものではない。彼は、ミノタウルスのヘイト値をミリ単位でコントロールしている。あの立ち位置、あの動き……全ては、ミノタウルスに特定の攻撃パターンを『選択させる』ための、論理的に計算され尽くした誘導なのだ! ただ避けるのではない。欲しいデータを確実に引き出す……! なんと恐ろしい論理的情報収集能力だ……!」
(見切ってない! ただのまぐれだ!)
京介の叫びも虚しく、キョウは数度にわたるミノタウルスの大振りな攻撃を、奇跡的な偶然だけで回避し続けた。その光景は、端から見れば、達人が猛獣を手玉に取っているようにしか見えなかった。
しかし、その遊びにも終わりが来る。
少し苛立ったミノタウルスが、斧の刃ではなく、その硬い柄の部分で、キョウの体を軽く払った。
ゴッ!
【キョウは 149のダメージを うけた!】
【キョウのHP:150/150 → 1/150】
「ぐっ……!」
初めて有効打を受けたキョウが、大きく吹き飛ばされ地面を転がる。HPは、風前の灯火。
だが、キョウは倒れない。ふらつきながらも立ち上がり、ミノタウルスを睨みつけ、渾身の力を込めて咆哮した。
「ウガァァァァァァァァッ!!」
その瀕死の雄叫びを聞き、ポヌルが観客たちに向かって叫んだ。
「『……見えたぞ。数多の死の果てに、ついに見えた! あと一撃……あと一撃で、貴様の行動パターン、その全ての因果律を完全に見切れる!』……と、申しておりますニャ!」
その翻訳は、ギャラリーの興奮に火をつけた。
「いけえええええ! 破壊神!」
「あと少しだ! 俺たちが見届け人だ!」
「伝説の瞬間を見せてくれ!」
大歓声を背に受け、キョウは最後の力を振り絞り、ミノタウルスに向かって一直線に突進していく。
そして、その無防備な体に、ミノタウルスが心底うんざりしたように、デコピンを放った。
ピンッ。
あまりにも軽い音と共に、キョウの体はくの字に折れ曲がり、動かなくなった。
【GAME OVER】
静まり返るギャラリー。そして、白い光に包まれながら、京介の最後のツッコミだけが響き渡った。
「伝説の瞬間を見届けられただろおおおおおおおおおおおおお!!」




