18.新しい生活
目を開けて、白い壁を見つめる。
体はどこも痛くないし、食事もしっかりと取れる。
襲撃事件から最初に目を覚ました時、俺は薬草行商で立ち寄っていた村で治療を受けていた。
何日かそこにいたようだが、ほとんど寝ていて覚えていない。
次に馬車に乗せられてグランドブルグの孤児院に連れてこられた。
すでに2カ月たったが、俺は孤児院に用意された療養用の部屋からほとんど外に出ることがなかった。
俺はいろいろ悩んでいた。
リーリン師匠とナレンダ師匠とサキがいないという事実はすぐに受け入れた。
一度、役人らしき人が訪ねてきて、別荘は、すべて燃えてしまって、人の死体も何も見つからなかったことを教えてくれた。
あの襲撃ついて、俺の最後の記憶は、瀕死のリーリン師匠に回復魔法掛けるとまたすぐに瀕死にさせられる拷問の光景だ。
俺が魔力切れで倒れなかったらもっと拷問が続いていたであろうが、俺が気絶したからそのまま、死んでしまったのではないかとも思っている。
でも、最後にリーリン師匠と目が合ったときの師匠の目の奥は笑っていた気がする。
俺をからかうときや、訓練でやたら厳しくするときの面白がってる目に見えた。
俺を心配させないための演技だったかもしれないが……
師匠たちのことだからそう簡単に死ぬことはないので、多分生きているが、俺を迎えに来てくれないのは、それができない状況なんだろうと考えることにした。
もう一つ自分を混乱させることが起こっていた。
6歳までの記憶が戻ったのだ。
襲撃犯にノラがいたから、奴が解呪してくれたのだろうか?
リーリン師匠たちと会えなくなったことはすごく寂しいが、俺が悩んでいるのは、この新しく復活した6歳までの記憶の方だ。
家族と離れ離れになったこの4年間、俺は楽しく幸せに過ごした。
母、祖父母、妹たちはすごく心配してくれただろうにもかかわらず、俺はサキと師匠たちと暮らして、本当に幸せだった。
母や祖母はまだ俺のことを必死に探しているかもしれないのに……
だからと言って、師匠たちと離れ離れになって、すぐに母と妹に会いに行っていいのだろうか?
会いたいけど、会いに行ってはダメな気がして、それが俺を悩ませていた。
でも、いろいろ悩んだ結果、どうせ会いに行こうと思っても誰かに連れて行ってもらわないといけそうにないので、大きくなるまでは考えるだけ無駄だと考えて、まずは、ここでの新しい生活を始めることにした。
孤児院はそんなに大きくなくて、マーラという45歳くらいの院長がいて、他にトカタとレーナという若い女性の2人で子供約20人の面倒を見ていた。
この世界では15歳で成人だから、孤児院にいる子供は1歳から14歳までだそうだ。
院長は土魔法が使えるのだが、土魔法の中でも野菜を育てる土壌の作りなどが得意で、
孤児院の畑は、院長が魔法で耕し、なかなか立派なものだった。
そこに植えられた野菜に俺が生命魔法で成長促進をかけたら、院長は飛び上がるほどびっくりして、孤児院のために魔法を使ってほしいと頼まれた。
院長と一緒により効率よく野菜が育つ魔法開発や、よりおいしく育つ土魔法と生命魔法の組み合わせの研究を続け、その成果を周りの農家にも還元するようにした。
孤児院に依頼があれば、その農家のところ行き、成長促進の魔法を使い、収穫後に収穫の1割ほどを謝礼として受け取るビジネスを始めた。
成長促進魔法をかけると収穫高が1.5倍から2倍まで増えるので、1割の謝礼を払っても農家は全く損しない。
農家も実際には大喜びで1割以上の野菜をくれるので、孤児院で食べられないほどの野菜が集まってしまった。
野菜が腐るともったいないので、孤児院の年長の子供たちでスープを作り、近所の人に毎日ふるまうことにした。
俺には薬草の知識があったから、スープに少し薬草を入れて、効能を上げてみたところ、非常に好評で、お金を払ってもいいから毎日の食べたいという人が続出したので、孤児院で薬膳料理を出す食堂を作った。
院長の畑を少しもらって薬草畑を作り、薬膳スープに入れるだけでなく薬としても少し売り出すようにした。
毎日農家から届けられる新鮮なやさい(無料)と庭の畑でとれた薬草(無料)がたっぷりと入った、孤児院の子たちが汗を流して(無料)作った薬膳料理は大人気となり、孤児院に大きな富をもたらした。
マーラ院長は生活の質が向上することには賛成だったが、孤児院で大きな利益を上げ続けることの危険を理解した聡明な人であった。
彼女は、街の商業組合に相談し、販売促進魔法とスープ販売を組合の商人に権利譲渡し、孤児院は店への薬草販売と、スープ店の店員の働き手という形で労働対価をもらうビジネスに変更した。
俺は農家から商人を通して依頼があれば、販売促進魔法をかける契約を結び、都度商人から金銭を対価としてもらえることになった。
院長は権利譲渡で得た金銭を商業組合に預けたままにして、将来子供たちの教育に使うこととした。
孤児院ビジネスを始めてわずか2か月、俺はだいぶ羽振りが良くなってしまった。




