66 俄 最終日 夜02
紫苑は月天の自室で先程別れたばかりの月天を待っていた。
先程はろくに話す暇さえなく月天になされるがままだったが、今度こそはきちんと自分の気持ちと極夜たちのこと、小雪姉さんのことを話そうと大きく深呼吸をして心を落ち着かせる。
紫苑がどうやって話せば月天とうまく話ができるだろうと考えていると、廊下から小鉄の声が聞こえてくる。
「紫苑様、月天様をお呼びしました。お部屋に入ってもよろしいでしょうか?」
「あ、はい!どうぞ」
紫苑は思わずその場に立ち入り口の方を見る。
先程月天と別れてから一刻半ほどしか経っていないのだが、月天はどうやら湯浴みを済ませたようで先程着ていた着物よりも楽な着流しを着ていた。
「紫苑から私を呼ぶなど珍しい。機嫌は直ったか?」
月天は紫苑の向かいに座るとくすりと笑みを浮かべて紫苑の方見る。
「別に怒ってなどいません!ただ、ちょっと……どうしたらいいのか分からなかっただけで」
紫苑は先ほどのことを思い出し頬を染める。
月天は紫苑の様子を見て微笑みながら、とりあえず紫苑に座るよう促す。
「それで、私を呼んだ理由は?何か欲しいものでもあるのか?」
「いいえ、月天様を呼んだ理由は少しお話したいことがあって」
紫苑は緊張した面持ちで月天の瞳を見据えて話す。
月天はいつになく真剣な表情の紫苑を見て小さくため息をつくと、仕方がないと紫苑に話すように言う。
「まず、すごく申し訳ないのですが、私はまだ月天様と出会った過去のことを思い出していません。所々記憶は以前よりもあるのですが、覚えているのは広い屋敷で母と過ごしていた日々だけで」
「それは知っている。昨夜は急激な鬼化の影響で過去の記憶が戻ったのだろう。記憶がもし戻っているならば月天様などと他人行儀な話し方はしない」
「私は、やはりこの十五年人の子として生きてきました。急に本性は鬼だと言われても受け入れられません。もちろん、失っている過去の記憶は取り戻したいと思っておりますが、できれば今の人の姿のまま過ごせたらと思っています」
「……すでに呪印は綻び始めている。昨日私の力の一部を紫苑に移したのでしばらくは持つだろうが、人の姿でいられるのはあと持って一年だろう」
楓の見立てだと俄が終わるまで呪印の効力が持てばいい方だと言っていたが、月天の力を分けてくれたおかげで呪印の効力を伸ばすことはできたようだ。
「私は正直、紫苑が私たちの思い出を思い出して私の側にいてくれるのならば人の姿であろうと鬼の姿であろうとどちらでも良い。しかし、この幽世で残りの生を生きるのであればか弱き人の身であればすぐに命も尽きてしまうだろう」
「私はこのままこの幽世に残るかどうかは決めていません。やはり何も言えずに別れた村の人たちのことも気になりますし、できれば元いた村に戻りたいと思っています」
ここまでは穏やかな雰囲気で話を聞いてくれていた月天だったが、紫苑がこの幽世をでて元の村に戻りたいと口にするとその表情が曇る。
「私は紫苑の願いは何でも叶えてやりたいが、紫苑を一人で人里に戻すことには賛成しかねる。村の人に別れを言いたいのならその機会は作るよう努力する。人里に戻るか幽世でこれから生きていくかは記憶を取り戻してから決めても遅くはないだろう」
正直、もっと激昂するかと思っていたが以前にも増して今日の月天は冷静だった。
紫苑は確かに、以前の記憶を持たない今結論を急ぐよりはまずは記憶を取り戻してからこれからどうするか決めたほうが自分にとっても今までお世話になった村の人にとっても良いのかもしれないと思い直す。
「わかりました、まずは私の失った記憶を取り戻すことを一番に考えて、その後のことはその時にまた決めたいと思います」
「他にも言いたいことがあるのだろう?」
月天は両手を膝の上で強く握ったままの紫苑を見てできるだけ優しい声色で話しかける。
「極夜さん達のことです。小鉄くんから話は聞きました。極夜さんに夢幻楼を出たいと言ったのは私なんです。なので、罰を与えるなら私にしてください!」
「いくら紫苑の願いといえども、その件についてはそうはいかない」
基本的に紫苑の言うことは何でも笑顔で聞いてくれる月天だが、この話ばかりは少し困ったような表情を浮かべている。
「確かに極夜にお願いしたのは紫苑かもしれないが、問題は彼奴が私になんの相談もせずに紫苑を連れ出したことだ。妖の世界は強き者が上に立つ弱肉強食の世界。配下の者に軽んじられるなどもっての外だ」
「けど!決して極夜さんが月天さんのことを軽んじて今回のことをした訳ではないと思んです。いつも私と話す時だって月天様のことを一番に考えていました!」
「私も極夜が私のことを軽んじているとは思っていない。しかし、結果は結果だ。彼奴が紫苑を連れ出し結果として紫苑は危険な目に合った。事が起きた以上は誰かが責任を取らねばなるまい」
「私が責任を取ります!ですから極夜さんや白夜さんの尻尾を切るのはやめてください!」
紫苑が月天に縋り付くようにそういうと月天は紫苑に話したであろう小鉄の方をちらりと睨む。
小鉄は部屋の隅に控えているが月天の視線に気付き慌てて俯く。
「紫苑、私を困らせないでおくれ?私が君を罰するなどできるはずがないだろう?それに、紫苑は極夜のことを良い狐だと思っているようだが彼奴は誰よりも狡猾で思慮深い。今回紫苑を連れ出したのも君の中に眠る鬼の力を確かめるためだろう」
「え、そんな」
「極夜と白夜は紫苑が元々は鬼だと知っている。しかし、極夜はいつまで経っても本性を表さない君に痺れを切らして外に連れ出したのだろう。俄の本祭には多くの妖達が来る同族である鬼の気に触れればそれだけ呪印の封印も緩みやすくなるからな」
「そうだとしても、やはり私のせいで誰かが傷つくのは嫌なんです」
紫苑が瞳に涙を溜め身を乗り出して月天に訴える。
月天は自分の着物の袖で優しく紫苑の涙を拭うと困ったように笑う。
「わかった、極夜と白夜に関しては軽い罰に変更しよう。流石に何も罰しないと言うわけにはいかないからな」
月天が紫苑のお願いについに折れると紫苑は喜びのあまり月天に抱きつく。
「月天様!ありがとうございます!」
月天は紫苑に抱きつかれて一瞬驚きながらも、しっかりと紫苑の背に腕を回し紫苑を抱きしめる。
「それじゃあ、紫苑のお願いを聞いてあげたんだ。私の願いも聞いてくれるだろう?」
月天は紫苑を抱きしめたままにこりと笑い紫苑を見つめる。
紫苑は慌てて月天から身を離そうとするが、月天にしっかり抱きしめられていて身動きが取れない。
「実は昨日今日と力を使い過ぎてしまったようでどうも調子が悪いんだ、特別な力を持つ紫苑が一緒に寝てくれれば私の力も早く回復するはず。今晩は一緒に寝てくれないだろうか?」
今まで見たことがないくらいにうるうると上目遣いをして紫苑を見る月天の姿に紫苑は不覚にも胸をときめかせてしまう。
いつもは俺様な上に冷徹な表情しか周りに見せない月天が、子犬のようにふさふさの耳をふるふると震わせて紫苑にお願いしてくるのだ。
大の動物好きの紫苑としてはこんな愛らしくお願いされては断りづらい。
「けど、私と一緒に寝たからといって力が回復するなど……小鉄くん、そんなことあるの?」
紫苑が小鉄に本当に自分が側にいることで月天の役に立てるのか聞いてみると、小鉄は激しく頷き肯定する。
「え、そうなんだ。今まで妖と一緒に寝ることなんてなかったから知らなかった」
「紫苑、私のお願い聞いてくれるのか?」
ゆさゆさと七つの尻尾を揺らしながら月天が畳み掛けるように紫苑に言うと紫苑は観念したようでわかりました。と了承する。
「紫苑ありがとう!」
月天は歯にかんだように笑うと紫苑の頬に口付けする。
「!!!」
紫苑があまりにも一蹴のことで反応が遅れる。
月天は紫苑が何か言う前に紫苑を抱きしめていた腕を緩めると、紫苑を自分の隣に座らせる。
「では、今日はもう遅い。残りの話はまた明日聞こう。小鉄、紫苑の着替えを」
小鉄は月天に指示されるとすぐにその場から姿を消し、紫苑付きの侍女たちを呼びにいく。
「私は済ませておきたい仕事がいくつかあるから、ここで待っている。侍女たちに寝る準備を整わせたらまたこの部屋に来てくれるか?」
紫苑は何だかいいように誘導されたような気がしつつも少し恥ずかしそうに頷くと部屋に入ってきた侍女たちに連れられて、身支度を整えるため別の部屋に連れて行かれた。
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