第三章 第九話「同じであるものか」
翌朝、ワシが目を覚ますとベッドに小僧はいなかった。
「【ルーラシード】!!」
ワシは自分でも驚くくらいの大声を出した。
バタバタと慌てて階下へ降りて小僧を探すと、台所で何かを焼いておる音が聞こえてきた。
近づくとそこには昨日死んだように寝ていた小僧が朝食を作っておった。
「お主! 無事なのか!?」
「あぁ、ヨーコ、おはよう」
「大丈夫なのかと聞いておるんじゃ!」
ワシは小走りで小僧に近づき、身長差を無視して無理やり胸ぐらを掴んだ。
「君が僕のことを心配してくれる日が来るとは思わなかったなぁ。うん、まぁ今の所は何ともないよ」
「本当じゃろうな……?」
「あぁ、少なくとも今は何も問題ない状態だよ、今はね。嘘ではないし、そこは信じて欲しい」
「……わかった。お主がこの状態でごまかすような性格でもないじゃろうしな」
「わかってくれたら、とりあえず朝食でも摂ろう。話しながらでも構わないからさ」
小僧はトーストと焼きたてのベーコンエッグを乗せた皿を手に提案してきた。
「ふん、飲み物も用意するんじゃぞ」
◇ ◇ ◇
ワシはトーストにどばどばとイチゴジャムを塗りたくる。これが全ての世界で最もトーストを美味く食べる方法じゃ。
「それで――昨日のあれはなんじゃ……。お主に認識はあったのか?」
小僧はトーストにバターを都度都度塗って口に運ぶ。
「概ね全部理解は出来ている。原因も結果も……。そして何故いま元に戻っているのかも」
「ならばキチンと説明せんか……」
ワシはベーコンエッグのベーコンの部分だけをナイフで切り離して口へ運ぶ。
「まず、ルーラシードについて。ヨーコも気づいていると思うけど、この世界のルーラシードは僕になってしまったようだ。数十億分の一、あるいはそれ以上かな。前代のルーラシードが亡くなった時、この世界にいた僕がたまたま次のルーラシードに選ばれてしまった、それだけのことだ」
「そんな偶然あってたまるか……」
「だけど、仮に宝くじが当たるよりも確率が低くても、現実にこうしてなってしまったんだ。これはどうしようもないことさ」
ワシが持っているフォークを強く握りしめる一方で、小僧は全く動じず、落ち着いたようにナイフとフォークでベーコンエッグを切り分けて口へ運んでおる。
「次に、僕が海辺で倒れていたことだけど、多分家に帰ろうとしていたんだと思う」
「家に……? お主の家はここじゃろ?」
「違う。多分、僕はまだここを家だと思っていない、僕は心のどこかで家は――帰る場所は日本にあると思っていたのだと思う。だから、無意識のうちに日本へ行こうと海岸に向かったのだろう」
ワシはテーブルを強く叩き、悔しくて奥歯を噛み締めた。
「お主の家はここじゃッ!! 二度と間違えるなッ!!」
「そうだね、今日からはそう思う事にするよ。そうすればきっと、ここに帰ってこられるだろうしね」
小僧の落ち着きように苛立ちを隠せない。どうして小僧はこんなに落ち着いていられるのじゃろうか……!
「それから、僕が死んだように倒れてしまっていたこと。今までレイラフォードとルーラシードが出会ってこんな症状が出たことは一度もなかった。それはヨーコも知るところだと思う」
気がつくと小僧は食事を終えていたが、ワシの皿は先程から全く減っていなかった。
「ここからは推測だけど、恐らく僕がレイラフォードとルーラシードという存在を知っているからだと思うんだ」
「知っていたら何故そうなるんじゃ……」
「レイラフォードという存在を知っているからこそ、この惹かれ方が自分の意志に依らないものだと理解してしまっている。だから世界の強制力に対して身体が抵抗しているのだろう。例えるなら――そうだな、世界という名のウイルスが僕の身体の中で暴れて熱をだして苦しんでいるようなものかな」
「偽りの運命に身体が抵抗して、意識不明の状態になっておったということか……?」
「あくまで仮説だけどね」
ワシらが数多の世界を巡り、何人ものレイラフォードとルーラシードとの縁を紡ぎ、世界に分岐を与えてきた。
確かにそれはワシらのような世界の理を知るものからしたら、それは作られた運命なのかもしれん。しかし、本人たちからしたらそれは間違いなく運命の出会いなのじゃ……。
「念の為フォローしておくけど、恐らく一般的な男性にとって彼女は魅力的に映るほうだと思うし、僕個人としてもレイラ=フォードという娘はとても良い子だと思う。だから、彼女自体には何ら瑕疵はない。彼女からしたら単に運命の出会いを果たしただけだからね。むしろ、今回のことで問題があるのは僕自身だ。僕が勝手に世界に抵抗して勝手に倒れているだけなんだ。僕が抵抗しなければ彼女と結ばれて全てはハッピーエンドだ……」
小僧が少し目を細めながらコーヒーを飲む。自分で言いながら少し悲しそうな顔をしておる。
「意識不明になる理由もわかった。じゃが、それならどうして今はピンピンして飯を食うておるんじゃ!」
「今は食後のコーヒー中だけどね」
「うるさい! 揚げ足を取っとる場合か!!」
「おぉ怖い怖い。その理由も推測だけどわかっている。恐らく、世界からの圧力が強くなっているんだ」
「強くなっておるじゃと? 弱くなって自由に動けておるわけではないのか?」
「いや、その逆だ。この後、僕がレイラフォードと行動をともにするよう強制的に動かそうとしているんだ。そうだね、わかりやすくいえば寄生虫に乗っ取られて身体を動かされている状態といえばいいのかな」
「乗っ取られておるじゃと……?」
「こうして意識があってある程度自由に喋ったり、食事を摂ったりすることはデートに行くために必要なことだから許されているけれど、このままこの拠点にいたいと思っても世界はそれを許さない。レイラフォードと共に過ごすために必要なことしか僕にはさせてもらえないみたいだ」
「実際にこれまで見てきてはおったが、無意識とはいえ当人にかかる世界の力とはそこまで強力なものじゃったか……」
「存在を知ったうえで体験すると驚異的という感想しか出てこないね……。デートが終わったら世界からの圧力も弱まるけど、それはすなわち休眠モードに入るというわけだ。もしかしたら更に世界からの圧力が更に弱まれば、元通りに戻るのかもしれないけれども……」
世界からの圧力を弱めるか……。今のワシではどうすれば良いのか到底思いつきもせぬわ……。
「それで……お主はこれからどうするつもりじゃ……?」
「どうって……。このあとは多分デートに行くことになるんじゃないかな?」
「そういう意味ではない! お主はこの世界のルーラシードとしての使命を全うするのか、それとも世界を渡る者としての使命を全うするのか、どうしたいんじゃ!」
ベーコンエッグもトーストもすっかり冷めきり、まだ手を付けておらんかったホットミルクもただの温い牛乳になってしまった。
「ヨーコ、言っていることが支離滅裂だ。その二つはどちらも同じじゃないか。僕らの使命は様々な並行世界を渡ってレイラフォードとルーラシードの赤い糸を紡ぎ、分岐する世界を生み出すこと。それは僕がルーラシード本人であろうと、第三者として導く側であっても同じだ」
……同じであるものか。
小僧自身もそれには気づいているはずじゃ。自らがルーラシードとしてレイラフォードと添い遂げることを良しとするのでれば、何故世界への抵抗が出るのじゃ……。
世界への抵抗があるということは、世界の理を知っているから偽りの運命だと知っている、きっとそれもあるかも知れない。
じゃが、それ以前に心のどこかでルーラシードとしてレイラフォードと結ばれることを受け入れたくないという気持ちがあるからじゃ……。
どうして自分の気持ちに素直にならないんじゃ……。




