3.私立縁ヶ淵高等学校 1年A組 雑賀孫一
学校二日目、それはオンライン授業だった。
昼は、仕事が忙しい中に、珍しく母が作り置いてくれた弁当を食べ、ゆっくりと自分の時間を過ごした。
今週は明日もオンラインの授業らしい。
未だ顔と名前を覚えられない担任の教師がそう告げていたのは理解できた。
多めの課題を片付ける理由もあり、早目にオンライン授業が終わった15時45分。
スマホにコンタクトの通知が飛んできた。
学校指定かつ学校オリジナルのコミュニケーションアプリは学校内の生徒と教師のみが登録・利用できるとても閉ざされたツールだった。
アプリ名は学校名そのものなのだが、何故かいたるところに鳥が巫女服を着た、いわゆる、ゆるい感じのキャラクターが配置されていた。キャラクターの名前は「うきたん」だったが、これは校長先生をモチーフにしたものらしいと、生徒の中では実しやかに囁かれていた。しかし、ぽっちゃりした猛禽類キャラクターの需要ってどれほどあるのだろうか。
もちろん、アプリのアイコンもこの謎のキャラクター「うきたん」である。
コンタクトを確認すると、通知の相手は、予想通り1年A組、雑賀孫一だった。
―この後、時間あるか?
と。
今朝の夢の件もあり、孫一のことが何かと気になっていた僕は「もちろん」と返した。
どうやら僕たちが今住んでいる場所は、それほど学校からも遠いところではなく、そこそこ近所であることが分かった。
待ち合わせ場所を近くの河川敷に決めて、僕たちはそこで会う事にしたのだった。
学校へ通うには少し派手なロードバイクだったが、父が最後に僕に残してくれたその自転車にまたがり、僕は河川敷を目指してペダルを漕いだ。
河が見えてくる頃には既に孫一と思しき影がそこにはあり、まだ夕焼けには遠い5月の日差しを受ける水面の、その反射を受け、そこに立つ人を眩しく照らす。だが、学校のブレザーと着崩した柄シャツ、緩めになったネクタイ、意味不明なサングラスが全てを台無しにした。
僕は二度目だが、やはり、他人からしたらどう見ても初見番長に違いなかった。
「おう、ツッキー!」
ギリギリ側まで近付いた僕にようやく気付いた孫一は、そう言った。
サングラスが既に冗談じみているからこそ、そのアンバランスさが逆にキャラクターの冗談染みた雰囲気を消してしまっているのかもしれない、と、僕はそう思い直した。
「何なの、そのサングラス。」
きっと突っ込んで欲しいのかもしれない。
僕との話題を切り出すために、この根っから王子様は、サービス精神旺盛なこの男は、敢えてそうしていたのかもしれない。
敢えて、そう、敢えて僕は孫一に聞いた。
「あぁ、眩しかったからさ。」
素だった。
「孫一、とりあえずそれは、見た目怖いから外した方が良いと思う。」
素で返した。
「ああ、そうか!」
孫一は素直にサングラスを外し、水面の眩しさに目を細めた。
王子様時代に持て囃されていたパッチリ開いていた大きな目は、前髪に隠された年月が長かったからか、しっかり細く切れ長の釣り目になっていた。
実際はそこまで変わっていないのだろうが、僕の記憶をまさぐるに、そういう印象が強かった。
こうしてみると、孫一という男は、期待を裏切らず、見た目だけはいい男に育ったのだろう。
ちゃんとすれば、それこそ王子様なのだろうが。
僕は自転車を止めると、河原に座った。
孫一も横に座る。
「話って何?」
僕の質問に孫一は答える。
「ツッキー、俺とお前とのこと、どこまで思い出した?」
その言い方に僕は少し引っ掛かるものがあったが、素直に答えた。
「実はあまり思い出せてない。漠然と仲が良かったこと、お前が小学校の途中でいきなりいなくなったことくらいだよ。正直、ノリのままでこんな会話になってるけど、こういう話し方をしていたのかさえ、実際のところ僕は曖昧なんだ。」
「そうか。」
「孫一は、違和感とかないのか?その、今の僕との会話とか。」
「ま、正直あるよ。相変わらず小難しい単語を使うなとか、初対面の奴にはにこやかに壁作ったりとか、爽やかに他人行儀だったりとかさ。」
「…僕ってそんな感じなんだ…。」
孫一の感想は的を射て居たが、その辺がバレバレな辺り、コイツは間違いなく僕の過去を知るその男なんだろうという実感が少し沸いてきた。
「俺の記憶の中のツッキーは、同じだけどな!」
そうやって、無駄に素敵な王子様スマイルを僕に向ける。
孫一は飾らない笑顔にこそ魅力があるのだ、と、そう言えば昔どこかの女子が力説していた気がする。
「そう言えば…今朝、孫一の夢を見たよ。」
「…そうか。」
あの夢に何の意味があったのかは分からないが、世間話の一つとして、キャッチボールを試みた。
孫一は、光反射する水面に顔を向け、細い目を更に細くして遠くを見つめていた。
「ツッキー。里奈ちゃん、覚えてるか?」
孫一が不意に放った言葉に、僕の記憶がざわついた。水に投げた石の、その波紋のように、それは僕の脳の中を揺るがした。
水面を吹く風の音、その風にそよぐ草の擦れ合う音、鳥のさえずり、全てがそれしか存在しないようにクリアに、だけど静かに響き渡る。
それでも僕に聞こえてきたのは、自分の心臓の音だけのような、そんな時間。
ゆっくりと、ゆっくりと、その名前に纏わる自分の記憶のピースが頭の中に落ちているのが見つかり、一つずつ一つずつ、それが繋がって行った。
「あぁ……思い出した…。」
白浜が丘幼稚園のキラキラ王子と同様に人気を博していた、幼稚園のアイドル・お姫様、そして女王様。瓦ヶ浜里奈。
孫一と里奈ちゃんは、何だかんだで張り合うライバルだった。大人からしたらその風景はとても微笑ましく、面白い見世物だったらしく、何かと話題になる二人の写真は良くも悪くも多く撮られていたようだった。
確か当時担当だった浜田先生も、祖父祖母に自分の生徒を自慢するためにその写真をスマホに保存しており、当時の園長先生に怒られた程だ。
そしてある日、里奈ちゃんは僕たちの目の前から消える。幼稚園から消える。それも突然に。
おそらく僕たちが初めて「お葬式」と呼ばれるものに参列したのは、その頃だったように思える。
遠い想い出を、頭の中から掘り出すように探る僕に、孫一は矢継ぎ早に続けた。
「小鹿戸悟のことは、覚えてるか?」
忘れていた。
孫一がその名前を言うまで、僕はその人物を忘れていた。
忘れるはずのないその名前を、僕は忘れて居た。
小鹿戸悟。
そう、小学校だ。同じクラスで、僕たちは仲が良かった。そう、それまでは僕と孫一の二人組だったが、小学校に上がってすぐ、悟君と友達になった。
どこに行くでも三人一緒で、大人には言えない秘密を持ち、小学生の男の子にありがちな事は全て三人でやってきた。
夏休みに入った直後。
僕たち仲良し三人組は、酷い言い争いをした。喧嘩をした。二度とこの友情は戻らないんじゃないかと言う程に、本音を言い合い、傷つけ傷付いた。
だが、もうそれは本当につまらないキッカケで、僕たち三人が好きだったゲームの続編が発売されたとか、憧れの先生が結婚して転勤するとか、家族が気を利かせて連れて行ってくれたテーマパークで走り回った結果、仲直りをしたはずだ。
そう、仲直りをしたから、夏休みも中盤を迎えるころには、むしろ僕たちの友情は、そう言うと恥ずかしさが込み上げてくるが、より強固なものになっていたと思う。
だが、そう、また突然に、その日は終わる。二度目の参列だ。
黒い服を着て、黒い靴を履いて、僕たちは動かない悟君の写真の前に並んだのだ。
「…何で…」
何で僕はこのことを忘れて居たのだろうか。孫一を見たら思い出しそうなことなのに。
僕はショックのあまり、彼らのことを忘れてしまっていたのだろうか。
忘れようとして、忘れて居たのだろうか。
「ゴメンな、ツッキー。辛い事想い出させて。ただ、この二人のこと、これから話す俺の話に、大事な事なんだ。」
二人の共通点は一つ。僕たちの知り合いであること。
まさか、彼らの死因に孫一が関わってるとでも、今更それに関わってるとでも言うのだろうか。
「俺が殺したんだ。」
孫一は、言った。
自分の両膝に顔を埋めて泣き、激しい嗚咽を必死で抑えながら。
「どういうことだよ…」
混乱するその情景の中で、僕は思い出す。僕は冷静に思い出す。あの日々を再び思い出す。
里奈ちゃんは事故死だ。確か交通事故で、不運な出来事だったと聞く。
そして悟君は、当時理解することが出来なかったが、そうだ、自殺だ。夏休みの家族旅行、何故か真夜中の海に彼は一人進んで行った。誘拐説や事件に巻き込まれた可能性など様々なことが疑われてニュースにもなったが、結局、現場の証拠は全て悟君が自ら海に入ったという事実しか浮き彫りにしなかったのだ。
そう、その後。気付けば孫一は僕の前から姿を消していたのだ。
嗚咽混じりの泣き声が、川のせせらぎと混ざり合い、僕の世界の音は不思議なノイズで覆われていた。
そのノイズの中、孫一は再び話出した。
―ジンクス、って知ってるか?
と。
孫一曰く。
孫一があることをすると、必ずその相手が不幸になるのだという。
それはもう所謂「ジンクス」なのだと。
「ジンクス」は、いわゆる、縁起の悪い言い伝えだったり、験を担ぐためのルーティーンだったりするのだが、この場合は「玄関を左足から出ると良い事が起きる」とか「黒猫に横切られると不幸になる」とか「靴紐(下駄の鼻緒)が切れると不幸になる」とかいう、科学的根拠のない言い伝えであり、何かしらの縁起に関わるそういう意味合いらしい。そして本来、ジンクスとは縁起が悪い事を指すものらしいのだ。
そして孫一は、自身にその「ジンクス」が宿っているのだと言う。
整理が付かない頭の中、孫一の打ち明け話を聞く僕は、そもそもを信じかねて居た。
果たしてそんなことがあるのだろうか、と。
例えば「猫が顔を洗うと雨が降る」や「ツバメが低く飛ぶと雨」のようなジンクスは、湿度上昇に伴う自然な現象だったりと、割と科学的な根拠があったりするものだ。だが、「てるてる坊主を逆さに吊るすと雨が降る」のような、関連性を見出すことが出来ない事象こそがジンクスであり、不幸を呼ぶのだという話は、自分の中でも得心のない物だった。
「それで、孫一。そのお前の、その、ジンクスが作用したと思われる行動って何なんだ?」
僕は聞いた。
「ツッキーは、知っているんだ。俺に聞かなくても。」
孫一は言う。顔を伏せたまま、静かに。
僕は覚えているはずだ、と。この告白は、二度目なのだ、と。
今朝見た夢がフラッシュバックして脳裏に焼き付く。目の裏に焼き付く。
現実と夢の境目のような奇妙な感覚が僕を襲う。
そうだ、思い出した。
僕は覚えていた。やはり僕はどこかで覚えていたのだ。
雑賀孫一というかつての友だちを。
孫一が何故こんなキャラクターなのか。
孫一は何故こんなことをしているのか。
「名前…。」
「ああ…俺は……俺は、人の名前を呼べないんだ…。」
今朝の夢だ。孫一が泣いていた。
白浜が丘幼稚園のキラキラ王子様が、ぐちゃぐちゃになって泣いていた。
「ボクのせい…ボクがわるいんダ…ボクのせいでリナちゃんが死んじゃったんだ…」
孫一は、そう言っていた。
雑賀孫一が相手の名前を呼ぶと、相手は不幸になる。
どんな小さい不幸でも、必ずその相手に降り注ぐ。
瓦ヶ浜里奈。
幼稚園のそのある日、女王・里奈は孫一に決闘を挑んだ。
砂場での宝探し決戦。そして孫一は敗れた。
その時、女王は高らかに告げたのだ。
「さぁ、マゴちゃん!私に告白しなさい!」と。それは本当に、当時流行っていたアニメのワンシーンのようだった。
悔し涙にまみれた孫一は、鼻水と涙と、砂でぐしゃぐしゃに汚れた顔で叫んだのだ。
「かっ、瓦ヶ浜里奈!!大好きだああ!うわああああああああああああん!!」と。
孫一はそのまま、泥だらけのままどこかへ走り去り、取り残された僕たちを他所に、砂山の上の女王・里奈ちゃんが満足そうな顔で誇らしげに、そして、とても嬉しそうに顔を赤らめて居たのを、まるで昨日のことのように僕は思い出した。
そして数日後。
僕たちは再び、里奈ちゃんの家で顔を合わせた。
人生で初めての「お葬式」という場で。
そして孫一は僕に告白する。
「ボクが名前を呼ぶと…みんなケガをするんだ…居なくなっちゃうんだ…」
だからコイツは、そうならないように、そうしないように、相手を必ず愛称で呼ぶようになった。
どんな相手でも勝手に名前を作り、名前を呼ばないよう、自分なりの名札を相手に貼り付けていた。
愛称で呼ぶことが不自然にならないよう、以前にもまして王子様を気取るようになった。
大好きな子のヒーローになりたかった男が、成れなかったがために、別の在り方を被るようになったのだ。
そして、もう一人。
小鹿戸悟。
くだらないことで喧嘩した僕たちは、相手を罵倒して別れた。その時、孫一は叫んでしまったのだ。
「小鹿戸悟のバカ野郎ー!!」
遠ざかる悟君の背中に向けてうっかり言い放ったその言葉に、孫一はしばらく苦しんだという。
その後僕たちは無事再会し、仲直りを遂げたが、夏休みの終わりに再び出会ったのは、悟君の葬儀の日だった。
「これが俺のジンクス。俺が名前を呼べば、その相手が必ず不幸に遭う。」
そのまま孫一の言葉を鵜呑みには出来なかったが、僕はまるで古いアルバムを1枚ずつめくるかのように、1コマずつ1コマずつ、昔を思い出し始めていた。
僕が砂場で転び、不幸にもその砂場の淵で額を切り、早退した日。孫一は僕を「ツワッキー」と呼んだ。ただそれは格好悪い響きでしかないので「ツッキー」にするよう交渉したのだ。
あぁ、もしかしたら直前、僕は孫一に「タツキ君」と呼ばれていたのかもしれない。
しかし、何故僕はこのことを忘れていたのか。
エピソードの重さから言っても、そう簡単に忘れられるものでは無いだろうに…。
だが、僕は今朝見た夢と、孫一との会話が微妙な違和感をまとっていることに戸惑っていた。
不適合を払拭出来ない僕が居た。
「孫一。僕の記憶も曖昧で、正直、素直に今の話を受け止めるのはまだ難しいと思うのだけど…」
「いや、正直言ってくれて助かる。俺もツッキーのことは分かってるから…。」
孫一は僕の言葉を遮った。
分かってるから?
僕たちは幼稚園からの幼馴染で、少なくとも小学生の途中までは仲が良かった。だから、ということなのだろうか。
僕は残念ながら、当時の雑賀孫一と今の彼を未だにどこか同一視出来ないでいるというのに。
「ゴメン。正直怖かったんだ。また同じことになるんじゃないかって。だから、少しでも事情を知ってる、いや、この場合は知ってたかな。ツッキーに話を聞いて欲しかった。すまん!」
ようやくこちらに向けた顔は、こわばり、青ざめていた。
少なくとも、孫一はその二人は自分が殺したと思い込んでいる。自分が名前を呼んだから、と。
実際二人の事件に、孫一は直接関わっていない。端的に言えば、アリバイがある。殺す同期も皆無だ。
その男が、自分のせいだと苦しんでいる。
「僕で良ければ、話くらいは聞いてやるよ。」
「あの日みたいにか?」
あの日みたいにぐしゃぐしゃな顔をした王子様は、ようやく、笑えるように見えた。
僕はいまいちスッキリしない頭を傾け、まだ陽が高い中で光る水面を眺めた。
「ところでさ…ツッキーは、何ていうか、その、何を思い出した?」
と。孫一は聞いた。意味不明な質問だ。
僕が思い出したエピソードのことではないのだろうか?
「ツッキーは忘れてるかもしれないけどさ、前からよくあったんだよ、こういうこと。」
孫一は言う。前からよくあったと。
「こういうこと?」
「昔のこと、忘れてるって言うか。そこだけ覚えてないっていうか。」
どうやら僕は、昔から記憶の欠如が目立っていたらしい。
例えば、遠足などの行事が終わった後、ある日突然そのことをきれいさっぱり忘れて居たそうだ。
そう言ったことが、僕たちの間ではたびたび起こっていたのだと。
僕自身、確かに何かを忘れて居ることは多いし、そもそも流れのあるシーンを記憶することが割と苦手なのだが、時間を掛ければ何とか想い出せることもある分、記憶の欠如だったり記憶喪失ということはないと思っていた。
だが、孫一曰く、僕は特に、大切な思い出に関わることについて忘れているというのだ。
「俺、お前は親父さんの方に着くと思ってたから、驚いたんだ。」
学校が始まって、懐かしく会えたその友。苗字が違うその旧友。
結婚したのでないなら、何故、父親側に行かなかったのかと不思議で仕方なかったのだという。
「ツッキー、親父さんとめちゃめちゃ仲良かったじゃん。」
と。
続きます。