第10話 新たなボスの攻略法(?)
「それではお手並み拝見と行こう」
天才軍師ロジックの静かな宣言と共に、狂戦士キョウの、もはや恒例行事となったミノタウロスへの特攻が始まった。その後ろでは、腕を組んだロジックが、分析するように鋭い視線を戦場に注いでいる。
(ああ、もうやだ……。公開処刑じゃないか、これ……)
先師京介の精神は、羞恥と絶望で飽和状態にあった。自分の意図しない行動を、赤の他人に、それも「天才軍師」などという大層な二つ名を持つプレイヤーに、一挙手一投足観察される。それは、テスト中に珍回答を連発している答案用紙を、クラス全員に回覧されるような屈辱だった。
キョウは一直線にミノタウロスの足元へと歩み寄る。しかし、迎え撃つミノタウルスの様子が、いつもと少し違っていた。度重なるレベル1の挑戦者(?)の来訪に、さすがの門番も飽き飽きしているらしい。その血のように赤い瞳には、もはや敵意はなく、退屈と面倒くさそうな色が浮かんでいた。巨大な体で、ふぁあ、と大きなあくびまでしている。
キョウが渾身の拳をスネに叩き込む。だが、ミノタウルスはキョウの拳を、巨大な人差し指一本で、まるで蝶々でも止めるかのように優しく受け止めた。
「ほう……」
その光景を見て、後ろで観戦していたロジックが、感心したように息を漏らした。
「……なんだと? ミノタウルスの質量を乗せた一撃を、最小限の接触で……攻撃の運動エネルギーを完全にゼロ化したというのか。達人……いや、もはや『武神』の所業だ」
(違う! ただ遊ばれてるだけだ! 完全にナメられてるだけなんだよ!)
京介の心の叫びも虚しく、ミノタウルスはキョウを弄び始めた。キョウのパンチをひらりひらりとかわし、時には手のひらの上で転がしてみたり、巨大な腕を滑り台のようにして滑らせてみたり。どう見ても、巨大な牛の化け物が、米粒ほどのオモチャで遊んでいるとしか思えない光景だった。
しかし、天才軍師の目には、その光景が全く別のものとして映っていた。
「ご、互角だと!?……いや違う! これは互角などという次元ではない! 相手の攻撃を全て誘い出し、その上で完璧に対応することで、敵の戦意そのものを削いでいる! もはや赤子の手をひねるが如く、完全に戦場を支配している! これが『破壊神』の実力か……!」
(どこをどう見たら互角なんだ!? あんたのその銀縁眼鏡は伊達なのか!?)
京介のツッコミは、もはや悲鳴に近い。
ミノタウルスは、いよいよ遊びに飽きてきたのか、キョウをつまみ上げると、自らの腕の上に乗せた。そして、その腕をまるで道のように、自身の頭部へと繋げた。
キョウは、もちろんその挑発(?)に乗った。彼はミノタウルスの剛毛に覆われた腕を駆け上がり、一直線にその巨大な顔面へと突進していく。
その常軌を逸した光景に、ロジックは興奮を隠せない様子だった。
「敵の身体そのものを、自身の攻撃ルートとして利用しただと!? 巨体を持つ敵との高低差という『不利』を、敵自身に埋めさせることで『有利』へと強制的に変換する……! なんという常識外の発想……! これが彼の戦術……!」
ついにミノタウルスの額にたどり着いたキョウは、そこを絶好の攻撃ポイントと定めたのか、無意味な拳を何度も何度も叩きつけ始めた。
「ウガァァァァァァァァッ!!」
渾身の雄叫びが、魔王城の門前に響き渡る。すかさず、戦況を見守っていたポヌルが、ロジックにも聞こえるよう、大声で「翻訳」を開始した。
「『見つけたぞ、貴様の弱点! その巨大な体の全てを司る、中枢神経核は、その眉間にある!』と看破しておりますニャ!」
「弱点を的確に見抜いたというのか! 実に論理的だ!」
ロジックの目が、眼鏡の奥でカッと見開かれる。彼はもはや、キョウの一挙手一投足が、神の啓示にすら見えていた。
しかし、神の時間は、唐突に終わりを告げる。
額で虫が暴れているかのような鬱陶しさに、ついにミノタウルスの堪忍袋の緒が切れた。
「……ッ!」
ミノタウルスは、巨大な手のひらで、自らの額を――そこにいるキョウごと、まるで鬱陶しい蚊を叩き潰すかのように、躊躇なく一閃した。
パァン!
乾いた音と共に、キョウの体は紙切れのように吹き飛ばされ、地面に叩きつけられる。そして、起き上がる間もなく、ミノタウルスは今まで地面に突き立てていた巨大な戦斧を、ゆっくりと、しかし無悲に振り上げた。
(ああ……終わった……)
京介が目を閉じた瞬間、轟音と共にキョウの視界は光に包まれた。
【GAME OVER】
あまりにも呆気ない、いつもの結末。
一瞬の静寂の後、京介の意識が始まりの村へと転送される、その直前。彼は聞いてしまった。
背後で静かに戦況を見つめていた天才軍師が、震える声で、真理を発見したかのように呟くのを。
「そうか……! 理解したぞ! あれは囮! 自らのレベル1の身体を『死』というリスクすら厭わぬ究極の餌として、あのミノタウルスの攻撃パターン、AIの思考ルーチンを完璧に読み切るための、捨て身の論理的データ収集だったのだ!」
ロジックは、まるで天啓を得た預言者のように、興奮に体を震わせながら続けた。
「我々凡人が装備とレベルという物質的なアドバンテージで戦う中、彼は死ぬことすら計算に入れた、究極の論理的情報戦を仕掛けているのだ! これが……これが『破壊神』の本当の戦術か!」
その壮大すぎる勘違いを耳にしながら、京介の意識は遠のいていく。
最後に彼の口から絞り出されたのは、もはや誰にも届かない、魂からの絶叫だった。
「その究極の情報戦、ただの事故なんですけどおおおおおおおおおおおおおッ!!」
そして、このあまりにも壮大な勘違いから生まれた「究極の情報戦」という仮説は、さらに詳しく分析されていくことになるのであった。




