招かれざる
潮のにおい。
フラットにとっては帰郷の香りだが、アルトにとっては嗅いだことのない摩訶不思議なにおい。
近づくにつれ濃厚になる匂いや空気のベタつきに驚いていたアルトだが、遂に開けた視界に広がる海……といっても整備された港なのでだだっ広くはないが……に目を丸くしている。
「海は青……というより濃紺だなこれは」
フラットは見慣れた景色を横目に、それほど鮮やかではないことを笑う。
それでもアルトはこれ程の水を見るのは初めてで、触ってみないと本当に水なのかも信じられないといった心境だ。
そして住んでいた町とは違う賑やかさ。人の日焼け具合もなんだか違う。
地面はどこもかしこも舗装されており、一部でしかない町とは違う。
大きな帆船、蒸気船、小さな船……何隻か泊まっているが、アルトにはまるでなにもわからない。
フラットを認識した人たちが次々に声をかけてくる。
「フラットさんお帰りなさい」
「ただいま」
「急に居なくなったからどうしたのかと」
「ちょっと急用でね」
「お帰りなさい、社屋なら順調だよ」
「ありがとう」
アルトは誰からも挨拶される兄に少し驚く。
(有名な会社の人だからか……)
それも社長の息子……
自分もそうなのだし、それに事情のある余所者だからすぐに注目を浴びる事が予想される。
アルトは恥ずかしくなってモジモジしだした。
荷馬車は完全には街の中心には出ず、少し外れたやや閑静な居住区に入り、やがて大きな庭付きの屋敷の前に停まった。
アルトは三階建ての白い石造りの大きな家に、整えられた芝や花に目を白黒させる。
「今日からここが君の家だよ。アルト」
「……はい」
すっかり恐縮してしまっている弟にフラットは軽く笑った。
「大丈夫、なんとかなるから」
「はい……」
仕方ないなあ。と言って荷台から降りる辺りで格子状の門が開き、何人か出てくる。
フラットは手を挙げた。
「ただいま」
「お帰りなさい、フラット様……あの」
「うん。連れて帰ってきたよ。ええと」
「あ……初めまして……アルト、です」
荷台から降り、すぐに兄の後ろに隠れてからおずおずと顔を出す。
使用人たちは少し顔を見合わせてから礼をする。
「長旅ご苦労さまでした……アルト、様」
「……?」
フラットは眉を顰める。
「……なにかあった?」
「それは、その」
「……。まあいいや、荷物手伝って。部屋は片付けてあるね?」
「は、はい……」
「『僕の弟は』不慣れだから『丁寧に』対応してあげてね」
「かしこまりました」
何かを察したフラットはほんの少しトーンを変えて指示する。
緊張しきりのアルトには気付かれなかったようでほっとする。
「アルト、案内するからおいで。……あ、急だと言うのにどうもありがとうございました」
「いやいや!こちらこそどうも!坊ちゃん元気でな!」
「はい!」
馭者に別れの挨拶をして、二人は屋敷に入っていく。使用人たちはまた顔を見合わせた。
「あの子がもう一人の坊ちゃん……」
「荷物、本当に部屋に運んでいいのか?」
「いや、直に上なのはフラット様だから……ここは指示に従おう」
馭者はきな臭い会話を耳にして帽子を目深に被る。
話を請ける時に事情は聞いたが、そこから想像するに……嫌な話である。
(テセウスさんもフラットさんも俺たちからすりゃ良い人なんだがね……もっとエライ人たちからするとそうでもないのかね)




