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残心、  作者: 橋本洋一
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プロローグ

「生きるってどういうことだろうね?」

「呼吸しているってことだろう」


 放課後、市立睡蓮高校の屋上。

 これは鈴木真理との会話のひとかけら。

 他愛の無くて自愛しかないやりとりだ。


「またまた。本当はそう思って無いくせに」


 屈託の無い笑顔で俺に言う鈴木は、教室のときと全然違う。

 いつも俯いて、他の同級生とは必要最低限しか話さない彼女と違っている。

 それでいて、クラスから迫害されていないのは、平凡な見た目をしているからだ。


 ボブカットで、眼鏡をかけていて、美しくも醜くもない、普通の顔立ち。

 まるで二酸化炭素のように空気に溶け込んでいる。

 中学まで剣道をやっていた俺には、彼女が一流の剣士のように、人との間合いを掴むのが上手だと思った。


「高橋くんは、真剣に考えてないの?」

「そりゃ、哲学は嫌いだからな」


 というより、勉強自体が嫌いだ。

 偏差値が高くも低くも無い高校に入学したのは、それが理由だ。


「じゃあ何しにここに来ているの?」

「…………」

「おかしな人」


 普段、ろくに話をしないクラスメイトに『生きるってどういうこと』なんて訊くほうが、よっぽど変わっていると思う。


「私はね。生きることは戦いだと思っているの」

「結構、雄雄しい考えだな」

「女々しいのが女の子らしいなら、私は女じゃなくていいよ」


 そう言って鈴木は屋上のフェンスに背をもたれた。

 小柄な鈴木より、少しだけ高いフェンス。

 強く押せば、そこから落下してしまいそうな位置。


「だって、生きるって大変なことじゃない。毎日ご飯食べて、毎日安全な寝床を確保して、毎日そのためにお金を稼いで」

「そう言われてしまえば、大変だな」

「原始の時代から続くサイクル。よくもまあ、人類は飽きないと思うよね」


 クスクス笑う鈴木に俺は「戦いをやめることはできないのか?」と問う。


「できるよ。自殺しちゃえばいいんだから」

「…………」

「高橋くんは生きながら死んでいるのかも。そういう意味だとね」


 酷いことをすんなりと言う鈴木。

 でも否定できなかった。

 今の俺の姿を見れば、誰だって思うかもしれない。


「高橋くんは、戦えなくなった剣士だもんね」


 俺は否定しない。


「高橋くんは、今は戦おうとしないんだもんね」


 俺は否定しない。


「高橋くんは、情けなくて弱々しくて、駄目な人だもんね」


 俺は――否定しない。

 鈴木は嗜虐心を匂わせるような表情で、俺の左手の――余った袖を掴んだ。


「こんなになっちゃったから、戦えないんだね」

「…………」

「ふふふ。心残りがあって、可哀想」


 鈴木は袖をぎゅっと握った。

 俺は無いはずの手首を握られている感覚がした。

 いや、手首だけではない。

 この俺、高橋歩には、左腕がない――



◆◇◆◇



 俺の左腕が無くなったのは中学三年生の夏の頃だった。

 交通事故だった。左腕は事故のとき千切れてしまい、くっつけることができなかった。

 そのときの記憶はない。気がついたら夏が終わり秋口に入っていた。


 そのせいで、スポーツ推薦で行こうとしていた高校を辞退し、市立睡蓮高校に入学することとなった。

 同じ中学の生徒はあまりいない。いても知り合いではなかった。

 毎日剣道をしていた俺には、友人と呼べるのは同じ剣道部の仲間しかいなかった。


 しかし、事故に遭ってから、俺は彼らから離れてしまった。

 それは自分がこんな姿になってしまったからではなく、中学最後の試合に出られなかったという負い目からだ。


 俺には剣道の才があるらしい。加えて子供の頃から警察署がやっている道場に通って、一生懸命稽古をしていたこともあり、部内どころか県内でも指折りの剣士になっていた。

 もし、俺が事故に遭わなければ、県大会を制し全国へ行けたかもしれない。自惚れではなく、それだけの力が俺や仲間にはあった。


 だから準決勝で敗れたと親から聞かされたときは、どうしようもない後悔に襲われた。

 事故の痛みよりも心が痛かった。

 悲しみと悔しさが俺の心を苛んだ。


 それ以来、俺は何のやりがいもなく、情熱すらなく、ただ惰性で生きていた。

 入学して早々、鈴木真理に会うまでは。



◆◇◆◇



 市立睡蓮高校は部活動の加入が必須だった。

 しかし家庭の事情や俺のように身体的に問題がある場合は、免除されている。

 だから放課後になれば、俺はやることがないので暇になる。


 毎日竹刀を振っていたあの頃は、時間を惜しんでいたのに。

 こんなことになったら、時間を持て余すなんて。


 やや自虐的に考えつつ、バッグに教科書やら何やら詰めていると、ふと窓の外に視線を移した。

 高校は凹の形に校舎が建てられていて、俺の教室はへこんだ真ん中のやや左側にある。

 そこから右の出っ張りの屋上に人がいるのが見えた。


 初めは屋上に出られるのかと思った。

 次に外部の業者さんだろうかと考えた。

 そして最後に、それが女子だと気づいた。


 このとき、俺は屋上に行こうと思ったわけではない。

 ただ僅かばかりの好奇心が疼いてしまったのは否めない。

 今どき屋上を出入りできる高校は珍しいなと思っただけだ。


 その証拠に、この日はそのまま帰ってしまった。

 やることはなかったが、したいこともなかった。

 いや、できることはないと自分で思い込んでいた。


 次の日、俺はまた帰り支度をしていると、屋上にまた女子がいるのが見えた。

 同じ生徒かとは思わなかった。ただ人気あるんだなとしか思わなかった。

 その次の日も、そのまた次の日もいた。

 少し不思議に思った。


 そして次の日――明かしてしまえば金曜日だった。

 俺は帰り支度しながら、また見上げた。

 今日は誰もいなかった。


 よし。それなら屋上に行こう。

 四日間、屋上が気になりすぎていた。

 誰もいないのなら俺が行っても問題ないだろう。


 俺は早歩きで屋上へと向かった。

 屋上への階段周辺には誰もいなかった。

 皆、部活をしているのだろう。


 屋上のドアを片手で開けると、そこはとても広い空間だった。

 春先だから少し涼しかった。しかし寒いというほどではない。

 日が眩しくて顔を撫でる風が心地良い。


 俺はバッグを置いて、その場に座った。

 屋上の中心。そこからなら見上げてもこちらは見えないだろう位置。


 女子がここに来るのも納得だな。

 とても居心地がいい。

 世界で自分一人だけになった感覚。


 孤独な気持ちを楽しんでいると、ふいに屋上のドアが開いた。

 まさか、教師かと身構える――


「あれ? 高橋くんじゃない」


 唖然としてこちらを見つめているのは、見覚えのある女子だった。

 確か、クラスメイトの――


「鈴木、真理……さん?」

「……あは。なんでフルネームなの? 高橋歩くん」


 笑顔でこっちに近づく鈴木。

 ほっと一安心した様子だった。

 まるで俺が無害だと言わんばかりの態度。


「びっくりしちゃった。私の秘密の場所にいるんだもん」

「……お前、なんでここに? というか、あの女子はお前だったのか」

「あの女子?」


 目をぱちくりさせて聞き返す鈴木。

 俺は教室とだいぶ印象が違うなと感じた。


「えーと、屋上でいつも見えていたんだよ」

「本当? あちゃあ、今度から気をつけないとね」

「お前、いつもここにいるのか? 授業終わってすぐに?」


 俺はこのとおり片腕だから、帰り支度が遅い。

 その間に屋上に向かっていたのか。


「そうなの。でも今日で終わりかな。高橋くんがここに来ちゃうんだから」

「いや。俺はもう来ない。邪魔したな」


 そう言って立ち上がろうとして――バランスを崩して寝てしまった。


「……言葉と行動が違うんだけど」

「まだ慣れてないんだよ」

「え? 昔からの障害じゃないんだ」


 鈴木がそう思うのも無理はない。

 そういうことはクラスの誰にも教えていないからだ。


「まあな。中学のとき事故に遭ったんだ」

「ふうん。そうなんだ」


 すると鈴木は俺に近づいて、手を差し伸べた。


「なんだよ?」

「手伝ってあげようか?」

「いらん。自分で立てる」

「女の子と手をつなぐの、恥ずかしいんだ」


 くすくす笑う鈴木に何故か腹が立って「そんなんじゃねえ!」と怒鳴ってしまう。

 だけど鈴木は気にせず、俺の右手を取った。


「大丈夫? せーのっ」


 結局、鈴木の力を借りてしまった俺。

 何故か情けない気持ちで一杯だった。


「あは。高橋くんなら、また来ていいよ」

「はあ? なんでだよ」

「なんとなく。でも、他の人には言っちゃ駄目」


 俺はしばらく鈴木をじっと見つめた。

 捉えどころのない顔で、彼女のほうも俺を見つめている。


「どうしたの?」

「……なんでもねえよ」


 俺は自分のバッグを取って、その場から去った。


「またねー」


 のん気そうな声に俺は応えない。

 もうここには来ないだろうとなんとなく思った。

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