4.私立縁ヶ淵高等学校 1年A組 磐城円
続きです。
ここ数日観察して分かったことだが、磐城円は天然だ。
そして石頭だ。
更に言えば、この辺の地主の娘だ。
学校の土地を誘致したとかしないとか、とにかく、地元の名家らしい。
そう言う事もあってか、磐城円を知る人は多かった。
クラスが始まり、その1年A組の生徒のほとんどが集まったその日。
磐城円は本当に朝から全員に自己紹介をして周っていた。
まるで大人顔負けのロビー活動とでも言わんばかりに、それこそクラスの全員に声を掛けていた。
だが、そんな磐城円も、見た目不良・初見番長の雑賀孫一には、流石に声が掛けづらかったと後に語っていた。
「いや、だって、雑賀君、強そうだったから!」
問題はそこじゃないと思う。
「でも、雑賀君さ。売店にちゃんと並んで順番待ちしてたところ偶然見ちゃってさ。」
「う、うん?」
「パンもコーヒー牛乳も2つずつ買ってたんだ。身体が大きいし、筋肉も付いてそうだったから、てっきりお腹が空くのかなと思って見てたんだ。」
初日のことだな、と僕はあの時の孫一を思い出した。
しかしブレザーの制服越しに筋肉の付き具合なんか分かるものなのだろうか。
「しかもしかも、あの売店で1,2を争う人気のカツサンドを颯爽と選んだ時は、ホント驚いたよね。知ってるな!って。」
そんなに有名だったんだ、あのカツサンド。
「でね、パンとコーヒー牛乳を1セットずつね、別々の袋に入れてもらってたの。うん。登校初日に二人分のパンを買うってことは、つまり、もう友達が出来たのか、もう友達が居たってことだよね。そう思ったら、強くても話し掛けて平気かなって思ったんだ。」
ところどころニュアンスが不安だが、磐城円が言いたかったことは何となく分かった。
恐らく、不良というか何と言うか堅気ではないと思ってた男が、これまた分かりやすく言えば、捨て猫を拾った瞬間に立ち会ってしまった時の気持ちを味わったのだろう。
僕だって、正直、今の孫一のビジュアルは時々怖い。
「それが太槻君だったんだね!いろいろスッキリしたよ。」
磐城円は笑った。
バリアフリーと言うか、この子には他人との境界線がない。いや、境界線を見えないように隠しているだけなのかもしれないが、パーソナルスペースが狭いような印象を受ける。
実際、誰とでも気さくに話し、誰からも頼られる、元気な学級委員長と言う存在だ。
最近はこういう女子は嫌われる方向にあるらしいが、1年A組では男女共にファンも多く、その副作用というか正しい作用なのか、いじめのような空気はあまり漂う事はなかった。
更に言えば、見た目からして切れたら面倒そうな初見番長が、実はギャップ萌えの王子様と言う事もあり、誰からも好かれるちょいズレプリンセスと何かズレてるスマイルプリンスのお陰で、クラスでの揉め事という揉め事は二人の王族配下では特に発生することがなかったのだ。
僕から言わせてもらえば、多分、この二人は絶対に怒らせては行けないタイプだろう。
物理的な意味で。
そしてそんな彼女の隣の席で、その孫一と仲の良い僕は、何故か悪目立ちしてしまい。
彼女と共に学級委員というものをやらされることになり、放課後の今に至る。
勿論、孫一にも指名は上がったが、「俺は皆の王子様にはなれないからな☆」という謎の言葉を放ち、帰った。
ホームルーム中に堂々と帰ったのだった、アイツは。
「でも、下校中にサングラス掛けてたのは、驚いたよね!」
孫一さん、学校帰りにもサングラス付けてたの!?
「まぁ、ブレザーにサングラスは、似合わないよね…。」
「うん?あ、うんと、その、眩しいの苦手なのかって思ったんだ。」
磐城さん、正しいサングラスの使い方をご存知だったんですね、と、僕は心の中で突っ込みを入れた。
そんな他愛もない会話を繰り返し、僕たちはいわゆる学級委員の仕事という、オンライン時に使う課題冊子を束ねていた。
黙々と作業をすることは、僕はそれほど苦手ではなかったのだが、磐城円のそのキャラクターのお陰で、退屈に思う事はなかった。
ただ、そんな僕も、一つだけ気になることがあった。
磐城円は、誰とでも仲良くするけれど、特に仲の良い友達は、一人も居ないように思えたのだ。と言うか、仲の良い固定メンバー、集まりを、集団を作りたがらないように見えた。
バリアフリーと見せかけて、実際は相手とのプライベートな距離を異常なまでに取る。
誰とでも仲は良くするけれども、自分から相手に踏み込まないように、決してそのギリギリのラインには踏み込まない。
浅い会話。浅い感想。
自分のことは何でも話すのに、僕と孫一が友達だったという事実には全く触れてこない。
それが何時からだったのか、二人がどんな関係だったのかなどには触れない。実際、興味がないだけなのかもしれなかったが。
そんなところのギャップが僕には余計に不自然に感じられた。積極的に話し掛けては来るが、肝心なところには無関心。
だが、相手の話は真剣に聴いているようだし、クラスの女子からの悩み相談も受けていた気がする。
磐城円は、意図的に、深い関係を裂けているのかもしれない。上辺だけを繕って、無難な位置に自分を置こうとしているようだった。
「磐城さんは、部活とかやってないの?」
プリント冊子を座席に揃い終えた僕は、そんな質問を彼女に投げかけてみた。社交辞令的な奴だ。
「うん、いろいろ考えたんだけどね。いろいろ面倒になっちゃって!今はウチで薙刀振ってるんだ。」
「そうなん…え、何?」
「ウチで薙刀振ってるよ!」
薙刀って、家で振れるもんなんだね。どれだけ豪邸なんだ、磐城家。
何となく分かってはいたけど、実際に地元地主のお嬢様であることには違いなかった。
「あと、太槻君。約束したよ?円でいいってば。」
「あ、うん、ごめん。」
彼女が発した、いろいろ面倒だとか、約束だとかいう言葉に僕は触れたくなかった。
きっとそれは、他人の僕が聞いてもただただ相手に踏み込むだけの情報にしかならないだろう。
彼女をどうこう言っているが、実は僕も同じなのだ。
深入りを、避けたかった。
そして磐城円も、それ以上僕を追及しようとはしなかった。
仕事を終えた僕たちは、それぞれ何となく帰り支度を始めた。
このまま最後の一言を言えば、今日の一日はそれで終わりの筈だった。
「じゃぁ、僕はこれで…」
「太槻君、途中まで一緒に帰らない?」
突然の申し出に、僕の挙動は一瞬止まってしまったが、ふと我に返る。
「うん。磐城さん家は学校の、西側の坂の上だっけ。」
「確かにウチは坂の上だけど…何でそんなことまで知ってるの!?太槻君もしかして天才??」
「いや…だってここから見えるの…もしかして磐城さん家じゃない?」
4階の教室の窓から外を見れば、眩しい西日のその向こう広がる竹林に囲まれた日本邸宅。
噂に聞く磐城家は、恐らくあれだろうとは思っていたのだが。
「わぁー!ホントだ!知らなかったよ…何だか恥ずかしいなぁ…。」
磐城円は照れ臭そうに笑っていた。
そしてあの坂の手前が、僕らの帰路の分岐点だ。
「ところであの坂、きつくない?」
「うん?」
「いや、毎日登校するのに昇り降りがさ。割と急だよね。」
「そうだね。自転車とかだと逆にキツイかもしれないよね。ただ、修行になるよ!」
孫一のようなことを言う。
「磐城さんはその修行の先に何をしようとしているの?」
「うん?」
思い切り小首をかしげる磐城円。
「ああ、ごめん。その、何のために修行してるのかなって。」
「ああ!そうか!特に何もないんだけど、その、いいよね、修行って響き!」
孫一のようなことを言った。
いや、ただアイツは、王子様ではなくてヒーローになりたいために修行を、孫一の言葉を借りれば勤行を積み重ねているのだ。
修行と言う言葉は、昨今の高校生たる僕らにとってそんなにも普通の言葉なんだろうか、と、僕は思いにふけった。
「太槻君もしてるの?修行。」
「え?ていうか、皆してるものなの、修行って。」
「違うの?」
違うんですか!?
「兄様も毎日修行なさってるし、私なんか足元にも及ばないけどね。」
磐城円には非常に優秀な兄様がいらっしゃるらしい。
曰く、何でもできる完璧超人らしいのだが。
僕たちは二人、クラスを出て、階段を降り、下駄箱から昇降口、そして校門へと歩く。
ふと見上げた空は少し色めいて、夏の長い日の終わりの始まりを、濃紺の天井で覆っていく。
「あ、雑賀君!」
その声の先、校門に立つ男が一人。
はい、あのシルエットはその雑賀君で確定です。
そこには初見番長ギャップ萌え王子が、校門に寄り掛かるよう後ろ手にして立っていた。
「何でここにいるんだよ、孫一。」
第二ボタンまで外した柄シャツにサングラス。
サングラスは、本当にやめておけ。何もかもを通り越して、ただひたすらに恰好悪い。
そして怖い。
「フフッ。お迎えに参上つかまつりましたぞ、お坊ちゃま。そしてお姫様☆」
すると孫一は、両手に持った紙袋を僕たちに押し付けて来た。
「わ!肉まんだ!!」
磐城円はそう叫ぶと紙袋を高々と空に掲げた。
「すごいね、雑賀君!この夏にもう片付けられちゃう立場の熱々の肉まんを見つけられるなんて!もはやこれは才能だよ!」
紙袋越しにそれが肉まんだと分かった磐城円の嗅覚もなかなかのものだと思う。
「だろだろ??あの角のコンビニの店長がさ、夏こそ肉だって気合入れてたのよ。それも1日限定6個!」
「すごい!6個のうちの3個がここにあるんだね!」
校内ギリギリのラインで肉まんに燃える二人。
いや、僕から言わせると、何と言うか、買い食いはせめて校門の外に出てからの話にして欲しかった。
自分で言うのも何だが、僕はあまり、校則とかそういう日常の決まり事からはみ出すことに慣れて居ない。
それが常識なら、それを守っているだけで逆にそれに守られるものもある、と思ってはいるのだ。
しかし、初夏の肉まんは、熱い。
「いや、6個のうちの6個がここにある!!」
ブレザーの内側から紙袋を取り出す孫一。
いくら初夏とは言え、ブレザーの中に熱々の肉まんを隠すとか、どれだけなのだ。
確かに笑いには全力を尽くす男だった気がするが、こんな奴だっただろうか。
僕の記憶も益々怪しいものになっていた。
「すごい!!制覇だね、雑賀君。肉まんパーフェクトだよ!」
「おう!さ、熱いうちに食べるがいいぞ!」
「ああああ!ありがとう!ゴメンね、肉まんの熱さと雑賀君の熱さでお礼を言うのを忘れてたよ。ありがとう!」
「イイってことよ。これも勤行、勤行!」
完全に二人のテンションに置いて行かれた僕が居た。
「つまり孫一、お前はこの肉まんを買うためだけに一人先に帰ったのか…?」
僕の質問に、飛び切りの王子様スマイルで答える孫一。
いいよ、そういうサービスは。
三人になった僕たちは、肉まんを頬張りながら帰り道を歩き始めた。
「ゴンギョウって何のことなの?」
「勤行、これすなわち、修行なり。今の俺は一日一善って感じだけどね。」
「そっか。やっぱり雑賀君も修行してるんだね!」
二人のやり取りを傍らに聞きつつ、僕は肉まんに噛り付いた。
孫一のミステリアスという適当な言葉でごまかした前髪。あれは、そうだ、人を見ないためだ。
名前を呼ぶことが怖くて、人と付き合うのが怖くて、でも避けることができないから、無視することが出来ないから、手を差し伸べずには居られないから。自分を隠すために伸ばした前髪。確か、そんなことだった気がする。
そして孫一もいつしか、深入りしないように他人と一線を引くようになった。
実際、相手の名前を呼ばないよう、自分なりのルールを作り、ひたすらにそれを守っていたのだろう。
そして磐城円。
相手に踏み込まず、それでいて当たり障りのない会話を繰り出す。
この二人のやり取りは、一見とても仲が良いように見えて、それでいて相手に踏み込まないように必死で軽い言葉で互いの壁を触るように確認し、その距離を作っているように僕には見えてしまっていた。
そしてこの会話を見守る僕もまた、深い関係を割けていることを悟られないように、笑顔を作っていた。
「じゃぁ、太槻君、雑賀君、またね!」
例の急な坂との分岐点。
磐城円はぴょんと前に飛び出て僕たちに手を振る。
「あぁ、また明日。」
「おう!また明日な!」
僕たちの返事にまた小首をかしげて笑う磐城円。
「タツキ君、サイカ君、またね?」
そして踵を返すように、急な坂道を小走りで駆け上がって行く。
脚力あり過ぎでしょう、磐城さん。
そんな彼女の背中はあっという間に見えなくなっていった。
「じゃ、僕たちも帰るか…。」
と孫一に声を掛けようとした刹那。
孫一は僕をかばう様に道をふさいだ。
「おい、何の用だよ。」
そこには黒づくめの男が立っていた。
「初めまして、雑賀孫一君。今日は君に用事があってお待ちしていた次第です。」
黒いシングルボタンのスーツに生地パターンを変えた同じく黒のベストにグレーのシャツ、濃いエンジ色のネクタイ。
黒の皮手袋まで付けたダークトーンの出で立ちに、完全に右目が見えない程の前髪を垂らした日本人離れした雰囲気を持つ男が立っていた。
日常に居ないタイプの人間。異常性。背筋が寒くなるほどの逸脱した存在感。
これは恐らく、僕たちが普通の生活を送るために絶対に避けなきゃいけない要素だ。
「私のことは鈴木と呼んでください。」
男は右手を胸に置き、軽く頭を下げる。
「何用なんだよ。」
「いや、そう身構えないでください。私はこの通り一人ですよ。健康な男子二人相手など出来ない、か弱い男です。」
うっすらとその男は笑みを浮かべた。
「嘘だな。あんた、俺たち程度なら5,6人束に掛かっても平気だろ。」
「おや。私はそんなに強そうに見えますか?」
孫一が気を引いている間に、僕はそっとスマホを取り出し、予め登録してある緊急連絡先のボタンを押そうとしていた。
「どうぞ、押してください。津和野さん。いや、今は坂月でしたか。」
「なっ…!」
その男の言葉に僕は固まった。
孫一は少し身体を屈め、何かに備えるように体制を変えた。
「何で」
「知っていますとも。いろいろ調べましたから。」
男は胸ポケットから1枚の写真を少し見えるように取り出した。
「うっ…あ…ぁっ…!」
孫一が崩れるように脱力する。
一瞬のことで、孫一の陰に居た僕はその写真を見ることが出来なかった。
「孫一、大丈夫か!」
そうして覗いた孫一の顔は青ざめ、冷や汗をかいているようだった。
支えようとしたが、全てを拒否するかのような気配を放つ孫一に、僕は手を出せずにいた。
「知りたいでしょう。本当のこと。」
男は続ける。
まるで死人でも見たかのような孫一の顔。だからこそ僕もその写真の内容に察しがついた。
そう、恐らくその写真は、孫一に関係がある人物が間違いなく写っていたのだろう。
僕と、雑賀孫一、そして小鹿戸悟君の三人か、もしくは、女王とそのプリンスか。
「さぁ、雑賀君どうぞ。お車の用意が出来ております。」
鈴木と名乗った男は、影に止めてあったろう車へ向かいその後ろのドアを開ける。
「孫一、待て!」
僕は慌てて孫一の腕を掴んだ。
一瞬、孫一は留まり、そのまま僕の顔をみた。
前髪でほとんど隠れたその両目をしっかりと僕に向けてそう言った。
「ゴメン、ツッキー。俺は、知りたいんだ。」
僕にしか聞こえないようなか細い声で答えると、僕が掴んだ腕をゆっくりと持ち上げ、そのまま振り切った。
男の方へゆっくりと見えない力に引っ張られるような足取りで、孫一は歩いて行った。
呆然と、僕はただそれを見守るしかなかった。
「大丈夫。貴方も部外者ではないですよ、坂月君。」
「えっ。」
「私たちは初対面ではありません。それを想い出すことが出来たら、貴方が知りたがっていた答えをお伝えします。」
「どういう意味なんですかそれは…」
「そのまんまです。安心してください。雑賀君はちゃんと明日の登校には間に合うようお返ししますので。」
僕は混乱する頭の中、今のこの一瞬の最適解を探した。
孫一が帰って来る保証など、ないのだ。
「警察へ連絡しても無駄です。むしろ、そう、万が一のことがあれば、連絡してください。」
「連絡…?」
男は孫一が乗った車のドアを閉めると、自らもその運転席へ乗り込んだ。
そのままエンジンがかかり、車は動き出す。
目の前を通り過ぎる瞬間、濃いスモークの窓ガラスの向こうの孫一と目が遭った気がした。
「孫一…!」
自分が出来る最低限のことは、この車の情報を抑えること、それしかないように思えた僕は、慌ててスマホでその車の後ろ姿を撮影する。
大きな黒塗りの、まるで要人用のその車は確かに僕にも見覚えがあったが、車に詳しい訳でもない僕にはそれ以上のことは分からなかった。
だが、スマホの写真を改めて見て、男が何を言いたかったのかは分かった。
青字のプレートに白いナンバー、そして「外」の文字。
あれは、いずれかの在日大使館所有の車だ。
しかもただの大使の車、という訳ではない。専用車のみがあの青いプレートを付けられる、特命全権大使。
胡散臭いにも程があった。
全てが偽物で嘘なんじゃないか?僕はまた友達を失ったんじゃないのか?また?何度目の、またなのか。
何よりあの男と僕が初対面じゃないという言葉。
堂々巡りする情景と混乱する記憶の中、ズキズキと痛み始めた頭を抱え、僕は日没の中、しばらくその場に立ち尽くしていた。
仕方なく、歩みを始めたその時、スマホから「うきたん」アイコンのアプリがメッセージの到着を告げた。
孫一から、たった一言。
―また明日学校でな!
僕はその言葉を信じるしかなかった。
実際、突然事件に巻き込まれたら身動き取れないですよね。