6.心が持っていかれた
「…すみません、驚かせるつもりはなかったんです」
自分も驚いた顔をして、ソフィアがそう言った。
「いいえ、大丈夫よ。…座らない?」
ともかくベンチの隣の席を勧めると、ソフィアは推し量るようにわたしの顔を見てから、腰を下ろした。
どうしよう。
ソフィアも今の幽霊を見たのか気になるけど、「ねえ、今の幽霊見た?」なんて気軽には聞けない。
もしもソフィアが見ていなかったら、頭がおかしいと思われてしまう。
わたしは距離を置かれたいんじゃなくて、ソフィアと仲良くなりたいのだ。
それに、「あなた、王妃様とどういう関係?」という質問も、すごくしたいけど今は駄目だ。
今の距離感では、聞いたところで何も教えてはくれなさそうだし。
というわけで、わたしは軽い話題を振ってみた。
「あなたのその白いリボン、かわいいわね。よく似合ってるわ」
「えっ…あ、ありがとうございます」
ソフィアは目を丸くしてわたしを見た。
「…わたしが孤児院に保護されたときにも、頭に白いリボンをつけていたそうなんです。院長先生は、きっとわたしのお母様がつけてくださったんだろう、って仰って…さすがにその時の物はもうボロボロなのですが、それ以来、ずっと白いリボンをつけているんです」
ひと息ついて、ちょっと恥ずかしそうに付け足す。
「王宮でつけるには、さすがにちょっと子どもっぽいかなとも思ったんですけど…騎士団の制服は全身こんな深紅だし…でも、白いリボンを身に着けていると母が側にいてくれているようで、なんだか安心するんです」
「そうだったの…」
白いターバン風のリボンは、茶色い髪によく映える。
それをソフィアは大事そうに撫でた。
あのゲームはかなりやりこんだはずだけど、その話は知らなかった。
黙っていると、今度はソフィアがわたしに尋ねた。
「リーゼロッテ様のお母様は、どんな方なのですか?」
「わたしのお母様? …そうねえ、わたしがあと二十年経ったらあんな風になるのかしら。なにしろこの吊り目も背の高さも母譲りだから…」
わたしとお母様は瓜二つだと、よくお父様には言われている。勝気そうな顔立ちも、長身も、さらにはこのまっすぐな黒髪までそっくりだ。
「そうなんですか。ではお母様も、リーゼロッテ様のような美しい方なんですね」
「ええっ!?」
「親子でおきれいだなんて、うらやましいです。リーゼロッテ様のブルネット、さらさらで素敵だなってずっと思ってたんです。ちょっと触ってみてもいいですか?」
「おっ…おーっほっほっほっほ! もちろんですわ! さあ、遠慮なく触ってみてくださいまし!」
「ありがとうございます。では…わあ、本当にさらさらですね。それにとっても柔らかい」
動揺して思わず令嬢口調になってしまったけれど、ソフィアは気にせずわたしの髪に触れ、無邪気に喜んでいる。
笑顔のソフィアは、すごくかわいかった。
わたしはまるで攻略対象の男性の一人になったかのように、その笑顔に見とれてしまった。
彼らがソフィアに恋してしまうのも頷ける。
だって、本当にかわいいから。
…だけど。
「…ねえ、ソフィア。その首の痣、どうなさったの?」
わたしに聞かれ、ソフィアははっと首を手で押さえた。
「あ…これですか? この間、騎士団の備品を運んでいるときに怪我をしちゃったんです。わたし、そそっかしくて」
ソフィアが苦笑した。
「大丈夫? 薬は持っていますの?」
「ええ、部屋にありますから。…ありがとうございます、リーゼロッテ様。わたしなんかのことを気にかけてくださって。先日も、わざわざギュンター様に掛け合ってくださって…わたし、本当に嬉しかったです」
ソフィアがわたしにほほ笑みかけた。
それは眩しいくらいにきれいで純真で、わたしの心は完全にソフィアに持っていかれた。
「いいのよ、ソフィア。わたしは騎士団で頑張っているあなたの助けになりたいの。これからも、困ったことがあったらなんでもわたしに言ってちょうだいね!!」
わたしは彼女の両手を掴み、勢い込んで言った。
「はい、ありがとうございます。リーゼロッテ様も、何かあればわたしに言ってくださいね…と言っても、結界魔法くらいしかお役に立てないですが」
「ええ。ありがとう、ソフィア」
わたし達は手を握り合ったまま、にっこりと笑い合った。
ああ、やっぱりソフィアはかわいい…仲良くなれたみたいで幸せだわ…。
と、幸福感に浸っていたわたしは、ふいに大事なことを思い出した。
「…そうだったわ、ソフィア、大変よ!」
「どうしたのですか?」
「魔獣よ。一週間後、この宮廷内の礼拝堂に魔獣が攻めてくるの。それも、三体」
「三体…礼拝堂に、ですか? 敵襲時間と魔獣のタイプはわかりますか?」
ソフィアはいぶかしがりつつも、すぐに凛々しい騎士の顔になってわたしに確認した。
なんて頼もしいヒロインだ。
「ついさっき予知魔法が発動したのだけど、今回は他に何も詳細がわからないの。騎士団で対応をお願いできる? 不明点ばかりだから、もちろんあなたの力も必要になるはずだわ」
「…わかりました。すぐにギュンター様に報告に行きます」
ソフィアが立ち上がると同時に、庭園の向こうから深紅の制服を着た誰かが近づいてきた。
エアハルト様だ。
彼はつかつかとベンチの前まで来ると立ち止まり、言った。
「…リーゼロッテも一緒だったか。ソフィア、団長が探していたぞ」
「はい、すぐに行きます。ですが、こちらも早急にエアハルト様にお伝えしたいことが」
ソフィアはそう言ってわたしを見た。
わたしも立ち上がり、彼女に頷く。
もちろん、このことは今すぐ副団長であるエアハルト様の耳にも入れるべきで…。
そこで、わたしははっと気がついた。
…わたし、ここにいない方がいいよね?
エアハルト様は、ひたむきに頑張るソフィアを気に入っているという設定だ。
ソフィアだって、貴族社会のど真ん中で平民出身の自分に良くしてくれるエアハルト様に、きっといい感情を抱いてるに違いない。
そんな二人にとって、わたしはお邪魔虫以外の何ものでもないだろう。
いつも忙しいエアハルト様とソフィアが、せっかく庭園で二人きりになれる機会なのだ。これをゲーム中の悪役令嬢リーゼロッテのように、おめおめと潰すわけにはいかない!
「ああっ! わたし、急用を思い出しましたわ! 突然ですがこれで失礼いたします。エアハルト様、ソフィア、ごきげんよう!」
「おい、リーゼロッテ…」
エアハルト様がわたしの名を呼んで何か言いかけたけど聞こえないふりをして、わたしは呆気に取られている二人を残し、風のようにその場から立ち去った。
〇〇〇〇〇
…よし。
これであの二人の距離も少しは縮んだはずだ。わたし、グッジョブ。
王宮の鏡の間まで来て、わたしは息を整えた。
ふと、すぐ横の大きな鏡に目を留める。
磨き抜かれたその鏡には、眉と目尻の吊り上がった高慢そうな令嬢が映っている。
髪も重い暗色のブルネットで、ソフィアの華やかな茶色の髪とは大違いだ。
わたしはまじまじと鏡に映った自分の姿を見つめた。
美人と言えなくもないけど、なんだか偉そうだし、かわいげもない。
前世だって別にたいした顔じゃなかったけど…少なくとも、リーゼロッテのこの顔よりは親しみが持てる顔だったと思う。
わたしは少しだけ、ソフィアがうらやましくなった。
ソフィアは誰が見たってかわいいから。
エアハルト様だって、きっと今まさにあの庭園でそう思っているに違いない。
「…ん?」
なんだか胸のあたりがもやもやする。
わたしは鏡を見ながら、ため息をついた。
自分自身に呆れてしまう。
あの二人を残して勝手に立ち去ったのはわたしなのに、取り残されたような気持ちになるなんて…自分勝手にもほどがある。
きっと、せっかくソフィアともエアハルト様とも仲良くなれたのに、二人から離れなければならなくて寂しくなったんだろう。
今日は早く帰って、温かいお風呂に入って寝よう。
そして明日また騎士団に顔を出して、ギュンター様達と礼拝堂の警備について相談しよう。
そう思ってくるりと踵を返したら、思わぬ人物がそこにいた。
「…カイ!?」
「あれ、リーゼロッテ様。こんにちは」
そこには、あの乙女ゲーム内でのわたしの一番の推しだった騎士団員、カイ・ミュラーがいた。