噂と好奇心の交差点
夜明け前。拠点の出口で背伸びをしながら、俺は鼻先に触れる湿った風を吸い込んだ。
昨日、あの頑固な老人が「お前たちを少しは信じてみる」と言った。胸の奥がじんわり温かい。いや、温かいというよりムズムズする。信頼って、こういうくすぐったい感覚のことか?
「リーダー、またニヤけ顔。」
背後からネズミ族のジロがひょいと顔を出した。こいつ、最近やたら俺の表情チェックが厳しい。
「ニヤけてない。……ちょっとはニヤけたかもしれん。」
「だよな。あの老人、村じゃ結構顔が利く。突破口ってやつだ。」
「そう。ここからが本番だ。肩に力入れすぎないように、でも丁寧にいこう。」
そこへ、ゴキブリ族のカサカサ二号が鼻歌交じりに滑り込んでくる。
「リーダー、今日の朝メシ、キノコ粥にハチミツちょい足しで甘じょっぱい革命っす!」
「朝から革命起こすな。腹が驚くだろ。」
「胃袋は常に冒険者です!」
……うちの部下は今日も平常運転だ。
◇◇◇
朝食の後は作戦会議。石板にチョークで線を引き、拾ったボタンや小石を駒にして村の簡易マップを広げる。
「現状整理。ごんぎつね作戦は、薬草と肥料、井戸の改善、畑の土壌ほぐしまで完了。村の反応は?」
偵察のネズミ二人組が口をそろえる。
「上々! 若い衆、噂を楽しんでる。おしゃべりおばさんは“精霊様”連呼。村長は無言の皺寄せ。」
「最後のが気になるな……よし、次の手は“偶然の置き土産”を増やす。ただし、目立ちすぎない。『誰かが置いた』ではなく『いつの間にかあった』感を徹底する。」
カサカサ二号が翼をフリフリ。
「じゃ、ギフトの中身どうしましょ?」
「まず薬草の詰め合わせ。保存が利く乾燥品も混ぜる。あと、井戸脇に浄化苔を追加。食べ物は山菜と干し果実。余裕があれば簡易の木製乾燥器も置いておく。」
「機材まで置いちゃうの!?」
「“精霊が教えてくれたやり方”って噂に変換される。使い方は絵で残そう。文字は不用意に残さない。」
ジロがこっそり耳打ちしてくる。
「リーダー、村長の家の裏手に、壊れた熊手とヒビ入り桶が放置されてた。直しとく?」
「よし、修理しよう。『気付いたら直ってた』は信頼ゲージをぬるっと上げる。」
◇◇◇
昼過ぎ、採取組と工房組が走り回る。
——採取組:森の谷あいで薬草、山菜、乾きやすい木の枝、小さな石英を回収。
——工房組:木と籐で乾燥器。籠目の編み目をできるだけ細かく、取っ手付き。
——魔法班:雷の微電流で道具の刃を焼き締め、強度アップ(スケルトン先生が監督)。
「よし、その網、もう少し目を細かく。風が当たる面は斜め。虫は斜めが苦手だ。」
「さすがリーダー、虫の心理が分かってる!」
「俺は虫だよ!」
カサカサ二号が修理班に合流して、村長家の裏へ。
「桶のヒビには樹脂と灰、麻繊維を混ぜたパテ! 熊手の柄は節を避けて継ぎ直し!」
ジロが感心する。
「お前、意外と職人肌だな。」
「意外と、は余計っす!」
◇◇◇
夕暮れ。村の外れに“置き土産セット”を運搬。
配置ルールは三つ。
一、井戸の縁には白い小石を二つ、南北に等間隔。目印はさりげなく。
二、乾燥器のそばには簡素な図解(棒人間+矢印+太陽マーク)だけ。
三、修理物は元の位置にぴったり戻す。微妙な土埃の筋も再現。痕跡を残さない。
「……なあ、ここまでやると、逆にプロの犯行感あるけど大丈夫か?」
「いいんだ。プロの精霊、という概念を新たに植え付ける。」
「概念を植える精霊……それもう“教育番組”だろ。」
「視聴率を取るぞ。」
最後に俺は井戸の石積みの間に、浄化苔を指で少量押し込んだ。水音が微かに変わる。澄んだ鈴の音に近い。
「……よし。撤収。」
◇◇◇
翌朝。物陰で村の様子を観察。
「おい、見ろよ、井戸の水がまた澄んでる!」
「こっち、乾燥器が! 図に太陽描いてあるぞ。天日で干せってことか!」
「村長さんの桶、直ってるわ! 誰が?」
「精霊様よ!」
「やっぱ精霊様だ!」
「いや、精霊が桶直すか?」
「直すに決まってるだろうが!」(おしゃべりおばさんの圧)
若者の一人が乾燥器を触って、隣の子に得意げに説明する。
「こうやって風通しのいいところに置いて、キノコは薄切り、草は束ねず広げる。絵に書いてある。」
「誰が絵を?」
「精霊……だろ?」
(言い切れないけど、言い切る勇気はある顔だ)
隅で老人が小さく頷いた。目が合ったわけじゃないのに、こちらに向けて軽く会釈したように見えた。
——伝わってる。少なくとも、あの人には。
◇◇◇
拠点に戻ると、カサカサ二号が卓上で仁王立ち。
「リーダー、今こそ“精霊の歌”を新録する時!」
「歌うな。いや、歌ってもいいけど、音漏れ対策しろ。」
「Yo、漏れないビートで影のステップ!」
「それはそれで不安だ。」
ジロが持ち帰った追加情報を広げる。
「村長、表では黙ってるが、裏で“原因不明の改善”を気味悪がる年寄りもいる。『祟りか恩寵か』で言い争い。若者は前向き、年配は慎重。」
「想定通りだな。未知は怖い。だから“見える小さな親切”を重ねる。今日はもう一押し——“畑の耕し屋”第二弾だ。」
◇◇◇
夜。地中へ潜る。
土は昼間の陽でほんのり暖かい。根の張り具合を確かめ、固まりを砕き、空気の道を開ける。
「この根、窒息寸前。ここに微細トンネル……よし、呼吸しろ。」
「リーダー、土の匂いの中に、ちょっと薬草の香り混ぜるのは?」
「やりすぎ注意だが、微量なら良い。虫避けにもなる。」
地表では見張り。猫の足音、フクロウの羽音、眠たい若者の鼻歌。
「♪精霊〜さま〜」
……歌うなよ、見張り。
作業の締めに、畦道の欠けた部分を小石で埋め、わずかな傾斜を整える。水は正直で、すぐに正しい道へ流れ始めた。
「よし、撤収。」
◇◇◇
翌朝。
「なあ、昨日ダメだった畝、土がふかふかになってる!」
「水がちゃんと通る……誰かが夜に?」
「精霊様!」
「精霊様は万能だな!」
「万能なの!」(おばさんの圧、再び)
若者二人が顔を見合わせて、いたずらっぽく笑う。
「なあ、もし精霊がいるなら、いつかお礼をしたいよな。」
「お供え……干しリンゴとか? いや、もっとちゃんとした——」
「村長に言う?」
「いや、反対されるかも。でも、俺たちでこっそり……」
俺は胸の奥がじんわりして、危うく物陰から飛び出して「お礼は塩少々で!」と叫びそうになった。落ち着け俺。塩は確かに嬉しいが、今は姿を見せる時じゃない。
◇◇◇
その夜、老人の家の裏手。
俺は石垣の影から小さく囁いた。「こんばんは。」
「おお、来たか。」老人は落ち着いた声。
「乾燥器、使い方は伝わっていますか。」
「若いのが、面白がっていじっておった。お前さんの狙い通りだ。」
「村長は?」
「賢い男だ。人前では黙る。だが、孫が干し野菜を嬉しそうに食べれば、心は揺らぐ。」
「……ありがとうございます。」頭を下げると、老人が笑った。
「礼を言うのは儂の方かもしれん。井戸の水、綺麗だ。」
「浄化苔を少し。過剰に増えると味が変わるので、必要なら仰ってください。」
「なんだか本当に“精霊”と話しておる心地だな。」
「俺は……陰の者です。」
「陰の者か。なら、陽は儂らが受けよう。噂は程よく、祈りは静かに。」
老人が袋を差し出す。
「これは?」
「干しリンゴと塩だ。孫が“精霊にお礼をしたい”と言ってな。お前さんが受け取れ。」
「……ありがたく。」
袋は軽い。それでも、ずしりと重かった。
「では。」
「またな、影の友よ。」
◇◇◇
拠点に戻ると、仲間が目を輝かせる。
「塩! やった! 文明レベルが一段上がった!」
「干しリンゴ! ビタミン! 噛むと甘い!」
「お供えの概念が成立したぞ、リーダー!」
「静かに食え。……いや、まずは感謝の一口。」
みんなで少しずつ分け合う。塩が舌に触れる。しみる。嬉しい。
カサカサ二号がぽん、と手を叩いた。
「リーダー、そろそろ“精霊の正体”を、ほんのちょびっと匂わせるのは?」
「匂わせ……そうだな。“誰かが考えている”と分かる痕跡を、もう一段だけ増やそう。例えば——」
ジロが頷く。
「畑の端に、棒で描いた矢印だけ。『ここに植える』マークを統一しよう。人間でも真似できる簡易記号。」
「よし、採用。記号は丸と三本線。“丸=今日の作業範囲、三本線=風の向きに沿って置く”。誰が見ても意味が取れるように、繰り返し同じ形で残す。」
カサカサ二号が小声で歌う。
「♪丸さん、三線、畑にぽん——」
「歌うな。だが、覚えやすいのは認める。」
◇◇◇
その夜、記号を残して帰る途中、物陰で足音が止まった。
若者だ。背が高く、目が好奇心でぎらぎらしている。
……まずい、鼻先がこちらを捉えた。
「誰か、いるのか?」
息を潜める。心臓が跳ねる音が土に響く気がした。
若者が一歩、近づく。
「精霊……さん?」
——呼ぶな。その呼び方はずるい。
俺は、地面に指で丸と三本線をもう一度描いて、そっと身を引いた。
若者は目を丸くしてしゃがむ。
「これ……昨日と同じ印だ。いるんだな、やっぱり。」
肩の力が抜ける声。
「ありがとう。いつか、ちゃんと礼をさせてくれ。」
彼は両手を合わせ、祈るみたいに頭を垂れた。俺は土の影に溶けるように離れた。
◇◇◇
拠点へ戻ると、みんながわいわい騒いでいた。
「リーダー、お供え第二波あるぞ! 若者組、干し肉薄切り置いてった!」
「つまり、これはもう“等価交換の入口”だ。」
「ゴキブリ商法の夜明け!」
「言い方!」
笑いの渦の中で、俺は干し肉を一片口に運ぶ。硬い。けど、嬉しい硬さだ。
「みんな、ここからが大事だ。まだ正体は明かさない。だけど、“考える手”だと気づける記号や道具を、少しずつ増やす。村長が怖がらないペースで、若者が真似したくなる仕掛けで。」
スケルトン先生が骨の指をカタカタ。
「教育は、習慣が勝つ。記号を反復、道具を身近に。良い流れだ。」
「うん。……次は、畑の輪作と、保存壺の改良だ。図と、ほんのすこしの“精霊のいたずら”で、続けよう。」
俺は袋の底に一つ残っていた干しリンゴを見つめる。
——ありがとう、若者。ありがとう、老人。
影の友として、もうしばらくはここにいよう。
いつか、胸を張って名乗れるその日まで。
「俺たちは、いる。」
小さな声で呟いて、干しリンゴをぱくりと齧った。甘い。ゆっくり、確かに、距離が縮まっていく味だ。




