5.特命全権大使 鈴木
鈴木シーン。
「大丈夫です。今生の別れにはなりませんよ。」
後部座席に座る高校生に、私は声を掛ける。
予想以上にすんなりと、事は運んだ。
雑賀孫一は大人しく、次の私の言葉を待っている。
実際問題。
某国にとっては死活問題なのだ。
大統領反対派の大規模クーデターを抑えながら、その首謀者を潰していく日々。
現政府へ異議を唱え、急速に諸国の小民族を抱き込む次期大統領候補を中心に膨れ上がる勢力。
どこかの誰かがその毒殺に失敗したため、国は、周辺各国を巻き込み一触即発。
近隣国家が次期大統領候補を保護する動きまで出てきた。
優秀な諜報機関が暗躍するも、次期大統領の守りは堅く、最終ラインは来月に行われる街頭演説。
もちろん、そこで殺人沙汰など起これば、火に油どころではない。現政府への反発の炎に火薬を継ぎ足し、そのまま世界の1/3を焼き尽くすようなものだ。
神にもすがるその時、相手の不幸を願わずにはいられない時。
どんな些細な、不運な事故にさえ期待する、そんな時。
人は縋る。何にでも。
それが例え、おまじないだろうが、ジンクスだろうが。
だが、さて。
どこから話せばいいものだろうか。
果たして、彼は受け入れられることが出来るのだろうか。
学校推薦の海外留学。その為の入学前補修。
そのシナリオは問題ではない。
問題は、彼が特別である理由だ。
こればかりは偽りようもなく、彼の、その能力故。彼の持つジンクス故だ。
彼には、確実に人を「死」に至らしめる能力がある、ということを。
彼自身、その能力は、"ある程度親しい間柄"にしか発動しない、と思っている節がある。
死に至らない不幸の些事、文字通り他人事については、きっと彼自身は覚えていないことだろう。
だが実際、私達の観測結果はそうでないと教えている。
どんな間柄であれ、どんな関係性であれ、彼が名前を呼んだ人間は、不幸になる。
更に言えば、人間以外にもその力は及んでいる。
発生する不幸の大きさは、苗字だけだったり名前だけだったり、またその呼び声が聞こえたかどうかに違いがあるかどうかの程度だった。
もちろん、最大の不幸は「突然の死」、そのものなのだが。
自分の感情や気持ち、そういう物を全部無関係で、彼のジンクスは発動する。
他にも「不幸」や「死」に絡むジンクスは多々あり、彼のように遅延性があるものも少なくはない。
だが。
私達が知る中でも、それは最強クラスに分類される。
理由は一つ。
その発生に相手の行動や自身との関係性、一切が不要であるということだ。
素直に、数万と言う人間が犠牲になる戦争を防ぐためと言うならば、彼は協力してくれるだろう。
某国に留学生として赴き、次期大統領候補の彼の演説を見て、彼の名前を呼べば良いだけだ。
発音などは問題ない。彼が彼自身、相手の名前を呼んだという自覚さえあればいい。
だが、それは、彼自身に、自分が親友の死に少なからず関わっていると、その原因なのだと教えることになる。
「さて、雑賀君…―」
私は口火を切った。
「ここからは一切合切機密事項。私がこの車で来たのは説明を省くためでもあります。」
特命全権大使、その代理、と言っても所詮は代理。
だが、今回のミッションを伝えるまでは事情を知る代理でなければ務まらない。
「単刀直入に。ある人物と会ってもらいたいんです。そのあとどうするかは、君自身が決めてください。」
私は指定のホテル、その駐車場に車を停める。
そして、車を乗り換える。事前に用意してあった私達の、いわゆる信用できるスタッフ2名と合流する。
田中、佐藤。もちろん偽名。
田中と佐藤は予定通り、夫婦の役を演じてもらう。
黙ってはいるが、この二人、実はジンクス持ちだ。大した能力ではないが、二人揃った時は手に負えない。
好きな人と一緒にいると何故か周りに認知されない田中、浮気をしていることだけが何故か誰にも知られない佐藤、である。
浮気がばれない、というのは、自分たちが関わった周囲の情報を全て曖昧にしてしまうのだ。
細かいことは抜きにして、これは一緒に行動している者にも適応されるという、この上ない隠密能力に化ける。
そんな彼らが私たちに協力することで「浮気の大義名分」を持っている事実が、罪悪感を超えた関係を続ける言い訳であるという関係性。
但し…二人の関係が終わってしまえば、この無敵のジンクスも、意味をなさなくなるのは、言うまでもないのだが。
どこでも見る白のセダンに4人で乗り換え、程遠くないその場所、この地域で一般家庭が住んでいるような一階建ての民家へ入っていく。
私は雑賀君を連れて、奥の部屋へ進んだ。
嘘くさい論文や書籍に囲まれたその、一見書斎と思われるその部屋は、この日のために用意した訳ではなかったが、機密回線一本だけが通ったそこは、完全防音・外部電波も通さぬ密室だ。
デスクの上のノートパソコンがただ1台。鈍い光を放っていた。
「本当は二人だけで話したいとのことだったんですが、通訳が居りますからね。」
私はポケットから通信用の小型ヘッドセットを取り出すと、右耳に掛けた。
雑賀孫一は、相変わらず青白い顔をしたまま、促されるように椅子に座った。
「もし俺が断ったらどうなるんだ?」
微動だにせず、雑賀孫一は私に聞く。
「そうですね。それでも私は君に全てを教えますが、本当に何が起こるのか。それは会話をしてみれば分かると思いますよ。」
彼の顔を自動認証したパソコンは立ち上がり、予めのプログラムされた通信先を映した。
そこに映ったその顔に、雑賀孫一は流石に驚いたようだった。
それもそうだろう。
国際ニュースでしか見ることのない、新興連合国の代表・トロシュキン大統領、その人だ。
かの人は母国語で挨拶する。
ただでさえ発音が難しい言語に、私は同時通訳とまではいかないが、全てをそのまま雑賀孫一に伝えた。
北欧の獣、ツンドラの大虎の異名を持つトロシュキン大統領が、一介の高校生に真剣なまなざしを向け、その事情を語り出したことを。
某国は少数民族から成り立つ多民族国家でようやく統一の波に乗り始めたところであること。
一触即発のこの状況に、武力介入をしたくないこと。
反対派の首謀者は、ルドルフ・アンドレア・ペトロフスキー次期大統領候補その人であること。
新たなバイオテロを企んでいること。近隣の社会主義国家と一斉蜂起が計画されていること。
全てを、その国に起きているその全てを、大統領自らが話した。
そしてこのことは、ここにいる3人だけの秘密である、ということ。
大統領の説明に合わせ、私は資料を並べた。
推定死亡率とその人数。
バイオテロの拡散速度と犠牲者予想、そして、その収束がいつになるのか、を。
―決して君の名前はわが国民に知られることはない。
だが、君がこの北欧世界を救ってくれたヒーローだということは私が忘れはしないだろう。
第三次世界大戦の引き金にもなりかねないこの状況を救ってくれた、ヒーローだということを。
これ以上、大切な国民をしいては罪なき人々の犠牲を私は望まない。
「あの、一つ聞いていいか…。」
雑賀孫一は聞いた。その、ルドルフ・アンドレア・ペトロフスキー大統領候補に家族はいるのか、と。
トロシュキン大統領は一拍置いて答える。
いる、と。
そして自分の名の下に保護すると宣言した。
トロシュキン大統領は、付け加えた。
―もし今ここで決断が出ないのなら、この話は忘れてくれたまえ。
雑賀孫一はこの突飛な事情を、何故か理解しているようだった。
誰も彼に「何かをして欲しい」などとは告げて居ないにも関わらず。
それこそ画面の向こう、海の向こうの、無関係な世界の出来事を。
しばらく彼は俯いて考えていた。
顔色は青ざめ、手は震えていた。
そう、これは世界平和のための一手ではあるが、同時に、雑賀孫一をある種の「暗殺者」に仕立てようとしている大人の都合。
そしてそれは過去、彼が「殺した」と思われる二人の死に、少なからず彼が関わっていることを確定させる意味をも同時に担っていた。
しばらくの沈黙の後、雑賀孫一は言った。
身体をこわばらせ、小刻みに震えながら。
「やります、俺。」
そう言った。
通訳せずとも伝わったろうその言葉を改めて大統領に伝えると、トロシュキン大統領は、恐らくその為だけに練習したろう言葉を、深々と頭を下げて丁寧な発音の日本語で告げた。
「不甲斐なイ、わたシのためニ、本当ニ申し訳ナイ、ありがとう、雑賀孫一クん。」
雑賀孫一は驚くようにその姿をしばらく眺めていた。
全ての時が止まったような光景だった。
そしてゆっくりと顔を上げた大統領の顔には、うっすらと涙が流れた跡があった。
―一国の主ともなると流石に芝居はお得意なようですね。
と、意地悪く思っては見たが、実際問題、それが芝居かどうかは定かではない。
後のことは私の指示でと言うお決まりの文句で、通信はそれで終わるはずだった。
だが、かの北欧の獣、ツンドラの大虎は、雑賀孫一を見据えて、その眼を見てこう発言した。
「私ガ、約束を守る男だと、信ジて欲しイ。私の名前ハ、アレクセイエフ・アレクセイ・バルバロッサ・トロシュキン。君とイうヒーローに、掛けタ男の名前ダ。」
「なっ、トロシュキン大統領…」
流石の私もこれには面食らった。
トロシュキン大統領はその複雑な生い立ちのためミドルネームが2つある。国を統一以前、流民であったがためにそれぞれの地域の宗教からミドルネームを与えられたためだ。
大統領が元流民であったことなど、当然メディアに伏せられているが、2つの宗教から祝福されていると言う情報は公開されていた。だが、実は、それは「真名」ではない。
大統領に与えられた名前というのは、それぞれの司祭たちが記録に残し、それこそそのまま墓にまでもって行く名前で、家族でさえそれを知らないのだ。
トロシュキン大統領が告げたその名前は、メディアに公開されているものとは明らかに異なった、まさにそれだ。
その真の名前を知ってしまったことが世間に知れたなら、雑賀君はもちろんだが、私の未来も亡きものに出来る可能性がることは間違いなかった。いや、この場合は、雑賀君がその名前を呼べば良いだけなのだろうが…どちらにせよ、上手く繋ぎ留められてしまったものだ。
―それだけ本気と言う事を示したのでしょうけど、こちらの命の危険度も跳ね上がりましたね…。
私は苦笑いを悟られないように、通信を切る。
雑賀孫一には、覚えるべき名前は「ルドルフ・アンドレア・ペトロフスキー」であると念を押した。
流石の私も、焦りを隠さずにはいられなかった。
「どうせあんたの鈴木って名前は偽物だろうから、遠慮なく呼ばせてもらうけどよ…」
雑賀孫一は振り向きもせずに言う。
「鈴木さん。俺は、どうしたらいいんだ。」
彼の言う「どう」は今後のことはもちろん、ここまでのことも含んでいたのだろう。
一蓮托生となった私の命の手綱も、一部、彼に握られているのは嘘ではない。
「学校の留学プログラムということで、週末からあちらに飛んでもらいます。市内観光・学校訪問などあらかた過ごした後、件の大統領候補のパレードに参加します。と言っても、特等席は既に抑えてありますから、そこから眺めるだけです。そして、彼の名前を呼ぶ。後は帰国するだけです。」
「これからのことは分かった。だから、今、ここで教えてくれ。何なんだ、ジンクスって。何なんだよ、俺のジンクスって!」
ここからの説明は、避けることが出来ない。
今ここから、彼が改めて生きて行こうとするのであれば。
いきなり知らない奴に拉致られても「さん」付けしてしまう孫一でした。