第一章 第五話「私を愛してくれた人」
翌日、大学の休み時間に講義室で、ふとあることに気がついた。
――あれ? ヨーコといつから会ってないんだっけ?
ヨーコと待ち合わせの約束をした日、【ルーラシード】さんと出会った日、あの日からヨーコと会話をしただろうか?
【ルーラシード】さんと出会って早数ヶ月、彼以外のことを思い出そうとしても、全く思い出せないほど、私は彼に夢中になっていた。
恐らく彼女にはあれ以来会ってない気がするし、大学構内でも見かけた記憶がない。
どうして忘れてしまっていたのだろうか。もうどれだけ前になってしまったのかわからないが、あの日の謝罪を込めて、一度ヨーコに連絡を取らなければ……。
そう思って携帯電話を手にした時、世界が一瞬だけ真っ赤に染まった気がした。
一瞬の出来事で目眩のようなものと思ったが、特に異常はなく、周りの学生たちも普段通りに過ごしている。
◇ ◇ ◇
結局、時間を空けて何度か試したが、ヨーコに連絡は付かなかった。
そしてもう一つ、その日から【ルーラシード】さんとも音信不通になってしまった。
たまたま【ルーラシード】さんと連絡が取れないだけだと思っていた。
最初のうちは朝昼晩と何度も連絡していたが返事はなく、数日もすると連絡する回数も急に減ってしまった……。
どうしてだろう、決して彼に対する興味が失せたわけではないのに、不思議と彼に対するエネルギーが減っている気がする。
最初はつま先までしかなかった不安という名の心の闇が、時間と共にドロドロと積もっていき、今はもう肩まで浸かっている。このままでは、いずれ闇に飲み込まれて息が出来なくなってしまうだろう。
私は理由が知りたかった。私に至らないことがあったのか、他に好きな人ができたのか、どこかで間違った選択肢を選んでしまったのか、その理由が知りたかった。
そして、私が彼のことをずっと考えていたから気が付かなかったが、私の周りで一つ大きな変化があった。
それはいつからだろうか『ユキナ=ブレメンテ』という名前を其処此処で聞くようになったことだ。
周りの学友だけではなく、テレビでも新聞でも雑誌でも、あらゆる媒体でこの名前を耳にしない日は無いくらいだ。
お茶の間のスターという感じなのかもしれないが、見た目は地味でやせ細り、目の下にはクマまである。パーマのかかったミディアムヘアはテレビ越しですらあまり手入れされているようには見えない。
フリフリとした黒と赤の可愛らしい服装こそしているが、喋り方も覇気が無く、ボソボソと喋っていて気持ちが悪い。可愛らしい服装もまるで死装束に見えてしまう。
どちらかと言えば、私にとって彼女は苦手なタイプだ。
もちろん、彼女を好きになる人がいるとしても否定はしない、しかしその好きになる人数が余りにも多いことに対しては違和感を覚えた。
そして、その違和感が確信に変わる日はすぐに訪れた。
各国の大統領や首相が全て、彼女の元を訪れて忠誠を誓う式典が行われた。
戦争中の国も中立国も関係なく、全ての国家が彼女に忠誠を誓う。
それは言わば『世界征服』だ。
そう、この日、明確に世界中が彼女の味方になったのだ。
そして、世界中が彼女を賛美した。
――この世界は壊れてしまった。
この壊れてしまったこの世界で、私以外に一体何人がまともな人間なのだろう……?
そもそも、世界がまともで、私の方がおかしくなってしまったのではないだろうか……?
◇ ◇ ◇
頭がクラクラする……。
自宅のベッドで寝転んで休んでいるが、まだ気持ちが悪い……。
突然世界がグルグルと回って、まるで別の世界に来てしまったような違和感に包まれている。
正直、この状況下に置かれて、私の精神状態はかなりおかしくなってきている。
世界中でまともな人がいるのなら会話をしたい。
今は誰と話しても『ユキナ』『ユキナ』『ユキナ』だ。
地上波のテレビをつけてもユキナのことばかりだろうから、どこか専門チャンネルならそれもないだろうと思い、テレビをつけたのが間違いだった。
『世界中の皆様、緊急速報です! 今からユキナ=ブレメンテ様による声明が出されるとのことです!』
まるで私がテレビを付けるタイミングを見計らったかのように演説が始まった。
◇ ◇ ◇
『おはよう、こんにちは、こんばんは。全世界の私を愛する皆様……』
ユキナの全身が映し出されていた。
漆黒の中に美しい赤い花が描かれた民族衣装を着ている。確か、日本の振袖というやつだっただろうか……?
目の下にはクマがあり、パーマのかかったミディアムヘア。
その瞳に光彩はなく、全てに絶望したような眼をしていた。
場所はどこだかわからないが高層ビルかなにかだろうか、窓の向こうには美しいビル群の夜景が見える。
暗く不健康そうな顔でニヤリと笑い、お辞儀をする。
『全ての人々から愛される私ですが、この地位に就いたからといって何か特別なことをしようと思っているわけではありません。私を愛してくれた人に対して、私はその愛を否定することはありません。』
『しかし、私の愛を否定する者には罰を――』
そう言い、ユキナは画面の外へ出ていった。
そして次の瞬間、私は自分の眼を疑った。
ユキナが手を繋ぎ、一緒にゆっくりと画面に入ってきたのは、他でもない『彼』だったからだ。
「えっ……なんで……」
思わず声が漏れた。全く思考がついていかない。何がどうなっているのか。
私はどうすることも出来ず、ただただテレビの画面を凝視することしか出来なかった。
ユキナを改めて見ると、手に細長いものを持っていた。
実物を見たのは初めてだったが、アニメや漫画では見たことがあるのでそれが何であるかはすぐに理解できた。
ユキナは日本刀を持っていたのだ。
ユキナが手を離すと、彼は跪き、両手を後ろで組み、俯いた。
まるで神聖な儀式のようにゆっくりと、そして穏やかに進んでいく。
これから何が起こるのか、信じたくはなかったが、私は完全に予想が出来てしまっていた。
『本当に……本当に残念だわ……』
ユキナはそう呟きながら鞘から刀を抜き、彼の首へ刀を振り下ろした……。
彼は肉体の反射こそあったが、全てを受け入れるかのように無抵抗に切断された。
ゴトっと頭が床に転げ落ち、切断面からは血が吹き出す。
『罰は……下ったかしら……? サヨウナラ、私を愛してくれた人……』
ユキナは表情一つ変えずにそう言い、映像は終わった。