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其ノ壱 414号室 五②

「カーテン、閉めてくれますか?」

「あ、はい……」


 カーテンを閉める際に改めてバルコニーの様子を窺ってみたけど、仕切り板を始め、変わった点は何もなかった。

 もちろんどこからか覗く顔なんて存在しない。

 ……まぁ、先生も学校が大変で疲れているんだろう。


 食器を下げた後は、先生がキッチンで黙々と水洗いをしてくれていた。

 てっきり俺にやるよう言ってくると思ったのに、意外だな。

 ……なんだか気まずくなってしまった。


 手持無沙汰でスマホを手に取ると、時計を見て先生が2時には帰ると言っていたことを思い出した。


「先生、2時から何があるの?」

「六月に学区でお祭りがあるでしょう。ウチの学校もお手伝いすることになっているから、その打ち合わせがあるんです」

「打ち合わせ? 今日、祝日だよ?」

「学校も色々あってね。進行に遅れが出ているから、休日返上で仕事しなければならないのです。本当、社会人って大変なのですからね?」

「そういうもんなんだ。あーあ、社会になんて出たくないなぁ」

「いつまでも子どもというわけにはいきませんから! 自炊の一つでも覚えて、少しは将来のための準備をしておかないと、ですよ!」


 なんだか母親みたいな言い草。

 先生にとって、俺なんてやっぱりただのガキにしか見えないのかな。

 部屋で二人きりと言ったって、しょせんは教師と教え子――それ以上の特別な関係になんてなれるわけない、か。


 ……自分でも意外なほど落胆している。

 俺、何か期待でもしていたのかな。


「それじゃ休日返上で頑張っている先生のために、俺も洗い物手伝うとするか!」

「もう! 言うのが遅いですからっ」


 強張っていた先生の表情が緩むのを見て、なんとなく嬉しくなる。


 いそいそとキッチンへ向かおうとした時、コンロの上にあるレンジフードから何かが落ちるのを見た。

 それは棚に押し込んでいたはずのサラダ油の容器だった。

 それがいつの間にあんなところに⁉


「危ないっ‼」


 俺が叫んだ時には、容器は先生の頭上に落下していた。

 それだけでなく、中身が飛び出して先生はサラダ油を頭から被ってしまった。


「な……何これぇぇ~~~っ⁉」


 全身ベタベタになった先生は、泣きそうな顔で叫んでいる。

 これはもう何というか……社会経験のない高校生には、対処不能な事態としか言いようがない。





 ◇





 すでに時刻は2時を回っていた。

 この時間にはすでに帰っているはずの桜野先生は、今もまだ俺の部屋にいる。

 正しくは、バスルームにいるんだけど。


「なんだこの状況……」


 俺はシャワーの音に耳を澄ませながら、不測の事態にただただ動揺していた。


 そりゃそうだよ。

 一つ屋根の下、女の人が裸でいるんだぞ。

 これでドギマギしない男子高校生なんているか?

 しかも相手は自分の担任教師……それがまた何とも言えない背徳感を覚えて、緊張を高めてくる。


 ちらりと財布に目をやってしまう俺は、果たして罪深い男だろうか?


 しかし、不思議なこともあるもんだ。

 先生が頭から被ったサラダ油は、予備に買ってきたものだから栓を開けずに棚に閉まっておいたのに。

 それがどうしてレンジフードの上に乗っていたんだろうか。

 俺は触れていないから先生が乗せたのか?

 しかも栓を開けた状態で、蓋も閉めずにあんなところに乗せるなんて、そんなミスをあの人がするかな?


 疑問に頭を回転させる折、シャワー音が聞こえてきて思考が吹っ飛んでしまう。


 バスルームを出る時、先生はバスタオル一枚のあられもない姿なんだよな。

 でも、玄関口に続く廊下と洋室の間はドアで仕切られているから、直接その姿を拝むことはないんだけど……なんだか勿体ない気がする。

 とは言え、覗きをするような度胸は俺にはない。


 深い溜め息をついていると――


「きゃああぁぁっ‼」


 ――ひと際大きな悲鳴が聞こえてきて、びっくりした。


「な、なんだ⁉」

「ひあああぁぁっ‼」


 仕切りドアに近づいた時、すりガラスの向こうでバスルームから飛び出してくる先生の影が見えた。

 まるで転がり出るような勢いだったので、ただ事じゃないとわかる。


 慌ててドアを開くと、廊下には素っ裸の先生が倒れていた‼


 髪は湿っていて、体には水滴が滴っている。

 その表情は恐怖に歪んでいて、まるで怯えた子犬のように震えていた。


 母親以外の異性の裸を初めて見た――なんて言っている場合じゃない!


「どうしたんですか⁉」


 俺は手前に置いてあったバスタオルを掴んで、先生の肩に被せた。

 直後、彼女が俺の胸に飛び込んできたので、またびっくりした。


「な、何かいるっ‼」

「何かぁ⁉」


 バスルームからはシャワー音がそのまま聞こえてきていて、廊下に湯気が溢れ出している。

 先生がそう言うということは、バスルームにその何か(・・)が出たってことか?


 立てかけてあった物干し竿を手に取り、恐る恐るバスルームを覗いてみると――


「……っ」


 ――特におかしなものはなかった。


 浴室に張っているお湯も普通だし、シャワーも適度な温度。

 床には何も落ちていないし、天井の換気扇も平常運転。

 鏡に映る俺の顔も、ちょっと赤くなっているがまぁいつも通りだ。

 ……ハッキリ言って、異常なし。


 俺はシャワーを止めて廊下へと戻った。

 見れば、先生は洋室で身を丸めて震えていた。

 彼女に渡したバスタオルは全身を覆うほど大きくないので、その……お尻が丸見えなんだけど、ひとまずそれは置いておこう。


「先生、一体どうしたの? バスルームには何もなかったけど」

「……本当?」

「うん。異常なしだよ」

「そ、そう? そうよね……私、疲れているのかしら。変なものを見たと思って取り乱しちゃったわ、恥ずかしい」


 先生は冷静さを取り戻したのか、ゆっくりと身を起こした。

 お尻の代わりに、今度は大きな胸が露わになった。

 揺れる二つのお山にピンク色の綺麗な乳房が見えて、俺はそこから視線を外せなくなってしまった。


 その間、実に一秒――先生はハッとして胸と股座を隠した。


「あ、あっち向いててっ」


 言われるがまま、俺は先生が着替えるまで玄関口と睨めっこをしていた。

 その間、ずっと胸の高鳴りが収まらなかった。

 素直に直立できない状態なんだけど、このままじゃ振り向くことなんてできないよなぁ……。


 俺は、気を静めるために濡れた床をタオルで拭くことに集中した。

 それが功を奏して、俺の身心は次第に落ち着きを取り戻していった。


「宗像くん、もう大丈夫よ」


 振り向くと、先生は上下ともに服を着た状態で濡れた髪を拭っていた。

 その仕草がなんだかとても艶めかしく感じる。

 しかも、着ているシャツは俺が貸したものだ。

 なんだか今の先生の姿を見て、とてもエロく感じるのは……俺がおかしいわけじゃないよな?


「今見たことは忘れてね?」

「は、はい。もちろんっ」


 いや、嘘。

 絶対忘れられないし、何ならしっかり脳裏に刻みつけてしまった。

 ごめん先生、いつでも思い出せることを許してください。

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