兄達のコンプレックス
エリーゼは事故で亡くなった。
早朝の仕事を終えて帰る途中、冬で凍った道を滑った荷馬車の下敷きになったのだという。事故を起こした馭者もその時に亡くなった。
不運だが稀ではない事故で、ただ脚を挟まれて直ぐに助け出せなかった事だとか、その脚が元で死んでしまった事だとか……不幸な事に違いはなかった。
引っ張り出している最中にアルトが駆けつけ、そこから1時間程で亡くなる様を見届けたようだ。
意識は無く、ただ何か小声でうわ言を呟いているようだったがうまく聴き取れなかったという。
(母さんは最後に何を言ったんだろう?)
フラットは人形やぬいぐるみを作る工房で、母の形見と母の写る写真を手にぼんやりと考えていた。
「……では、お預かりしますので」
「あっ……はい。よろしくお願いします」
「お任せ下さい」
子どもの頃は人見知りでよく母のスカートを掴んで後ろに隠れていた。
祖父が怖くてたまらず、祖父の館に居る時は毎日のように泣いて母に寝かしつけられたり、時には一緒に寝たりしたのも覚えている。
今は祖父の事を怖いというより憎いという気持ちの方が上回っている。
最愛の母と引き離されて以来、コンプレックスであったのは確かでじきに薄れた気もしていたが今自分の中で寂しさや憎さが再燃しているようにも思える。
あれから父も苦労をした。働き詰めで何日も家に帰れない日なんてざらだった。遠出をするのも多い。
ただ遠くへ出張していなければ行事には必ず出てくれたし、離れていても頻繁に手紙や方々の品を贈ってくれた。
10歳やそこらで寂しくなかったわけではないが、事情も展望も理解出来ていたので我慢するのは苦ではなかった。
父が頑張ればまた家族で暮らせるから。そのうち自分も手伝うから。今は力を蓄える時だから。そう思って頑張ってきた。
高等学校では語学を主に頑張った。父は海外進出に力を入れていて、通訳が特に重宝されていたからだ。数字は正直大きな商家の生まれの割には平凡に近く、それこそ祖父に大目玉を食らう原因だったのだが……
今ではこの港にくる色んな言語を話す商人や船の乗組員達と誰よりも上手く意思疎通できて、交渉出来る。
自分は幼少期を思えば成長出来たと思う。この姿を母に見て欲しいと思った。もう少しで叶うはずだった。
(上手くいってるつもりだったんだけど、そうはいかないな)
工房から出たフラットは眩しい太陽に目を細める。
1分足らずで少し慣れてきた頃、見覚えのある人が道路向かいにいた。
「あれは……クロヴィス伯父さんとエイダ叔母さん……」
2人はカフェで談笑しているようだった。
クロヴィスは父への用事はもう終えているだろう。久々に妹にも会いに来たか。
気まずくなるのも嫌だし、兄妹の会話を邪魔するのも良くないので無視して立ち去ろうと思った。
……が。
「あら、フラット君じゃない?」
こちら側に向かって座っていた叔母に気づかれた。伯父も無言で振り返ってくる。フラットは少し焦りつつ笑顔で会釈する。
「こんにちは……お久しぶりです、伯父上。あちらでは挨拶もできずすみませんでした」
「久しぶりだな……出掛けた後だったと聞いた」
「はい、待って居られれば良かったのですが」
「構わない。よくある事だ」
そう言ってお茶をすすり直す。
フラットは結末が分かっているだけに少しヒヤヒヤする。しかし当人は何とも思ってないかのようだった。
「あの……」
「気にするな。その場では熱くなりはしたが……残念ながらあいつが正しいのは事実だ」
「さっきまで不貞腐れて愚痴ってたけどねえ」
「余計な事を言うな、エイダ」
叔母は笑いながら目で大丈夫よと合図をしてきた。フラットはほっとため息をつく。
「もう用は終わったのか?」
「はい」
「なら少し座っていったらどうだ」
「お話中だったのでは……」
「特に身のある話をしてた訳じゃない」
促され、断る訳にも行かず席につくと即座に店員がやってきて注文を取っていく。
「仕入れでもしてたのか?」
「ああ、いえ……」
「そこの店?から出てきたけど……あそこは人形屋さんじゃなかった?」
「そうですね……その、プライベートでの依頼に来ていまして……」
伯父がいる手前話しづらいが事情を伝える。だがクロヴィスは特に嫌な顔もしない。
「そうだったの……いいお人形が出来ると良いわね」
「はい」
クロヴィスは少し間を置いた。
「お前、昔母親にいつもくっついていた気がするな」
「ええ……ちょっと情けない話ですが」
「あの時離婚してそれ以来会ってないなら……まあ、寂しいは寂しいだろう。無念だったな」
「お気遣いありがとうございます」
フラットは少し意外そうな顔をする。伯父は祖父の腰巾着な面が目立つので、母の事も嫌いなのかと思っていた。
「違うぞ。私個人は彼女は好かない。だが故人と遺族を貶す趣味は無いだけだし、お前は実際悲しいんだろう」
クロヴィスは見透かしたように、だが無感動な口振りで言う。フラットはすみませんと小声で謝る。
「……普段そう思われて仕方ない態度を取ってるから構わん」
「兄さんはテセウスの事は嫌いだけど、割とあなたのことは気に入ってるのよ」
「だから余計な事を言うなと……」
「そ、そうだったんですか」
「……あいつよりは、だ」
クロヴィスは居心地悪そうに言う。
「『出来のいいテセウス』と比較されてる姿を見てると同情するんだよ」
「それ、遠回しに貶してない?」
「いえいえいえ」
「そう?でも私も兄さん……というか一番の出来損ないだったからコンプレックスあったわねえ……まあ末っ子だし女だし怒鳴られるより放置の方だったけど」
「あいつは父が評価する部分ばかりが得意だったからな。他はさっぱりだと言うのに」
「昔からなんですね……」
「昔からだ。お前、2人で暮らしてたら割と酷い部分を見てるんじゃないか」
「ははは……まあ……」
弟への愚痴をその息子の前でも披露する辺り、根深さを感じる。
「でも可哀想だとは思ったよ。馬鹿みたいに惚気ける相手と無理やり別れさせられて……早くに亡くしてしまうし」
「……」
惚気けてたのか。と思いつつそこは流す。意外性は無い。
「彼女を極端に嫌っているのは父くらいだ。強いて言えば祖父もだがもう亡くなっているしな……」
クロヴィスは遠くを見る。
「それを利用してあいつを後退させようとしたのは私にもある。私だけに留まらず、競争相手は誰でもその隙は逃さなかった。でも結局あいつから辞めてしまって、誰も勝ったものは居なかったな……あの跡目争いは」
逆にライバル企業にまで登り詰めてきたから、と。
「ウチが潰れる事はまだ早いし、堅実な商売も必要だ。だがお前の会社は今の時代、需要の波に上手く乗って躍進するだろう。羨ましい限りだよ」
「……」
「旧時代の遺物呼ばわりされるようになって、益々頑固になって。後戻り出来ないんだろうけど。そんな父と旧態依然とした社を引き継いで何とかもたせる役も必要なんでね。今波乱を起こすとダメージも大きいし、日和ってでもバランスを崩さんようにしないと」
それでも少しずつはシフトさせてはいるらしい。
フラットもそれは確かに感じている。
「父を分からせようとするのは無理だ。上手くいなしておくしかない。だからあいつに火薬投げられるのは困るんだが、争いに利用したツケかもしれんな」
クロヴィスはこれから憤慨する父を宥めるのが大変だから帰るのが嫌になるとぼやいてお茶を飲み干した。




