もしもし?私
19歳、実家暮らしの大学生。講義もなく家でゴロゴロとしていた昼下がり、滅多に鳴らない家電がけたたましく私を呼んだ。今どき固定電話にかけるなんて珍しいと、ソファに沈んだ重い腰を上げ受話器を取る。「もしもし」と半ば無意識に呟けば、「あ、もしもし。お母さん?私なんだけどさ。」
随分幼い“私”から電話が来た。
えっと?私は一人っ子で、この家に電話をかけてお母さんと呼ぶことが出来るのは私だけだ。じゃなきゃ間違い電話か、詐欺に決まってる。いや、隠し子なんてことも…。固定電話の前で百面相する私は、完全に“私”を放ったらかしにしており、痺れを切らした“私”がもう一度「お母さん?」と声を発した。
「あっ、えっと…間違い電話じゃないですか?」
ここで間違いじゃないなどと言われてしまったら詐欺で決定だ、さっさと切ってやろう。そう思い、物腰柔らかに返答すれば、帰ってきた言葉にヒュっと息を吸った。
「え?三枝さんのお家ですよね?」
「ア、ソウデス」と、思わずカタコトが口から漏れ出れば、「やっぱりお母さんじゃん、どうしたのボケた?」と“私”とその後ろにいる誰かがキャッキャと笑った。
いや私はお母さんでは決してないです…今大学生ですし恋人いたこともありません…とは言うことが出来ずに、「はぁ」と相槌をうった。
「あのさ、急なんだけど、今週の日曜日、紹介したい人がいるから連れてっていい…?」
「今週の日曜日に紹介したい人がいるから連れてくる…?」
予想だにしなかった言葉に、“私”の言葉を繰り返した。
「うん、そう。前に言ってた、恋人。」
向こうの“私”は照れくさそうに呟く。
私はというと軽くパニック。…まさかドッキリ?と受話器片手にキョロキョロと辺りを見回すがそれらしきカメラがある訳でもない。いや、こんな上下不揃いのパジャマ姿の私が撮影されるのも困るから勘弁してくれ。パニックになる私を、脳内の私が冷静に突っ込む挙動は、仮に撮影されているとしたらかなりの撮れ高になるのではないかというくらい面白いと自画自賛する。
「あのー、もう一度聞きますけど、間違い電話じゃないですよね…?」
ふぅ、と一息はいてからもう一度“私”に確認をとれば、「いやいや、お母さんの声間違えるわけないじゃん、そんな変な高い声。」と受話器越しにまた笑い声が聞こえた。
変な高い声。その言葉にコイツの教育者は誰だ!とショックを受けつつ、ん?一応私ということになってるのかと1人ノリツッコミをする。
「ア、ソウデスカ」いやいや、だから間違ってるんですってばと頬をひくつかせた。
普通の人ならとっくに電話を切るか、間違い電話であることを伝える、もしくは電話で遊ぶんじゃないと説教をするのだろうが、私は例え他人だとしても会話の途中で電話を切るなんてことはできないし、間違い電話であることを3回も伝える勇気はなかった。説教するなんてもってのほかだ。
「なんか今日、お母さん変だね?子供が結婚相手連れてくるんだよ?もっと喜んでよ~。」
赤の他人である“私”に疑われ、私の心臓がドクンとはねた。いや、他人なんだから疑われるのは当たり前だし、そのまま間違い電話だと気づいて欲しいものなのだが、疑われることに慣れていないせいか緊張が走る。ただ、とりあえずそろそろ突っ込んでいいかな。
「なんで一人称“わたくし”なの…?男の子だよね…?」
いや、男性が一人称をわたくしとすることなんでよくある。私の祖父もよく言ってる。でも、仮にも母親相手に『お母さん?わたくしなんだけどさ。』とはならないでしょう。
「えっ、変…?」
急激に年齢が下がった返答をする“私”に眉をひそめながら、「はぁ」と相槌すれば、「ま!とにかく今週日曜日に連れてくから!!よろしく!」と一方的に通話は切れた。
え、結局何だったの?間違い電話だったの?私遊ばれてたの?ドッキリ…では無さそうだ、誰も出てこない。
この状況に一切ついて行くことが出来ずに、不通音が耳元で鳴り続ける。
ま、いーや。で片付けてしまう私は可笑しいのだろうか。随分可愛い間違い電話だったなと頬が緩む一方で、しかし親の躾がなってないぞとも思う。やるならせめておもちゃの電話にしなさいよ。まあとにかく、今日の夕飯でママにこの話しよーっと。そう思い、またソファに転がり直した。
「今日、“私”から電話きたんだよね。」
「は?何言ってんのあんた。」
「いや、だから、『お母さん?わたくしだけど』って、電話きた。」
「何それ、詐欺じゃない。なんか請求されたの?」
「ううん、今週の日曜日に結婚相手連れてくからよろしくって。」
「何、あんた彼氏いたの。」
「いや、いないけど。しかも彼女だし。」
「何?どういうこと?」
「“私”小学生くらいの男の子だった。」
ここまで会話して突然大爆笑し出すママ。
「ちゃんと、『私は一人っ子で大学生の女ですー、この家庭に息子はいませんー、ついでに彼氏いませんー』って言わなきゃダメじゃない。」
ひー、面白いとママの笑う声は確かに高くて変な声だ。
「ママの隠し子かなんかじゃないの?」と煽れば、「かもねー」なんて適当に返された。
結局あの電話は何だったのだろうか、今週の日曜日にほんとに“私”は彼女を連れてやってくるのかとぼーっと考えていれば、「そういえば、昔あんたと優ちゃん一人称“わたくし”だったわね、懐かしいわ。無理してお母さんって呼んで。あれは可愛かったわー。」とママが昔を懐かしむように呟いた。
「そうなの?」と返せば、「ある日急に変だからやめるってやめてたけどね。」と言われる。
…。
“優ちゃん”は私の従兄弟だ。そういえば小学生の頃よく、おままごとをしていたなあと私もあの頃の思い出を頭に浮べる。
…おもちゃのなかに古い黒電話もあったりしたなあ。あれ本物だったのかなあ。
拝啓、過去の自分へ。大学生になっても彼氏は出来ませんが、元気にやってます。