狩人の眼
「フーっ……スーっ……」
アルトは出来る限り息を殺して、背の高い草むらに逃げ込もうとする。
しかし大きくガサガサジャカジャカと岩と草を踏み荒らして大柄な男が鼻息荒く近づいてくる。
どうやら隠れているのは女だと思っているらしい。
アルトの声が普通の大人の男よりも高めでひ弱そうだったからかもしれないし、戦わず逃がされているからかもしれない。
アルトは恐ろしくて恐ろしくてたまらず、でも必死に自分の生命の事に集中した。
しかし、どうしてもその時が訪れてしまった。
草を掻き分けて大柄の気持ち悪い笑みをした男が割って入ろうとする。
アルトは腰を抜かしてしまい、何とか短剣を男に向ける。だが震えていた。
男はんん?とおかしな顔をして、吐き捨てるように言う。
「なんだ子どもか!男は趣味じゃねえ」
「……っ」
男はガッカリしたように刀を振りかざす。
(あ。やられる……)
アルトは死期を悟った。
やや逆光の男はとても恐ろしく大きな化け物に見えた。
目を強く瞑り、覚悟を決める。
その時間はゆっくりで、噂に聞く走馬灯というものがうっすらと流れた。
母が、セナさんが、友達が、先生が、近所の人の手を振る姿が、兄が、父が……
(ああ、どうしてこんな事に)
他人事のようになっていく自分がいる。
明るかった瞼の裏が闇に包まれる。
(終わりだ)
そう思った。
しかしまた明るくなった。何かに左から大きく打たれ熱くなった。
他人事になって無音になっていた世界につんざくような音が戻ってくる。
思わずアルトは目を開いた。
そこには何かを踏みつけながら剣を高々と逆手に振りかざす誰かがいて、それは一瞬遅れて兄だと気がついた。
兄は目を見開いていて、全く知らない顔で、恐ろしくて、真っ赤で、冷たくて、熱くて……
思いっきり剣を振り下ろした。
「ハーッ……ハーッ……」
息の荒いフラットはまだ固く柄を握っている。
何秒かして、やっとグルリと首を動かして冷たくて鷹のように鋭い目、瞳孔の開ききった目でアルトを見下ろした。
「ヒッ……!」
「ハーッ……ハーッ……」
アルトは恐ろしくて小さく悲鳴をあげて縮こまった。
フラットはまだ息が荒くて、声を出さない。
それがしばらくの間続いた。
やがて、いつの間にか別の方向を見ていたフラットの息が落ち着いていき、肩を落とすのが薄目に見えた。
フラットは左手を高くあげて振ってみせた。
「……生きてるな……」
ようやく遠くを見るフラットが呟く。
それは父親が助かった事を指していた。
辺りはいつの間にかシンと静かに、草の揺れる音だけに戻っていた。
そして砂を踏みにじる音と共にフラットはもう一度アルトの方に向き直る。
「……終わったよ、アルト。父さんも立って歩いてるのが見えるから大丈夫。怖かったね」
「……っ」
アルトはまだまだ強ばっていた。息を切らして涙目になっている。
フラットはそれを見て、いくつか間を置いて現実に戻っていく。同時に赤くなっていた顔が青ざめていった。
フラットは膝をついて、涙をたたえた目で訴える。
「ごめん、怖かったね。こんなの初めてだろうに……怖かったね……いつの間にか抜けてた……」
「……」
アルトの状況は変わらない。ただひたすら強ばって涙をこぼすばかりで声が出ない。
その目は兄の事すら恐ろしいというのを強く示していた。
「アルト……」
フラットは酷く落ち込んだように肩を落とす。
「ごめん……目の前でこんな事して……ごめんね……酷かったね……」
フラットは自分の真っ赤に濡れた手を見比べる。そしてマントの下からハンカチを出して、アルトに手を伸ばす。
アルトはビクッと震え、だがその手は頭を拭った。
「ごめん……血がついてるから……気持ち悪いだろ」
「……」
アルトは固まったまま、拭われていく。
しかしあらかた顔が拭われた頃にやっと息と思考が戻ってきた。
「あう……に……さん……」
なんとかパクパクと口を動かす。フラットは出来る限り微笑んでみせた。
「大丈夫。もう大丈夫。怖かったね。ごめんね。でも助かって、傷もないみたい。良かった」
「兄、さん……」
その顔と声にアルトは一気に正気に戻ってきて、涙が今まで以上にわっと溢れ出す。
「兄さん……兄さん……!ごめんなさい……!」
「……!」
アルトは兄に震えつつも抱きついた。自分が恐れた目で兄を見続けた事に気がついて、余計に泣いた。
フラットは驚いた顔をして、でもしっかりと受け止めた。
「ごめんなさい……ごめんなさい……」
「いいんだよ。こんなの怖いに決まってる。ホント、気持ち悪いね。ごめんね」
「ごめんなさい……」
フラットはポンポンと弟の背中を叩く。
アルトは傍にまだ死体がある事は忘れて、兄への罪悪感だけでワンワン泣いた。
フラットも涙を流していた。
「酷いもの見せちゃったね……ごめんね……トラウマにならないと良いけど……なっちゃうかな……ごめんね……」




