兄の提案
「それで、これからの話なんだけど」
「はい」
フラットは声色を軽くして暗い雰囲気を抜けようと試みる。
「アルト、君ここに独りで住み続けるのは大変だろうし心もとないだろう?生活費をウチが出したところで家事やらなんやら……子ども独りでやりくりするのは大変だ」
「そう、ですね……」
生活費は援助するつもりがそもそもあったという事に少し希望がわいた。
「それでね、まあ当然の成り行きではあるけど……ウチに来てもらうのはどうかって」
「ウチ?……って、お兄さん……お父さんの家ですか?海沿いの」
そうだよ。とフラットは笑う。
「ずっと父さんと二人暮ししてるんだ。まあまあな広さがあるし、空き部屋もしっかりある。家具やらは入れないといけないけど……商売柄すぐに手に入るし、その辺も問題ない」
「……」
「悪い話では無いだろ?なんの心配もせずに暮らせるし、学校もちゃんと行かせるし、進学も自由に出来るはずだ」
「そんなに、いいんですか?」
昼までは思いもしなかった展開にアルトは困惑を隠せない。
「もちろん。家族だからね」
「でも、お父さんに……俺……僕のこと、連絡ついてないんでしょう?勝手にそんな……」
「大丈夫大丈夫、父さんなら確実に歓迎するよ。ずっと母さんの事も君の事も案じてた訳だし……あ、俺でいいよ。畏まらないで」
「……はい……」
アルトは飲み込めずに目を泳がせる。
なんせ顔も知らない、行方も知らなかった父親の事だ。本当かどうか見当もつかない。
兄だって存在すら知らなかったのだ。信用していいのか……
確かに瞳の色は祖母のものと同じだし、アルト自身とも似通った顔をしているようにも思う。ただ、確実に兄の方が整って垢抜けて綺麗だと感じていた。
フラットも弟の動揺にはもちろん気がついていて、宥めるように声をかける。
「うんうん、そりゃ僕の事も知らなかったんだもん。家の事色々ね。ビックリもするさ」
「はい……」
「事情飲み込むにも時間かかるだろ。別にそこまで急ぐことはないよ。今日明日帰るなんて事はしないから……しばらくこちらに居るつもりだし」
事も無げに話す兄にアルトは困った顔をして顔をあげる。
「しばらく……?ここに居るんですか?」
「うん。3日かけて行ったり来たりもなんだし、ついでにこの街を見て回って仕事にもするさ。それから……寝床。宿とっても勿論いいけど……空いてるのかな?ここも中々人が出入りするから……」
手を合わせてスマンと頼み込む。
「時間も時間だし、今日だけでも良いから泊めてくれない?」
アルトは恐縮して手をバタバタする。
「も、もちろんそれは……遠路はるばる来てもらって、そんな……ただ、ベッドが母のと俺のしか無いから……その、俺の」
「ああ、良いよ。母さんのでも。君は君のベッドで寝ればいい。空いてるならこれでも息子だしそこまで気にしなくても大丈夫だろ」
アルトは亡くなった母のベッドに寝るというのはどうなんだろう。と思いつつ、他に案もないし家族なら仕方ないかな?と受け入れる。
フラットはありがとう、と微笑んだ。
「あ、言っとくけどマザコン的な何かじゃないからね」
「えっ、あ、それは大丈夫です」
「冗談冗談。はは、もう畏まらないでってば」
おそらくずっと弟を気遣って笑顔を絶やさずいるのだろう。
アルトもそれは察しているのだが、どうすれば良いのか分からなかった。
(多分、いい人、なんだろうけど)
見るからに人当たりの良さそうな青年。自分とは違う。そう思った。
アルトはどちらかと言うと引っ込み思案で、更に言えば思春期真っ只中である。
いきなり現れた兄にどう対応すればいいか全く分からないし、なんだか恥ずかしかった。余裕の違いからくるものだろうか?
チラリと兄の胸元に細い銀色が光って見えた。この人はアクセサリーなんてする程の余裕があるのか。アルトは自信を無くす。
今まで地味に慎ましやかに母と暮らして来たのに、どうやら父と兄は裕福で余裕のある暮らしをしているようだ。
(どうして自分達、俺はこんなに困っているのだろう。母さんが変にお父さんを嫌ったりしなければ、苦労せず生きられたのではないか?なんで俺は……)
そこまで考えて、自分を恥じる。
母には今までなんの恨みもなかった。苦労して働いてあまり不自由しないように育ててくれた。今まで学校に行かずに働かなければいけないところまで貧困に喘いだ事もない。
(母さんは優しかった。悪い人なんかじゃなかった。そんな過去があるなんて知らなかった。この人から聞かされなければ母さんを悪く思うことなんて有り得なかったのに)
年頃らしく反発もしたが、アルトは母をきちんと慕って愛していた。
それを突然やってきた男に砕かれたようで、それが不快だと感じた。
どう接すれば良いのか。この兄という人をどう評価すれば良いのか。信用して良いのか。優しい母を貶めたから嫌った方が良いのか。
やっぱり都合のいい事を言って、父と兄は自分たちを捨てていたのではないか。必要に迫られて迎えに来ただけに過ぎないのではないか……
アルトは軽く頭痛を覚えた。
その後、兄の土産という魚の瓶詰めをおかずに食事をし兄は取り留めもない話をして弟の心を開こうとしてみたが、結局弟は困惑した表情を崩せずに床につくこととなった。




