問屋の師匠
そうだ。とフラットが手を打つ。弟はキョトンとしてそれを見る。
「名前。僕たちの名前。2人とも母さんがつけたんだけどさ」
「母さんが?」
「そう。父さんはそういうの壊滅的だからだと思うけど……」
フラットは昔、会社の倉庫あたりにウロウロしていた黒猫に『まっくろブラック号』なる名前をつけて呼んでいたのを思い出す。無事却下され『くろちゃん』になったのはいい思い出である。
「音楽の記号から取ったんだって。母さんは昔歌を習ってたそうだしね」
「音楽……歌……母さん、歌上手だった……」
「でしょ。僕ももう母さんがどんなだったかだいぶ忘れてる部分もあるけど、よく歌ってた歌はしっかり覚えてるよ」
「『満月に踊れば』」
2人同時に口にする。兄弟は驚いて見つめ合い、顔をほころばせる。
「やっぱり、兄さんは母さんの子どもなんだ……」
「あはは……息ぴったりなのは兄弟だからかもしれないね」
アルトは照れくさそうに笑う。
さっきとはまるで違うあたたかな空気を大きく吸って胸を温める。
やっていけるのではないか。フラットもアルトも期待する方へ心を傾かせる事が出来たようだった。
「兄さん」
「なんだい」
「疑ってごめんなさい」
「いいんだよ」
この後は静かに穏やかに2人は朝の仕事を進めることが出来た。
「これはこれは!フラットさん!」
町はずれの大きな倉庫の前でフラットはたくましい男と挨拶を交わす。
「こちらさんは?」
「弟です。色々あってお話していなかったんですが、この町に住んでまして」
「ええっ?」
フラットは軽く事情を話す。
このたくましい男は取引先の人間で、この町の住人ではないものの頻繁に来ているらしかった。
あごひげを撫でながら話を聞いて、しみじみと
「なるほどねぇ……大変だねぇ……」
と相槌を打っていた。
「いや、それでもだよ?大事な息子もいるのに少々放置し過ぎでないかい?」
「面目ないです。母が父からの仕送りを受け取る時に弟の様子を手紙にしてくれてはいたんですが……社屋の改修の件でプライベートを疎かにしたばかりに……本当に僕の失態でしかないんです」
「まあ慌ただしくしてるのは見てるけどねぇ……まあ何とかなってるなら今更か」
「すみません」
「いやいいよ。そんな簡単な話では無いのかもしれんし、君も若いし親父さんのように上手くはこなせんのだろう」
「精進します」
アルトはなんだか兄が可哀想になる。
話はそこからビジネスに移行し数分経って解散したが、アルトは居心地悪そうにしていた。
「ごめん、待たせたね」
「ううん……なんか厳しそうな人ですね」
いかつい背中を見ながら言うと、フラットは軽く笑った。
「まあ僕は頼りない若造でしかないし。色々教えて貰ってる身だからね……お小言も貰うさ」
「そうですか……」
まだアルトは男の背中を見やっている。
「この町にも兄さん……とか父さんの知り合い、いたんですね」
「それはまあ……あー……」
何を言わんとしているか察してフラットは口ごもる。
「……うん、まあ、いたんだよ。母さんと君を見守る人。養育費を渡しに来てた人なんだけど……」
「そうなの……ですか?」
「うん。父方の親戚でね……ただ、その、おじい様がちょっと……」
フラットは言いにくそうにする。




