第三章 第十二話「九尾の印」
翌朝、ワシは覚悟を決めた。
ユキナに声をかけ、小僧とレイラがデートから帰ってくる場面を見せることとした。駅からデートに行く場面ではなく駅に帰ってくる場面をじゃ。
別にお互いが出会うだけなら、小僧とレイラが待ち合わせをして出かける場面でも良い。しかしそれでは時間が短い。
帰ってくるときは、遠くから少しずつこちらに向かって近づいてくる、そして別れる。――時間が長いんじゃ。
熱された鉄板の上に正座をする時、例え短い時間でも永遠のように長く感じるじゃろう。
想い人が他の女と徐々に目の前へと近づいてくる……。そんな酷い苦痛に耐えている時間、その間は他のことなど――横にいる人間のことなど視界に入らなくなってしまうのではないじゃろうか……。度胸のないワシはそう思ったんじゃ……。
我ながら卑怯で、臆病で、嫉妬深い女じゃと情けなくなる……。
◇ ◇ ◇
小僧とレイラがデートを終えて駅に戻ってくる。
案の定、ユキナは二人のことを見入っていた。
ワシはユキナにレイラのことを説明しながら準備を進める。
九本ある九尾の印。その能力は音速で動き、自由自在に操作出来るというものじゃ。しかし、速度と反比例して操作性能が劣ることになる。
そこで、護身用一本を除いた八本の矢印の力を弾丸に巻き付け、そして拳銃に装填する。すると、本来の拳銃の威力を持ちつつ、元通りの矢印の操作性能を維持することが出来る。
つまるところ、拳銃の弾丸をワシが自由自在に操れるというわけじゃ。仮に真上に発射しても、探索機能と同様に念じたところ――例えば相手の眉間やこめかみに風穴を空けることが出来る。
巻きつける本数の分だけ追尾性能も精度が上がり、一本でも十分すぎるくらいじゃが、八本巻き付ければ確実に的中させることが出来る。
九尾の印を直接ユキナに叩き込んでも良いが、拳銃の殺傷能力と九尾の印の追尾機能、この両方が合わされば九尾の印を単体で使用するよりも確実に目的を達成できる。
そのためにも、相手の隙を多くする必要があるのじゃ……。
欠点があるとしたら、探索に出している時と同じく、一時的にワシの手元から八本分の能力が離れることになる。攻撃に力を割いた分だけ、防御が弱くなる……。
普段生活する分には一本あるだけで十分じゃが……。何じゃこの漠然とした不安感は……。
ユキナという小娘に気圧されているのか……?
◇ ◇ ◇
遠巻きながらも、ワシとユキナが小僧とレイラのお互いに視認出来る距離まで近づく……。
こんな街中でワシが大声で能力名を叫べば、小僧は嫌でもこちらを向くじゃろう。
「ねぇ? ヨーコ……聞いてるの……?」
ユキナがワシの方を振り向こうとした瞬間――。
「……九尾の印!!」
ワシが拳銃の引き金を引くと、パンッという軽い破裂音がした。
矢印の乗った弾丸はユキナの顔の近くを通り、後ろにある壁に軽い音と共に命中した。
「な、なぜじゃ……。撃ち慣れた銃に能力まで付与して撃って……外れるわけが……」
弾丸は自在に操ることができる。矢印を直接叩き込むよりも、数倍は殺傷力も操作性も高い。だから、ユキナの脳天に向かって発射した弾丸が外れるはずがないのじゃ……。それなのになぜ……!?
まるで何かに防がれた――いや、外すように仕向けられたかのように弾丸が外れていった……!
「……ヨーコ、あなた何をしたの……?」
レイラに対する怒り、憎しみ、その感情を纏った赤く黒い威圧感を纏った手がワシの胸ぐらを強く掴んでくる。
「殺すならあの女からでしょ!! なんで私を撃ってるのよ!!」
ワシは思わず眼を逸し、唇を噛んでしまった。
失敗するはずがなかった……。
小僧をこれ以上苦しめないためにも、せめて苦しむ前に戻すためにも、ユキナを殺さなければならなかったのに……!
ワシは弾丸に用いた八本の矢印に帰還命令を出しつつ、護身用の一本を全力でユキナの腹部に突撃させた。
音速で矢印を突撃させれば、針程度の大きさではあるが、身体を貫通させることが出来るじゃろう。そして、その力で心臓を射抜けばユキナを殺すことが出来る可能性はある。
しかし、先程八本も矢印を使った弾丸の軌道が逸れた光景を目の当たりにしたあとで、護身用として残した最後の一本を使ってそれをする勇気はワシにはなかった。
腹部に突撃させる矢印は最低でも確実に当たる大きさ。ただし、それでは威力なんぞせいぜい子供が全力で蹴ったくらいの威力にしかならぬ。
だが、今逃げるだけであれば、それくらいでも問題はなかろう……。
◇ ◇ ◇
ユキナからの逃亡には成功した。
ユキナは不意打ちでその場にうずくまり、鈍痛で動くことが出来ない様子じゃった。
残り八本の矢印も帰還し、ユキナを蹴り飛ばした一本もすぐに帰ってきた。これで先ずは安心と駐車場まで走って逃げていると、ワシは自分の眼を疑った。
老若男女を問わず、死んだような眼でこちらに向かって全力で走ってくる十数人の集団がおった。ワシは本能的に自分を追っていることを察した。
「な……! なんじゃ此奴らは……!!」
ワシは軽く走る程度だった速度から、全力疾走まで速度を上げた。
しかし、集団はまるで疲れを知らぬ生ける屍のように、明らかに当人の限界を超えた速度を出し続けて追いかけてくる。
幼子の格好に化けているのもあるが、枷が外された人間にはどうあがいても最終的には追いつかれてしまうじゃろう……。
やむを得ぬか……。
ワシは九本ある矢印のうち、両足に四本ずつを筋肉と関節に貼付け、改めて走り出そうした。
「見よ! これが九尾の印・双脚過給形態じゃ!!」
駆け出したワシの双脚はターボエンジンを積んだかのように本来以上の力を出し、枷を取った人間以上の速度を出した。
一歩ごとに、石で出来た地面の敷き瓦を割って進み、ワシの走った後には敷き瓦の瓦礫が吹き飛び、砂埃が舞っておる。
オリンピックに出れば金メダル間違いなしの爽快な形態じゃ。
ただし、やっていることはそれぞれ矢印で衝撃を吸収しつつ強制的に動かしているだけであるため、後の反動――絶望的な筋肉痛がある。今回のような緊急時以外ではまず使うことは無い。
それ故、ここまで強力な能力を使ったのであれば簡単に逃げられる、そう思ったのはワシの慢心じゃった。
今度は後ろだけでなく、前から数十人以上の人々がワシを追ってきておった。総勢で百人以上はいるのではないだろうか。ちょっとどころではない異常事態じゃった。
「どうなっておるんじゃ……」
事態が飲み込めぬまま、とりあえず逃げなければならないと本能が言っておった。
ワシは両足の四本ずつに貼り付けていた矢印を、少しずらして異なる配置にした。
「い、一瞬じゃなからな! よう見ておけ! 九尾の印・双脚噴射形態じゃ!!」
ワシがそう叫び両足で跳躍すると、ジェットエンジンを積んだかのように跳躍した。もはやそれは、飛翔と呼んでも差し支えなかった。
「ひ……ひぃいい……」
まずは地上から五階建てのビルの屋上へ、そのまま近くにある三階建てのビル、次は六階建てのビルと近くにあるビルの屋上を次々と移動していった。
この跳躍に特化した形態は先程と同様、後の反動が大きいというものもあるが、最も辛いのは単純に跳躍が怖いという点じゃ……。
仮に落ちたとしても着地出来れば大丈夫じゃし、確実に落ちない距離と分かっていようと、十数メートル程度の高さの建物の屋上を跳躍しながら移動するというのは、精神的に良くない……。
◇ ◇ ◇
結局そのまま跳んだり走ったりして拠点まで戻ってきた。
途中から明らかに追われている様子はなくなっていたが、念の為能力を使いながら帰ってきた。駅の駐車場に停めた車の駐車料金が若干気がかりじゃったが、まぁ端金じゃ、いずれ車を回収しに行こう。
それから一週間ほど筋肉痛で全く動けなかった。
最低限の食事や生理現象などは矢印の力を使ってこなしておったが、それくらい犠牲の大きい能力の使い方じゃった。
そして、その一週間で小僧がこの拠点に帰ってくることは無かった。
帰ってくる場所としてこの拠点を認識していたにも関わらず帰ってこなかったのは、単に認識が変わってしまったのか、あるいはそもそも帰るつもりがなくなったのか……。
更に筋肉痛が治まって数週間経ったが、ワシの心は呆然としたままじゃった。
しかし、何週間も経っているにも関わらず、ワシは特に小僧のことが心配ではなかった。
ここに帰って来ていないなら、恐らくユキナのところにいるのじゃろう。
小僧にとってユキナと共にいるということは、小僧が何より望むことじゃ……。結果的に三つ目の選択肢『ユキナと小僧を添い遂げさせること』になっただけのことじゃし、ユキナは小僧を治そうとすることはあっても苦しめるようなことはしないはず。
対立してしまった関係であるにも関わらず、どこかそういった信頼は出来ていたから、小僧がユキナと一緒にいるということに対して、そこまで不安感は抱いていなかった。
そう、不安感は無かった。代わりに心が空っぽになるくらい大きな喪失感に襲われていただけじゃ……。
それ故、何度も誰かから着信があったが、出る勇気もやる気もなかった。




