初めに
別のエッセイで、萩尾望都について少し触れたが、どうして少女漫画家を好きなのか、についてはあまり語ってこなかった。性別・年齢的に、そういう話は仕事場ですることも無いし、理解もされないということもあった。
人生もとっくに折り返しは過ぎているだろうから、終活的な意味も込めて、隠してきた、ということもないが、少女漫画について語ってみたいと思う。
※男性に少女漫画を語られるのは、男女かぎらず、不快に思う方も中にはいらっしゃるかと思いますので、この先はお読みにならずにいただければと思います。
21世紀の今、少女漫画というものがどういう状態なのか、まったくと言っていいほど知らない。私の中で、少女漫画は1980年代でストップしてしまっている。
まあ、その前に、男の私がどうして少女漫画を読んでいたのか、というところから少し話を進める。
私には、姉が二人いて、どちらも漫画が大好きだった。当然、少女漫画。私は、必然的に、幼少の頃から周りには少女漫画が溢れている環境に育つことになる。
姉たちが買っていたのは、主に、週刊マーガレット、少女コミック、少女フレンド。付録が豪華なとき(夏休みとか年末)だけ、りぼん。たまに、なかよし。あと、別冊マーガレット、別冊少女コミックも時折あったが、買っていたのか貰ってきたのかは不明。
私が時折ぱらぱらそれらをめくって読んでいると、
「あんた、読むなら買ってきなさいよ」
と、パシリに使われたりもした。たまに、正月でお年玉があったときなど、私がお金をだしたこともあった。
で、少女漫画を読んでいて、私がどう思っていたかだが、絵が綺麗で細かい、ストーリー漫画は結構読みごたえがあって面白いものが多い、という感想を持った。
子供の私には理解が追い付かないものもあって、対象年齢は少年漫画より高いイメージだった。ただ、ザ・少女漫画、という感じの王道のラブコメとかは少々苦手、というか、大抵読まずに飛ばしていた。好みの絵柄の漫画家だと、流し読みはしていたけど。
スポーツ漫画にギャグ漫画は男の私でも面白く読めた。『つる姫じゃ〜っ!』を初めて読んだときは衝撃だった。少女漫画でこれも有りなんだ、と驚いた。
漫画家と作品については、また、別に分けて書きたいと思う。
小中と密かに少女漫画を読んでいた私だったが、高校に入って、状況が一変した。当時は漫画やアニメ、SFなどがブームというか、サブカルチャーが一斉に芽を吹きだしたような時期だったように思うが、私の入った高校はごく普通の公立高校だったが、そういうものに寛容だったようだ。ただ、中学の教師のあいだでは、入試の難易度は高めなのに、進学率はいまいちで、教師も公務員然としてやる気がない、と評判は芳しくなかった。
評判にたがわず、学校の雰囲気はゆるかった。といっても、いろいろと乱れている、という感じではなく、いわるゆヤンキーもほぼいない、漫画にでてくる学園生活的な、軽いノリの学校生活があった。
入学してしばらくすると、いろんな行事を経て、だんだん打ち解けてくる。趣味嗜好がわかるようになってくると、私のクラスには漫画雑誌に投稿した、というものが何人かいて、漫画やアニメ好きが多いことが分かった。そのうち、みんな好きな漫画や雑誌を学校に持ってくるようになり、少年漫画、少女漫画問わず、クラスで回し読みするようになった。といっても、一部の生徒、特に男子は、ぶ~けとかりぼんを読んで、女子と談笑している私たちを引き気味に見ているところも無くはなかったが、それが特に問題にもならず、そのうち皆慣れて、だれも気にしなくなった。
※ちょっと、いろいろと思い出すと、中には、男に少女漫画を読まれたくない、と拒絶反応を示す女子も極わずかだがいた。男子にも、気持ち悪い、と言うものも少なからずいた。そういう人たちとは、互いに無視しあう、という状態だった、と言う方が正しいかもしれない。
クラスの女子からは、これまであんまり読んだことのなかった、月刊プリンセス、ぶ~け、花とゆめ、等を借りて読んだ。文庫で、漫画ではないが、集英社のコバルトシリーズを借りたこともあった。
ぶ~けは、クラスで買っている子が一人しかいなかった。本人も、これまでまわりで買っている人はほとんどいなかった、と言っていたが、みんなでなだめすかして購読を続けさせて、学校で回し読みをしていた。
女子には、少女漫画は飽和状態なので、手塚治虫の『ブラック・ジャック』などが好評だった。知ってはいても、まとめ読みした事はない、ということで、私の持っているものを貸したりした。
クラスの雰囲気はこんな感じ。仲の良いクラスメートとは、ピクニックやキャンプに行ったりもした。
このころには、姉たちは高校も卒業して、進学して家を離れたり、漫画はほとんど買わなくなった。家にあった山のような漫画雑誌も親が処分してしまった。
オタクな私には、夢のような三年間はあっという間に過ぎて、卒業を迎えることになった。学年ごとに濃淡はあったものの、学校に行くことがまったく苦ではない学校生活を送れたことだけは、大げさかもしれないが、私の人生でもっとも有意義な時間だったと思う。
卒業して大学受験には失敗した私は、専門学校へ進学した。当時雨後の筍ごとくいっぱい設立されたコンピュータ関連のものである。周りは工業高校を卒業した者が多く、女子は片手で数えられるほどしかいなくて、男子校のノリってこんな感じなのか、という毎日。少女漫画のしの字も出ない日々だった。
卒業後は、就職も決まって、田舎から東京で生活することになった。厳密には、会社の寮があったのは千葉だったが。
入社して配属された先には、後にガイナックスの母体となる人たちが自主制作アニメを上映したSF大会に参加したこともある、というマニアックな先輩とかいたりした。
飲み会の席でそんな先輩と話をしていて、おまえ、やたら少女漫画に詳しいな、という話になり、それを聞いていて周りの先輩社員たちから、おれも大学時代読んでた、なんどとカミングアウトする人も現れた。
1980年代初頭、NHKで、『YOU』という、糸井重里司会で、オープニング・エンディング曲が坂本龍一、イラストが大友克洋、という若者向けのサブカル情報番組とでもいうものが放映されていたが、その前身は、『若い広場』とかいう、田舎の自治体の広報誌みたいな名前の番組だった。『明るい農村』とかと同じノリだ。『明るい農村』は、中学の頃、農家の子が、うちの親父は毎回見ている、とか言っていたっけ。
で、その『若い広場』で、東京大学の少女漫画研究会、につてい特集があった。かれらは、いわゆる、”乙女チック”漫画が好きだということで、陸奥A子、田渕由美子、太刀掛秀子というお定まりの三人につてい語っていた、と記憶している。
そういう背景があったので、東大に限らず、会社の先輩たちの大学でも似たような状況だったのだろう。先輩たちが少女漫画同好会に入っていたかは不明だったが。
”乙女チック”漫画を語っていた人たちももう還暦を過ぎているだろう。どんな人生を送ったんだろう、というのは、少し興味もある。
大学受験に失敗した以外は(今となっては、それは人生の転換点だったと思うけど)、オタクな世界に浸かっていられたが、この後、バブル崩壊とか私の家庭問題とか、一気にカタストロフがやってきて、私にとっては、地獄の1990年代がスタートする。もう、少女漫画どころではなかった。
まあ、それは今回は関係の無い話なので、それは置いて、この後、個別に少女漫画誌や作家と作品について、語ってみたいと思っている。