第三章 第四話「ハンカチ落としましたよ」
ワシはレイラと同じ学科の一学年下の後輩として入学した。学年が違うので同じ講義を受けるのは難しいのじゃが、いくつか学年を問わず受講できる講義もある。ここが狙い目じゃ。
そして、少しだけ仕込みをしておくことにする。
同じ講義を受ける際に、レイラの近くを通る時にさり気なくハンカチを落とす。これを拾ったレイラと一度縁を作っておくという算段じゃ。
講義室でレイラがちょうど通路側で一人の時を見計らい、隣を歩いて通りながらハンカチを――落とす!
「あ、ハンカチ落としましたよ」
レイラの反対側の席にいた男子学生がハンカチを拾っておった……。
「あぁ……ありがとうございます……」
ぐぬぬ……。ワシの可愛さに惹かれ、お近づきになろうとでも思っておるのか?
何にせよ、これをレイラが拾うまで日を置いて数回繰り返すこととなった。
◇ ◇ ◇
「あら? ハンカチ、落としましたよ」
試行すること十数回、レイラがハンカチを拾って微笑みながら渡してきた。
「あぁ! ありがとうございます!! 大事なハンカチなんです、よかった!」
ワシは心の底から喜んだ。この娘はいい子に違いない。
何度もお辞儀をして、ワシは少し離れた自席へ戻っていった。これで第一段階は成功じゃ、次は第二段階に進めるとしよう。
次は逆にレイラが落とした物をワシが拾って、恩を着せるというものじゃ。卑怯とでもなんとでも呼ぶが良い。
大学構内をレイラが一人で歩いている時に、スッと後ろから追跡する。
レイラに気づかれないよう、彼女の鞄についている金属のキーホルダーを狙う。
(九尾の印……)
ワシは護身用に残している一本の矢印を可能な限り小さくし、キーホルダーに向かって飛ばした。
通常の九尾の印の攻撃力は、最大で小刀で突き刺すのと同等まで高めることができる。今回は命中精度を重視して小さい大きさにし、その大きさで可能な限り攻撃力を高めて飛ばしておる。
レイラの鞄に向かって小さな矢印が飛んでいき、キーホルダーに付いている細い金属の部品を切り裂いた。
チャリンという小気味良い音と共に、レイラのキーホルダーが廊下に落ちた。
「あれ?」
音に気づいたレイラがすぐに床を見てキーホルダーを拾いよった。
むむむ……。耳の良いやつめ、自分で気づくとは……。しかし、何度も同じキーホルダーを落とすのも不自然じゃし……。うーむ……。
◇ ◇ ◇
「相変わらずバカみたいなことしてるんだな、ヨーコは」
電話で小僧に事情を伝えたら、開口一番にこれじゃ。
「うるさいわい! そんな小言ではなく、何か良い案は無いかと聞いておるんじゃ!」
「何で相談する側が上から目線なんだよ……。そもそも一度ハンカチ拾って貰ってるんだから、もう普通に声をかけるだけで良いんじゃないか?」
「……そ、それじゃと、ちょっと急に近づき過ぎではないか? もう少し縁を結んでからでなくとも?」
「そういう距離感の取り方だから僕が声をかけるまで、ヨーコは何百年も友達が誰もいなかったんだよ……。良くも悪くも僕らの並行世界の旅なんて一期一会なんだ、相手のパーソナルスペースに入り込むくらい積極的に行って良いんじゃないかな?」
「なんじゃなんじゃ! ワシを悪者にしおって。慎重に事を運んでいると言ってもらいたいものじゃ!」
「――というか、僕としてはいい加減に相手へ積極的に近づけるようになって欲しいんだけど……。いっそこの世界で練習してみたらどうだい?」
むぅ……なんだ。小僧が言うことにも一理はある、色々と試してみるのは確かに重要ではあるからな。幸いにも既にきっかけは作ってあるんじゃ、あとはワシの方からひと押しすればいいだけじゃろ。簡単じゃ簡単、ハッハッハーッ!
◇ ◇ ◇
翌日、ワシは早速レイラと同じ講義で攻めることにした。
ガラガラではなく少し人が埋まりかけた時間に講義室に入る。
「あのぅ……。隣いいですか?」
ワシの可憐な演技で声をかける。小僧は普段のワシの声をダミ声とか言いよるからな、化けている間はちゃんと立ち振舞も声も清楚であるよう心がけておる。
「えぇ、構わないわ」
レイラが微笑みながら返事を返した。やはりこの娘はいい子じゃ。
「ありがとうございます」
ワシも礼を言い、そそくさと席に座る。
さ、さて。ここからどうすれば良いのじゃろうか……?
「あら? あなた少し前の……。なんだったかしら……」
僥倖!! この機を逃すわけにはいかん!
ワシはレイラの手を両手でがっしりと掴んだ。
「あの! この前は落としたハンカチを拾って頂いてありがとうございました! あのハンカチは知人から貰ったもので……。あの……この世界に一つしかない物で……。えーっと……だから改めてお礼を言おうと思って!」
小僧が少し前の並行世界の店で買ったハンカチじゃ。かなり枝葉の違う世界じゃったからのう、本当にこの世界には無いじゃろうし、別に嘘は言っておらん。
「そうだったの……。良かったわ、お役に立てて」
レイラが神妙そうな顔でこちらを見ている。そんな真面目に受け取られるとこっちは良心の呵責に苛まれる……。
「私は二年生のレイラ=フォード、あなたは?」
「私は一年のヨーコ=マサキです。レイラさん、先輩だったんですね。そうとは知らず失礼しました……」
まぁ、ワシの方が人生の大先輩ではあるがな。
「先輩って言っても、たった一年しか違わないんだから、そんなのあってないような差よ。それよりも、その人がこれから何に向かって努力しているとか、そういうことの方がもっと重要だと思うわ」
レイラが優しく微笑みながら答える。
「な……なるほどのぅ……」
思わず苦笑いになってしまったが、努力と言われると……その言葉と微笑みはとてもワシに刺さる……。
「えっ?」
「あ、いや、何でもないです……」
いかんいかん、危うく地がでそうになったわい。
「あの……実は私日本からこちらに来て間もなくて、学内だけじゃなくて日常生活でも知人が少ないので……。もし良ければ、この機会にレイラさんとお近づきになれればと思って……」
「なるほど……。確かに私も最初は一人暮らしになった程度で不安がっていたけど、国外から一人で留学してきたとなると余計にそうでしょうね……。私自身も見知らぬ土地で友人が少なくて不安だったから、私で良ければこちらこそお願いするわ」
レイラが優しく微笑む。やはりこの娘はいい子じゃ。
こうして、ワシとレイラは適切な距離感を保ちつつ、仲良くなることに成功した。悔しい話ではあるが、今回ばかりは小僧の手柄と言わざるを得んな。




