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豊穣の秋

作者: 水辺ほとり

昔、阿婆捨て山と呼ばれた、逃れてきたものたちばかりが集まる土地の痩せた村があった。

ここは盆地にも関わらず、今では豊饒の里として名を馳せている。なぜなのか聞いて回る旅人に、泊めてくれた老人は語りだす……

 老人は、いろりを囲む私に茶を出してくれた。

「私のことを聞いて回っているそうですな」

 びくりと身を引くと、そう怯えなさんな、と言って老人はこぼした茶を拭ってくれた。

「そうですなあ。お話しましょうか。私がどのようにして今に至ったのか。田舎の夜は長いですからな」

 細く開いた障子の隙間から、月明かりに照らされた一面の稲穂が波打つさまが見えた。



 この村は山に囲まれた小さな盆地であった。この隔絶された村は、裾野の村々から逃れてきた人々の隠れ家から少しずつ住いや田畑が広がり、小さな村になった。捨てられた姥や駆け落ちした夫婦などが多く、村人同士は不仲であった。小さな盆地は夏の灼熱、雨の少なさ、冬の寒さに悩まされ、いつも米は少なく、悩ましく暮らしていた。

 あるとき、逃れてきた祈祷師が

「ここはよくない。少しでも実りが良くなるように」と山の奥深く、大きな桜の根本に小さな祠を建てた。

 それから、成人していない子どもたちが掃除をする習慣ができたという。


ーーー


 朝から親たちが喧嘩をしている。父親が体が悪いから野良仕事ができなくて食べ物が少ないだとか、母親の当たりがきついから体調が悪くなるだとか、言い合いをしているのだ。本当は日照り続きの里で、ご飯が腹いっぱい食べれないことがいけないのだと、誰もがわかっていた。

 ざわついた心で掃除道具を持って、祠へと向かった。雨の日以外は必ず掃除する約束になっている。

 乱れた心で山に入った者に、山は優しくない。木の根に足を取られて、膝をざっくりと切った。

 よろよろと歩きながら、化け桜と呼ばれる大きな桜のもとにたどり着く。祠は、その根本にあった。落ち葉を掃き清めるそばから、真っ赤に紅葉した化け桜の葉が、はらりはらりと風にあおられ落ちてくる。落ちてきた葉を手で取り除き、泥を落として、最後に水を供えて、手を合わせた。

 手を合わせると、押し込めていた色々な気持ちが溢れてきた。

 膝のけがが痛い、両親には喧嘩をしないでほしい、朝ごはんを食べそこねた、腹いっぱいご飯が食べたい…………。


「小さい体で、色々なことを悩んでいるのだな」

 ふわ、とやわらかな手で撫でられ、ビクリと顔を上げた。


 すらりと祠の裏からあらわれたのは、ふしぎな女だった。

 美しい透ける薄物の白い羽織、中にやわらかな紅い着物をまとっている。裾からはっとするほど白いふくよかな素足がのぞき、土と落ち葉を踏みしめていた。

「おや、怪我をしておるのか」

 女がすっと手をかざすと、じくじくとした熱と痛みが引いて、傷が塞がっていく。

 どうしてそんなことができる?どこからあらわれた?そもそもだれ?

 ふしぎと怖くはなかった。うわ言のように「だれ……」とだけつぶやくと

「こういうときはありがとうございます、でいいのだ」と女は尊大に言った。

「あ、ありがとうございます」

「うむ!」にっこりと白い歯をあらわにして女は笑った。目がきらきらと光を受けて輝くようで、美しいのに、なんだか空恐ろしくなって、見続けられなかった。

「か、かえらなきゃ」

「おう、転ばぬようにな」

 頷いて、転げるように山を降りた。



 その後、祠の掃き清めの折、女は出てこなかった。寒さの厳しい冬の間も欠かさずに祠の掃き清めをして、春になった。


 作付けの季節、春。まだ冷え込みが厳しく、父が倒れた。母は狂ったように粥を作り、無理やり父に食わせている。これは、本当は作付けに必要な種籾だと知っていた。

 数日後、父が回復すれば、母はまた父のことを責めるだろう。なんとしても種籾を得なければ、今年の米は育たない。父も母も自分も飢えて死ぬことになる。

 父の呼吸は荒く、父のそばを離れず、母と二人、固唾をのんでそばにいた。父は、最期に母の手をやわらかく握って息絶えた。父に縋り付いて泣く母を見ていられなくて、外に出た。

 今日の祠掃除をすっかり忘れていたと気づき、自然と足が向いた。

 

 化け桜は、冬の寒々しいおばけのような姿から一変して、美しい娘のように、堂々と咲き誇っている。地面もあたり一面花びらが散って桜色であった。

 祠についた花びらを掃き清め、泥を落とし、水を供えて、手を合わせる。

 父が亡くなってしまった。この先、母とどうすればいいのか。これから村中に頭を下げて回らなくては。どうか、どうか種籾が手に入りますように。なんでもするから…………。

 必死に手を合わせて祈っていると、ふわ、と華の薫りがした。

「また逢うたな、小僧」と鈴のような声が降ってきた。


 祠の後ろから、女があらわれた。

 

 ひゅ、と息をのんでいると

「なんだ、お前、大きくなったな」と知ったように声をかけてくる。忘れるはずはないのに、とっさに出た言葉は

「だれ……」だった。

「だれでも良いではないか。怪我を治してやったことを忘れたのか」

「そ、それは覚えているけど……」名前はなにか、どこから来たのか、聞きたいことはたくさんあった。が、閃光のような思いつきに全ては追いやられた。

「あなたは、怪我を治してくれた。ならば、死んだ人も戻せないですか。どうか、どうか、もとに戻してほしい人間がいるんです」必死で泥に手をついて、額をこすりつけるようにお願いをした。答えが何も聞こえない。

 顔をあげると、女はゆっくりと頭を横に振った。

「死んだものは戻らぬよ。その摂理だけは曲げられぬ」

 頬を生暖かい涙が滴り落ちていく。塩辛い味が鼻の奥にのぼってくる。死んだものは戻らない、という事実に、ただ、溢れてくる涙を噛み殺そうと唸ることしかできなかった。

「このままでは、この春にまく種籾もない。夏を前に、飢えて死んでしまうと思います」

「種籾があり、秋に稲穂が付けばよいのか」女は重々しく問うた。

「そうです」涙を噛み殺した汚い声で応えた。

「ならば、私をまけ。私を食せ」

 どういうことですか、というつぶやきは応えてもらえず、ただ言葉が続いた。

「ただし、与えた豊饒は、土地の中には収まりきらぬ。お前という器の中に、豊饒を閉じ込める。お前は永遠にも思える時間をその器の中で過ごすであろう。米によって生かされ、米のために生きるが良い。私は、お前が豊饒を使い果たし、土地に恩を返した頃に目覚めよう」

 さらさら、と女のふくよかな足元が細かな粒に変わっていく。まだかたちのある体に呆然と手を伸ばすと、女は面白そうに笑って、さらさらと消えていった。

 桜の花びらの敷き詰められた地面の上には、種籾がこんもりと落ちていた。いつも作付けに使うのと変わらぬ量の種籾だった。


ーーー


 旅人は、息を呑んで話を聞いていた。老人は遠い目で、月明かりに照らされる稲穂を眺めている。

 沈黙に耐えかねた旅人が口を開いた。

「それで、その後どうなったのです?」

 ふふふ、とこぼれ落ちるように好々爺は笑った。

「ごらんのとおりですよ。今、手にされているお茶すら米で入れるほど、私たちは豊かになりました」

「ということは、祠の女の種籾が豊かさをもたらしたと……」

 すっと老人は目を細めて、言った。

「ええ、作付けはたしかにうまく行きましたし、その年の米はよくとれました。しかしねえ、翌年、全くと言っていいほど、米はとれなかったのですよ」

「では……」

「前年の豊作に支えられてなんとか生き延びましたがね。祠の種籾はわずかに残っていたから、それをひと粒だけ混ぜて、他の水田にも作付けをするようになったんですわ」

「そうして、天候を読み、苗の伸びを測り、日照りの日数を数え、ひとつずつを日記につけ、気が遠くなるような回数それを繰り返して、少しでも豊作だった年の耕作を真似て、真似て、それを何十回と繰り返して、豊饒の村と呼ばれるに至りました。今では焼いた米で茶にして、酒米を隣村に卸して潤うほどに」老人の目は据わっていた。ちろちろと燃える部屋の行灯の明かりをうつして、瞳の奥が燃えるようであった。

「その、狂おしい努力は、どうしてできたのですか」

 ふふふと老人はまた笑って答えなかった。強く咳き込んだあと、ぽつりとこぼした。

「もう、米はやり尽くしたし、もう生きることにも、飽きました」

 頭を撫でてほしかっただけなのになぁ、というつぶやきは、旅人には届かなかった。

「今なんと……?」

「いいえ。そうそう、あのあと、化け桜は枯れてしまったのですよ。でもね、この間見に行ったら、切り株から小さな芽が芽吹き始めていたのですよ。

……そろそろ、私は体が冷えてきましたので、明日今度は旅人さんがお話聞かせてくださいな」

 ゆっくりおやすみください、と声をかけて老人は下がった。

 頭を垂れた黄金色の稲穂の波が、さわさわとやわらかな音を立てて、眠りを誘った。旅人は、老人の寝息と稲穂の囁きを聞きながら眠りに入った。

 翌朝、旅人が老人と話をすることは叶わなかった。

 老人は安らかな顔で息を引き取っていた。

 奇跡から、ちょうど百年目の秋のことであった。


豊饒の飽きであり、豊饒の秋。

豊饒への感謝と祠の掃除の風習がある限り、この土地は栄え続けることでしょう。

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