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悪役令嬢と幽霊のお告げ  作者: 岩上翠


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7/50

7.カイとのひととき

宮廷の鏡の間は閉じられた部屋ではなく、広い通路の一画にある。


両側の壁には、壮麗な縁取りをされた大きな鏡がいくつもかけられていて。

その鏡の一つ一つに、前世でわたしの心を鷲掴みにしたあの人が映っていた。


カイ・ミュラー。


柔らかな銅色(コパー)の髪と、澄んだ橙色の瞳。

16歳の彼は今のリーゼロッテ(わたし)よりも一つ年下で、身長も、ヒールの高い靴を履いたわたしと同じ位だ。


ソフィアと同じ平民出身の特別魔導士。

ほぼ高級貴族で構成される王立騎士団から是非にとスカウトされた、強力な炎魔法の持ち主だ。


だけど、決してそれを鼻にかけたりせず、むしろカイは誰にでも謙虚に親切に接するいい子だった。だからゲーム内では一番初めからソフィアと仲良くしてくれ、騎士団や宮廷のことを教えてくれる貴重な存在だ。


そんな彼だから、最近騎士団に出入りしている顔見知り程度のわたしにも、とびきりの笑顔を向けてくれた。


「何してるんですか? リーゼロッテ様」

「こんにちは、カイ。今から家に帰るところだったの」


普通に話しながらも、あの笑顔が今、わたしに向けられていることに、深く感動する。


見た目も声も、ゲームそのままのカイだった。姿を見ただけで森林浴をしたかのように癒される。なんてかわいくてかっこいんだろう。ああ、幸せ…。


しかも、なんだかいい匂いまでする…と思ったら、カイは茶色の大きな紙袋を持っていた。

わたしがそれに目を向けると、カイは照れたように言った。


「あ、すみません。さっき厨房でパンの耳をたくさんもらってきたんです。僕もこれから家に帰るから、家族にあげようと思って」

「そうだったの。だからいい匂いがしてたのね」


わたしはくすっと笑った。

カイは七人きょうだいのちょうど真ん中で、毎月家族に仕送りを欠かさない孝行息子だ。

厨房でパンの耳をもらっているのは知らなかったけど、やっぱり優しいんだなと改めて思う。


「あはは、副団長の婚約者さんに、みっともないところを見せちゃいましたね」

「え…」


あれ?

わたしは騎士団の人達に、自分がエアハルト様の婚約者であることは伏せていたはずだ。


ゲーム内ではリーゼロッテは自分から常にそのことを主張していて、エアハルト様に煙たがられていたから。だから魔獣の件で騎士団にお邪魔するときも、わたしは一言も自分が彼の婚約者だと漏らしたことはない。


まあ、貴族社会だからわたしが言わなくても自然に伝わっているのかもしれないけど、ソフィアとエアハルト様の仲に支障が出ないか心配だ。エアハルト様が気にしていなければいいのだけど…。


わたしは気を取り直して、カイに言った。


「全然みっともなくなんてないわ。わたし、ラスクにしたパンの耳が大好きなの。家族のためにお土産をもらうなんて、優しいのね」


カイは目を丸くした。


「…リーゼロッテ様が、パンの耳のラスクを召し上がるんですか? 本当に?」

「ええ、そうよ。ラスク以外にも、そのままジャムをつけてもいいし、細かく刻んでクルトンにしてもいいし、ガーリックトーストにしてもいいし、万能よね」

「そうですよね! うちの妹はパンプディングにしたのが好きなんです。甘くてとろとろで、すごくおいしいですよ」

「うわあ、それ絶対においしいでしょうね。今度ぜひ、妹さんにレシピを教えてもらいたいわ」

「いいですよ、聞いておきます」

「ありがとう!」


まさか宮廷のど真ん中でこんなに庶民的な会話ができるなんて思いもしなかったから、すごく嬉しい。


とはいえ、リーゼロッテ自身はパンの耳を食したことなんてない。

パンの耳レシピを活用していたのは前世のわたしだ。

近所のパン屋さんが安く売っているパンの耳を買ってきて、お兄ちゃんと二人であれこれおいしくアレンジしていた。もちろん、ゲームをするときのおやつ用に。


お兄ちゃんのことを思い出して、ちょっとしんみりしてしまっていたんだろう。

気がつくと、カイが心配そうにわたしの顔を覗き込んでいた。


「どうしたんですか、リーゼロッテ様? 何か困ったことでも…?」

「あっ、ううん、違うの。大丈夫。ありがとう、心配してくれて」


慌ててそう言うと、カイは安心したように笑った。


「そうですか? それならよかった。僕でよければなんでも言ってくださいね。騎士団内部については、色々と不慣れなこともあるでしょうから」

「ええ、そうするわ。ありがとう、カイ」


笑顔で別れの挨拶をして立ち去ろうとするカイに、そういえば彼もこれから帰るのだと思い出した。


「待って、カイ。よかったらうちの馬車で、あなたの家までお送りするわ」

「えっ…」


わたしの言葉に、カイは意外なほど驚いて固まった。

わたしが貴族だから遠慮しているのかな。そんな必要はないのに。


「いいのよ、どうせわたしも帰るのだし。あなたが早く帰ってくれば、その分ご家族も喜ぶと思うわ」

「いや、でも…」

「そんなに遠慮しないで。さあ、こっちよ」


わたしは有無を言わさず、馬車廻し目指してすたすたと歩き出した。

カイも、戸惑いながらも一緒について来てくれる。


待合室で待機していた御者と従者に、カイも一緒に城下町の自宅まで送ってほしいと伝えると、彼らは二つ返事で承諾してくれた。


馬車に乗り込むと、カイはなんだか恐縮した様子で言った。


「…すみません、わざわざ送っていただいちゃって」

「ううん。こちらこそ、逆に迷惑だったかしら? ごめんなさい、強引に乗せてしまって」

「いえ、そんな…」と言いかけて、カイは吹き出した。「でも、やっぱり少し強引でしたね。ちょっと副団長を思い出しました」

「ええっ!? どうして…」


愕然とするわたしに、カイは笑って言った。


「副団長は、平民出身の僕やソフィアにも分け隔てなく優しいんです。こっちはどうしても遠慮したり気を遣っちゃうんですけど、副団長はそんなことお構いなしなんですよ。これは命令だ、とか言いながら親切にしてくれて」

「そうだったの…」


その光景が目に浮かんで、わたしの頬が緩んだ。やっぱりエアハルト様は優しい方なんだ。



〇〇〇〇〇



それからカイとわたしは、エアハルト様の話をあれこれとしながら、馬車に揺られてそれぞれの家へ帰った。


とても楽しいひと時だったけど、それが後で思わぬ波紋を呼ぶことになるとは、そのときのわたしはまだ知らなかった。

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