2 墓所
雪頂くノヨンヴォーの峻厳たる山中、氷水晶の鉱脈があると囁かれてきたが、誰もそれを見つけたことはない。
雪解けの川の流れ着く先の村人が拾い、商人が買い上げていく。それは細々とした営みであり、絶えることのない道であった。
このノヨンヴォーにはもう一つ伝承があって、それはかつての英雄である大魔法使いがその山中に消え、そして戻ってこなかったというものだ。
「これは、……密室というやつでは?」
助手のティスは動いた岩の隙間から、何の光も差し込まぬ暗闇を見渡して呟いた。嬉しそうなのは青年が謎解きが好きな質だからで、それを知っているカイリは返事をしなかった。
もう丸一昼夜この洞窟で立ち塞がる大岩と格闘している。むしろよく軽口なんかを叩けるなと感心する。坑夫も魔術師も疲労困憊しており、この隙間が開いたときにはもう崩れ落ちそうだったのだ。
カイリの視線は真っ直ぐ、穴の奥に向けられている。坑夫が何とか人が通れる分を確保しようと大岩と壁との間に杭を差し入れ、崩落しないように岩の目を読むのに時間を掛けている。
そのわずかな隙間からの冷気と暗闇の奥に目を凝らす。空間がある。
暗闇にどろりとした気配を感じる。うずくまる人間のーー。
「カイリ様?」
見えるはずもないものへのカイリの警戒を、玄室が開いたことによる緊張だと取った助手が顔を覗き込む。それを手で制止した。
「鳥は?」
「問題ありません」
ガスの有無を調べるための小鳥を坑夫は玄室に差し入れ、小鳥は小さく鳴いた。
「では火種を」
不躾にカンテラを向けようとするティスを制し、カイリは細く長い棒の先に小さな火を灯し、洞窟の奥へと差し込む。玄室を、そう、玄室だ。ここは自然の洞窟の奥深くに、人工的に隠された部屋だ。そういう場所で恐ろしいのは崩落、有毒ガス、それに空気がないこと。
火種が揺らめいて消えかける。だが尽きはしなかった。
「空気がずいぶん薄いようですね。風を送りましょうか」
同行の魔術師がいい、カイリは頷いた。この中へと入れなければ意味がない。
一条の光さえ入らぬ空間。差し入れた灯りにいくつもの水晶の原石が輝くのが見えた。
おそらく正解だ。正解に辿り着いた。彼の墓所を見つけたのだ。
成人男性が屈んで通れるほどの隙間が確保されると、まずカイリがにじり入った。
意図的に置かれたと考えられる水晶は大きく、しかし氷水晶ではなかった。カンテラの火にきらきらと輝く中、一つだけ紫水晶がある。まじないの一種のようだった。
「カイリ殿。あまり時間を掛けられない。我々の体力がもたない」
「どのぐらいなら?」
巨大な洞窟の中で人の侵入を拒んできたそこが開いたのは、学者の地道な調査と推理の結果。そして坑夫と、考古学者に振り回されるのを厭わなかった彼ら魔術師のお陰だ。氷水晶は魔道具の動力源となるもので、羽石に次いで貴重な鉱物であるが、その原石は逆に魔術師から魔力を吸い上げる性質がある。
ノヨンヴォーが静かなる山とされたのもそれがためである。
「半刻ほど。玄室にもう一度封をして、地上に上がるとして、日没も考慮するともう少し短く切り上げていただきたい」
そう告げる魔術師の顔色は悪い。選抜された五人もの魔術師の誰もが疲労を隠そうともしない。おそらく氷水晶の鉱床が近いのだ。
「わかった」
カイリが了承するとともに魔術師が明かり灯しのまじないをかける。玄室の中がほんのりとした光で照らされ、彼の姿が明らかとなった。
荒い織のローブは今もノエアル島の魔術師たちが使っているものと同じだ。胡座をかき、杖を抱くようにして、そのまま息絶えたのだろう。今にも動き出しそうな、きれいな亡骸だった。
「本物ですかい?」
坑夫たちが恐れを滲ませた声で問いかける。カイリは頷き、改めて「我々は、探し求めていたものに正しく辿り着いた」と宣言した。
亡骸のローブに半分隠されるようにして、膝の上には華奢な白い布がある。女性用であろう。目を凝らせば細やかな花の白糸の刺繍が絡まり、言葉によらず物語を紡いでいる。
「聖女のヴェール……」
自身も少しの魔術が使えるカイリはヴェールを取り上げ、急激な環境変化でそれが劣化しないように護りのまじないをかけた。
「カイリさま、本があります」
「そちらにもまじないをかけよう。持ち出すものを決める」
カイリは冷静な声で指示を出したが、己の手が震えることは止められなかった。
辿り着いたのだ。大魔術師の最期を、伝承を確たるものとする証拠に、辿り着いた。
洞窟の奥深く、魔術師が五人がかりでほんの少し動かすのが精一杯だった大岩の裏で、彼は自分で墓所を定めて、秘密を抱いたのだ。
「きれいな死だ……」
そうして、彼の亡骸は発見された。